ドジっ子トラップ
何年も見てなかった夢を見ている。
黒髪の女の子が泣きながらこっちを見ている。
「もう会えないの?」
そうだ。そうだった。この子は未来さんの子供の時の姿だ。
僕は泣かないでと言ったんだっけ......?
「......嫌だ。また会えるなら、もう泣かないから」
分からない。離れ離れになってしまうかもしれない。それでも僕は彼女を泣き止ませたくて小指を差し出した。
「......うん。約束しよう」
「ゆーびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます」
視界がブラックアウトする。
週末近くのシーソルト。ビラ配りで来た新規さんはもう帰った後だった。
お客さんは大きく分けて二分化だ。
継続して来てくれる『固定』のお客さんと、カフェに来たことがない初めて来店してくる『新規』のお客さんだ。
この喫茶店は前者が8割、後者が2割なので固定のお客さんを大切にしつつ、新規のお客さんを固定に変えなくてはならない。
全く、未来さんや店長は大変だ。
ただ、僕はどうなんだろう。ふと考えてみる。役に立っているのだろうか。
「それで? 君は未来が幼馴染みって言ったのに、そのまま帰ったの?」
灯さんー店長が呆れたように言う。
「だって10年の月日、一緒に居てあげられなかったから。僕の中には迷いがあって......」
「ふーん。ま、気にすることじゃないね。それと君はなんていうか......朴念仁だな」
「朴念仁?」
「分からず屋ってこと」
店長はそう言うと紙を取り出して不適な笑みを浮かべた。
『海の家&cafe sea saltコラボ』と書かれている。
「未来が海でゴミ拾いしてた時期あったでしょ? 偉い人に評価されて、海の家とコラボすることになったよ!」
店長は簡潔にまとめて言う。そして最後に僕を見て笑った。
「君は自己肯定感低いところから治そうね」
こうして僕の夏も後半戦がスタートした。
青い空に太陽がギラギラ輝く。
太陽が照りつける、今にも蜃気楼が見えそうな暑い砂浜にビーチサンダルを押し込んで歩いた。数分で砂の感触が変わる。丸太の階段だ。
これから僕の夏が始まる。そう思ってログハウスの扉に手をかけた。
「海くん遅かったね。君ならもっと早く来ると思ったよ」
店長の声。今日はウェイトレスの服じゃないな。
店長は、緑のラッシュガードを羽織っていて胸元は黒いビキニで隠れている。
黒いロング髪がその格好に良く映えていた。
ピシッと引き締まった肉体に水着。スレンダー美女と言うべきか。核爆発級の何かが詰まってる。
マジマジと見つめる。......なんていうか素敵過ぎるこの女性。
「おい」
ドスの効いた声。
「コーフンしない」
顔を覗くと彼女は赤くなって、何処か気恥ずかしそうだ。
「いやしてないですよ」
というのは嘘だ。毎日未来さんのメイド服を見ていても免疫のない僕が、店長の水着姿に興奮しない訳がない。
「即答、か」
「普通に可愛いと思いますよ」
「そう。別に褒めても何も出ないけど」
店長は黒髪を手で揺らす。
「おーい! 店長、海くん!」
未来さんが現れた。
ピンクの髪。
それと、僕を悩殺した豊満な胸はビキニでなんとかつなぎ止めてある。
「うへぇ......。水着歩きにくいなあ......」
僕は昇龍拳を喰らった一般人のように、鼻血が出そうになった。
「......未来さん僕より遅かったですね」
「あはは。水着に着替えるの、時間かかっちゃって。更衣室までなら多分先に来てたけどね」
僕は2回目のカウンターを喰らった。
「2人とも揃ったね。それじゃ海の家、3人で回しますか!」
「「はい!」」
2人の声が丸太の隙間を突っ切った。
「ラムネください!」
「ビール! ビール!」
「焼きそば食べてみたいかも!」
来訪者は海で遊ぶ観光客、そしていつもカフェに来てくれるお客さんがいた。
店長はカレーやラーメンの仕込みを終わらせて、焼きそばを作っていた。
僕はバーベキューセットで焼きトウモロコシや浜焼き、フランクフルトを焼いていた。
未来さんはウェイターをやっていた。男受け抜群な体でやっているのだから、ちょっと心配だ。
「君可愛いねー」
未来さんに向かって、言ったのはお客さんだ。金髪に痩せ型。辺りから不穏な空気が漏れる。僕の心配は的中したのか。
男が未来さんの手を掴んだ。
「や、やめてください」
僕は構わず不良の手を掴んだ。
「ああ?」
「彼女。やめてって言ってますよね?」
「お前、この子とどういう関係? 存在しない共感力が豊かだねぇ。オタクくん」
すごく彼は酒臭い。けど、プツンと堪忍袋の緒が切れる。
「この子とは仕事仲間です」
「それがなんだって言うんだ。アホ」
「アホはお前だよ!」
そう言ったのは、メイドカフェに通う未来さんが推しのお客さんだ。それはまずいだろ。みるみる酔っ払いの顔が赤くなる。
「はあ? なんだよ。うっぜえ! つまんねぇんだよおおお!」
男が殴りかかる。それは危ない。ただ、この状況なら正当防衛だな。
「海くん。危ない!」
「うお!」
僕は彼の腕を掴んで、ぶっきらぼうに、所謂、一本背負いで投げた。
「い、いってぇ......」
男が胴体から地に堕ちる。
「もう二度と彼女に手を出さないでください」
「か、海くん......」
「クッソ。覚えてろよ!」
彼の背中を目で追う。怪我してないだろうか。
「あの兄ちゃん怖っ」
「悪いのは無理矢理女の子の手を掴んだ男じゃん」
たくさんの人の声が聞こえる。
「ちょっと何? うるさいんだけど」
店長が顔を出す。僕は内心ヒヤッとした。が、店内は静まり返った。
「海くんが酔っ払いさんから守ってくれました」
「ふうん。そうなんだ」
店長は深く詮索するつもりはないようで安心した。ただ人を傷つける争いの解決方法はこれっきりにしよう。
静まり返った店内は、何事もなかったように喧噪の雑踏が器に注がれ始める。
砂浜は日に染まっている。揺れる波がサンダルを濡らした。
「今日は助けてありがとう」
接客が終わった後、未来さんはいつも通り笑顔でそう言った。
あれから、争いや、揉め事は起きていない。
「未来さんが無事でよかった」
「海くんって喧嘩強いんだね」
未来さんが両手の拳をぐっと握って、僕に見せる。
「雑誌で見たことをしただけだよ」
護身術とはいえ、暴力は万能じゃない。 その人に残るのは苛立ちや虚無の感情と物理的な傷の痕だ。
「私はね。海くんって絶対店の役に立ってると思うの」
「未来さん、僕は......」
僕の声を遮る、儚い声。
「だって! 私、海くんと一緒に居たい。海くんのそばに居るためならなんでもするよ?」
「未来さんは10年間。どうしてたの?」
「ずっと、約束した。『また会えるよね』って言葉、信じてた」
「未来さんはさ。幸せになってよ。僕なんか居なくても」
「どうして独りよがりなの!?」
未来さんは泣き崩れそうで、それがすごく悲しい。
「10年間。助けてくれる人が居なかったなら、私が助けるよ! 今からでも全然遅くない!」
「もう助けてくれてる! ......シーソルトは僕の大切な場所だよ」
その言葉にどれだけ助かったか。
「ずっと一緒がいい」
未来さんはぽつりと呟いた。悲しそうな子供のように。
「分かった。約束する」
僕たちは小指を絡め合った。またあの時みたいに。
「店長」
僕は最後、海の家の喫煙所に来た。用事があったからだ。
「呼び出して悪いね」
店長は面接の時のように、感情は一切要らないと言うような顔をしてた。
「誰も見てないか」
店長は煙草に火をつける。店長は浜辺の景色を見ながら時の流れに身を任せる。僕はそれをなんとなく眺めていた。
「辞められたら困る」
店長はそう言った。
「分かってます。でも今日は荒っぽくなってしまった」
「じゃあ、今後の君に期待だな。私達はもう」
「もう?」
「大切なファミリーだし」
ファミリー? 家族ってことか、そう考えてると、店長は僕を見て笑った。
「君と未来はシーソルトの大切な一員なんだよ。......勿論、他の子だって大切な家族だから」
その一言に脆くなってしまった。
「......じゃあこれからもここで?」
「ウチは過酷って言ったでしょ? これからどんどん、海の家の売り上げ増やすよ!」
「ふふ。泣いてる暇ないです」
そう言うと店長はハンカチを取り出した。
「その顔、拭きなさい」
僕の長い一日はこれで終了だ。これからももっとシーソルトの役に立てたら、そう思った。




