第2話 あなたの名前は?
「んふふふ……」
何故だろうか。
彼女はずっと笑っていた。
紙皿にのったタコスを摘み、口に運んでは、にこにこ。
ときどき視線が宙を泳ぎ、誰かを探しているようでもあった。
「……………………こわい」
思わず呟いてしまった。
私はいま、1Fの隅にある休憩エリアのベンチに座っている。
隣には、さっき突然腕を引っ張ってきた青メッシュの女の子――月宮さん。
……この名前を知ったのはついさっきのことだ。
まず名前を知った経緯からして、もう怖い。
私達は最初フードエリアに着いて2人で列に並び始めた時、せめて会話の糸口をと思ってこっちから勇気を振り絞って話しかけたのだ。
でも彼女は、まるで聞こえないふりでもするように、一言も返してこなかった。
代わりに口角だけを上げて、ずっと笑っていたのだ。
列に並んでいる間も。
注文を受け取るときも。
座って食べ始める今この瞬間までも――。
沈黙。
沈黙。
笑顔。
並んでいる時に、途中で隙を見て逃げ出そうと思ったけど、一度やろうとした瞬間に、とてつもない力で腕を握られてしまった。
その時点で逃げる気力は完全に削がれていた。
その逃げようとして捕まった時、何かを考えたのか彼女はスマホのメモ帳アプリを開き、片手で超高速で文字を打ち、打ち終わった後その文章を見せてくれた。
そこにはこう書かれていた。
『私の名前は月宮。一応あんたの名前も聞かせてくれる?』
どういう状況?と思いつつ、私はしどろもどろに答える。
「会ったばかりの人に本名はその……」
『ニックネーム』
「……Tmitterだと、アカネって名前で登録してます。これで許してください」
というやり取りである。
このやり取りで月宮さんは何かを確信したのか、更に笑顔の質が上がって、理解不能な怖さが倍増した。
わけがわからない。
おまけに私が財布を取り出してお金を払おうとしても、あっちから手で制して、彼女が全額奢ってくれるのである。
結果、私はなぜか彼女に奢られ、逃げ損ね、こうして隣に座っている。
「ふふっ。ねぇ、私さ」
「ひゃいッ?!なんでしょうか!?!?」
突如、隣に座っていた月宮さんが声を上げ始めたので、びっくりして変な声が出てしまった。
「そんな驚かないでよ。もしかして体調悪いの?」
「……い、いえ。そうではなくて……私がただ…………人と話すのが苦手なだけで……」
「ふ〜ん」
「……こんなことはどうでもいいと思いますので、話そうとした事の続きをどうぞ……」
「そう? ならあんたには、山ほど聞きたいことがあるんだけど――」
……聞きたいことが山ほどあるって何?!
私と彼女は、ただぶつかっただけの初対面なはず。
そんな人に色々と聞かなければならない要素は、一体どこにあると言うのか?!
というか、それ以前に私にはタイムリミットが存在する。
それはシオンちゃんの着ぐるみショーが15時からスタートする点だ。
時間の余裕はあと2時間以上もあるが、それまでには彼女との縁を切っておきたいところである。
後々、厄介な事に巻き込まれるのが1番最悪だし。
「いえ、手短にお願いします。シオンちゃんの着ぐるみショーが控えているので」
そう言うと月宮さんは口元を覆いながら、ふっと笑った。
その笑いのタイミングが、どうにも癪に障る。
推しを馬鹿にされたみたいで、胸の奥がチリ、と熱くなる。
「何がおかしんですか。言いたい事があるんなら全然言ってもらっていいですよ?」
「あれ、いきなり態度変わったね。もしかして怒っちゃった?」
「別に怒ってないです。ほら、早く貴女が言おうとした続きを言って下さい」
私がそう言うと、またもや少しだけ笑みを溢してから言葉を続けた。
「いやさ、なんでアカネちゃんはこんな場所に来てるのかなぁって思って。しかもそんな狂った服装で」
狂った服装……黒いパーカーにフードで顔を隠して、長ズボン状態の私の格好のことを言っているのだろうか。
もしくは手持ちの物を、全部シオンちゃんのイラストが描かれた物で一色にしているからの指摘だろうか?
どちらのことを言っているのか分からない。
というか――
「ミ◯キ◯みたいな発声で永遠に喋り続けてる人に、服装をとやかく言われたくないんですけど」
「あっ! それは失礼だよ。これは地声だから」
「えっ、地声なんですか!?!?」
「そ、地声。私はその手の暴言で傷つかないけど、他の人には言っちゃダメだからね。声がコンプレックスの人もいるだろうから」
「うっ……そ、それは……ほんとに、すみません……」
「っていうのはウソ」
その瞬間、胸の奥に小さな火が灯る。
「………………」
私は静かに立ち上がった。
「………………私、もう行きます。奢って頂きありがとうございました」
それだけ言って背を向け、ここから消えようと思っての行動だった。
このまま歩き出せば、もう二度と関わらずに済む――そう思って。
「はい、だめーっ!」
「きゃっ?!」
後ろから伸びてきた両腕が、私の腰のあたりを捕らえた。
ぐいっと引き寄せられ、気づいたときにはベンチではなく、彼女の膝の上に引き戻されていた。
「うわぁ、私より身長高いくせに結構軽いんだね。ちゃんとご飯食べないと体調崩すよ?」
「な――何をしてるんですか!!」
「そんな事は良いから、早くこんな場所まで何しに来たのか教えてよ」
月宮さんは唇の端を吊り上げ、まるで楽しむように言葉を続けた。
「ご飯も奢ったんだし。ほら早く早くっ」
彼女の腕に更に力が込められた。
「分かりました!分かりましたから早く手を離して下さい!!」
私がそう言うと彼女は拘束を解いてくれたので、改めて隣に座り直した。
「……ここに来る理由なんてみんな決まってるでしょう? ぶいフェスを楽しむため――もとい、推しと触れ合うために、ここへ来たんですよ」
「推しって言うのは天野シオン?」
「そうです!!!」
「へー……。ならもう、それは叶っちゃってるじゃん」
「は? 何を言ってるんです?。声だけじゃなくて頭までおかしいんじゃないですか?」
「言うね」
彼女はそう言いながら自分のバッグからブロマイドを取り出した。
それはシオンちゃんが描かれたブロマイドだった。
「推しなんでしょ? この子のこと、どれくらい好きか答えてみてよ」
「そんなの言葉では言い表せませんよ。……でも、シオンちゃんに関する事なら、誰よりも詳しいと自負してます」
「それは私よりも?」
「貴女よりも」
「じゃあ聞かせて。あんたがどれだけvtuberにハマってるのか興味あるし」
「良いでしょう。時間がになるまで、シオンちゃんの良さや弱点、歴史になど色々語ってあげますよ!!」
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そこから私は月宮さんと推しのシオンちゃんについて語った。
というか、私が一方的にオタク語りをしていただけかもしれないが。
どうやら月宮さんもかなりのシオンちゃん狂いのようだった。
私が記憶しているシオンちゃんの配信エピソードを、彼女も同じレベルで知っていたようだった。
私は基本的に同担拒否ではあるが、その知識量には脱帽ものである。
時々、私が配信の中の「黒歴史回」や「奇行エピソード」を話すと、彼女の口元がピクリと動いたりしていた。
まるで痛いところを突かれた人の反応みたいに。
私はそれを“共感性羞恥”だと思って、内心くすりと笑った。
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気づけばあっという間に二時間が過ぎていた。
会場内アナウンスのざわめきが遠くで流れ、人混みの波が何度か入れ替わる。
でも、私たちの周りだけは、不自然なくらい時間が止まっているように感じた。
月宮さんは――話を聞くのが本当に上手かった。
言葉を選ぶでもなく、ただ「続きを聞かせて」とでも言いたげに目を細める。
その視線が私の中の不安や恐れをすくい上げて、なぜか安心させるのだ。
私はおそらく、自分でも信じられないことをしていた。
不登校で他人との会話すら避けてきたこの私が、彼女の前ではまるで昔からの親友に話すみたいに、自分の心を晒していたのだ。
もうこの時の会話では、天野シオンちゃんの話題を飛び越え、私自身の話題や現在の状況――自分の今が不登校の状態である事や、人との会話がとても苦手なこと、そしてシオンちゃんに対する恋はガチであることも、気づいたら口走っていてしまった。
どれも誰にも言ったことのない話。
でも月宮さんは何ひとつ茶化さなかった。
彼女の目が、ただ静かに「聞いている」と伝えてくる。
その優しさに、私は湧き上がるように言葉を放っていた。
まるで長年閉ざされていた井戸から水が噴き出すように。
……推しのシオンちゃんさえいれば、他はどうでもいい。
そう信じてきたはずの私が、気づけば――その信念を裏切りたくなっていた。
「――あっ」
唐突に、月宮さんが小さく声を上げた。
腕時計を覗き込み、わずかに肩を竦める。
「そろそろ行かなきゃ!」
彼女が立ち上がると、長い髪の毛先がふわりと揺れ、白い光を一瞬だけ掬った。
「……え、行くってどこに行くんですか?あと30分ほどでシオンちゃんの着ぐるみショーが始まっちゃいますよ」
言葉が少し上擦る。
彼女と過ごしたこの二時間があまりにも心地よくて、ここで終わりを認めたくなかった。
だからもう少し一緒にいたい。
なんなら着ぐるみショーを、一緒に観に行こうと提案したかった。
……でも、私にそんな事を言う度胸は無い。
「実はずっと前から友達に呼ばれてるんだよね。……だから絶対に滅茶苦茶怒られるんだろうなぁ」
彼女は苦笑いを浮かべて、肩を落とした。
その笑顔が少しだけ遠い。
「…………シオンちゃんのショーはその子達と見ると……?」
「ううん。ここから離れないといけないし、配信アーカイブで見るよ」
「そう……ですか…………」
友達……
私には存在しないものだ。
そんな人達より私と一緒にいて欲しい――なんて思うのは、流石にお門違いも甚だしいのだろう。
これまで私と一緒にお話してくれたこの時間こそ、奇跡に等しいくらいだと思うし。
…………たぶん、きっと……ここで彼女とお別れしたら二度と出会うことはない。
これはこのイベント限定の、偶然の出会いなのだから。
――そう考えていた時だった。
「そうだ!」
月宮さんが弾かれたように声を上げ、自分のバッグの中をまさぐる。
彼女はスマホを取り出すと、画面を数度タップし、ぱっと私の方へ向けて差し出した。
「アカネちゃん、L◯NE交換しない?」
差し出された画面には、QRコードが描かれている。
「あっ!もちろん嫌なら断ってくれていいよ。人と話すの苦手って言ってたし――」
「…………」
「――って、泣いてる!?」
その言葉に、私はようやく頬に伝うものの存在を知った。
驚いて指を顔に当てると、そこには確かにぬるりとした感触がした。
どうやら本当に私は泣いていたらしい。
自分で気づかなかった。
「ご、ごめん! まさか泣くほど嫌だと思ってなかった! じゃ……じゃあ私行くね!!」
とんでもない勘違いをした状態で、月宮さんは走って立ち去ろうとしていた。
――このまま行かせるのだけは、絶対にありえない。
その衝動が先に動いた。
私は立ち上がり、すぐさま彼女の左腕を掴む。
指先に触れたその体温が、まるで現実をつなぎ止める最後の糸のようだった。
「待ってください!違うんです!!」
私は俯いたまま、それでも声だけは必死に絞り出した。
喉が震える。
心臓の音が頭の奥で反響していた。
「……?」
月宮さんが振り向く。
彼女の視線がまっすぐに私を捉えた。
「その……月宮さんにL◯NEを交換しようって言われて、嬉しくて涙が出ちゃったんです。だからその……」
「えー、そんな泣くほど嬉しくなることかなぁ?」
彼女は少し目を丸くして笑うでもなく、優しく呆れたように言った。
その声音が、私の胸の奥にそっと触れる。
「うっ……はい、すみません」
「ふ〜ん、なるほどね」
月宮さんはニヒッとした笑みを浮かべた。
「私、だいぶアカネちゃんに興味出てきたかも」
「興味……?」
「なんて言ってる暇ないや!!。ちょっとすぐにL◯NE開いてくれる?」
「は、はい!」
慌ててアプリを立ち上げる。
すると次の瞬間、彼女の手が私のスマホをすばやく奪った。
「借りるねっ」
彼女の指先が迷いなく画面を滑る。
QRコードを表示し自分の端末で読み取り、通知音が鳴る。
ほんの数秒足らずでその作業は終わった。
そして彼女は画面を閉じ、私にスマホを返してくれる。
「ほんとごめん!マジで急いでるから、また今度話そ!!」
「はい……ありがとうございます」
息を整える間もなく月宮さんは駆け出した。
雑踏の向こうへと徐々に消えていく。
「ぶいフェス中私が暇だったら、またどこかで会おう! またね〜!!」
「あっ、はい!」
その声が最後に耳に残った。
私は立ち尽くしたまま、片手を小さく上げる。
手を振る相手はもう見えない。
「あぁ……行っちゃいました。また会いたいです……」
呟いた声がざわめく人波に溶けていく。
寂しいはずなのに、不思議と心は温かかった。
……月宮さん。
出会いの瞬間から別れまで、息をつく暇もないほど慌ただしい人だった。
最初は正直、彼女の発言にちょっとだけイラッとさせられた。
でも今は、別にこういうのも良いなって思えてくる。
――たった二時間。
それだけの短い時で、私に色を付け足してくれる人が現れた。
きっとそれだけで幸運なことなんだろう。
「そういえば、これってもしかして……友達が出来たと言っていいのでしょうか」
そんな事を呟きながら、恐る恐る自分のスマホからL◯NEを開き、友達を一覧を確認した。
そしてそこには、しっかりと新しい人が追加されている。
書かれている名前は――
“天野シオン”
一瞬、心臓が止まったような感覚がした。
何度見ても、何度アプリを立ち上げ直しても、そこにはその名前がある。
「――あ、天野シオン?!?!」




