File50.九十九経営コンサルティングの『新秩序(ニュー・オーダー)』と、これからの『契約』について
皇居での決戦から、数日が過ぎた。 神保町の事務所には、あの戦いが嘘だったかのように穏やかな午後の日差しが差し込んでいる。 私は深く、深くソファに身を沈めていた。
自らの魂に『契約抹消の墨』を使った反動はまだ体の芯に重い疲労として残っている。だが、それ以上に。 蘆屋道満として抱え続けてきた何百年もの『絶望』と『後悔』が消え去ったことで、私の魂は今、不思議なほどの『空』の状態にあった。
「九十九さん。新しいお茶が入りました」
オサキがいつもと寸分違わぬ所作で湯呑を差し出す。 彼もまた虚数の牢獄から生還した身だ。だがその銀色の尻尾はすでに手入れが行き届き、陽光を浴びて柔らかく輝いている。 彼は私が「道満」であったという過去を知った。 その上で彼は変わらず、私を「九十九さん」と呼ぶ。
「ああ。ありがとう、オサキ」
湯呑を受け取った、その時。 オサキは事務所の隅に積まれた一枚の巨大な和紙に視線を移した。 それは、ぬらりひょん様が一方的に送りつけてきた『新秩序の設計』という途方もないプロジェクトの仮の『発注書』だった。
「九十九さん。 あの大口クライアント(ぬらりひょん様)へのご返答、いかがなさいますか」
オサキは冷静に問うた。
「あやかし社会、全ての『新秩序』の設計。 カガチが破壊した法、経済、物流、そして輪廻のシステムをゼロから再構築する。 これほどの案件、我々だけで本当に……」
私は目を閉じ、思考する。 師・安倍晴明は完璧な『秩序』を求め、その結果たった一つの『例外(呉葉)』を救えなかった。 私はその秩序を憎み、禁忌を犯し『絶望』を生み出した。 そしてカガチは『混沌』こそが真の自由だと信じ、全てを破壊しようとした。 ……全員、間違っていた。 秩序とはシステムではない。 混沌とは自由ではない。
「オサキ」
私は目を開けた。
「カガチのあの歪んだビジネスモデルの根本的な『欠陥』は何だったと思う?」
「『信頼』を一切考慮していなかったことです」
「その通りだ」
私は立ち上がった。
「カガチはあやかし達の『力』を『合理的』に搾取することしか考えなかった。 ぬらりひょん様は『義理人情』という曖昧な『貸し借り』で全てを縛ろうとした。 師は『ルール』で全てを管理しようとした」
私は事務所の窓辺に立ち、この人間とあやかしが入り乱れる東京の街を見下ろした。
「俺たちがこれから設計すべき『新秩序』は……そんな大袈裟なものじゃない」
私はかつてのクライアント達から授かった『報酬』が、静かに私を見守っているのを感じていた。
「座敷わらしの『福』も、豆腐小僧の『癒やし』も、けらけら女の『笑い』も。 全ては彼らが相手を『信頼』し……そして相手から『信頼』されることで……初めて成立する『契約』だ」
「……」
「俺の『コンサルティング』はそこから始まる。 『新秩序』などという上からの『システム』を押し付けるのではない。 あやかし一匹一匹。 神、一柱一柱。 彼らと公正な『契約』を結び直し、彼らが自らの『価値』を信じられる『健全な市場』を創り直す。 その無数の『信頼』の集合体こそが、結果として『新秩序』と呼ばれるものになるんだろう」
「九十九さん。それは、気が遠くなるような仕事ですね」
オサキが呆れたように、そしてどこか嬉しそうに笑った。
「ああ。だからぬらりひょん様への『契約書』は白紙で差し戻せ。 『包括的な業務委託』ではなく、『一件ごと』の『個別コンサルティング契約』を結び直す、とそう伝えろ」
「かしこまりました」
オサキが深々と頭を下げた、その時。 事務所の古い黒電話が、ジリリリリリリン! と鳴った。 カガチとの戦いが始まって以来、鳴ることもなかった、懐かしい『日常』の音だった。
オサキが受話器を取る。
「はい、こちら『九十九経営コンサルティング』です。 ……ええ。……はい。……少々お待ちください」
オサキが受話器を押さえ、私に向かって言った。
「九十九さん。新たなクライアントです。 自称『小学一年生の人間の子』から」
「ほう?」
「なんでも、彼の『百年使った鉛筆ケース』が付喪神になったのはいいものの……」
「いいものの?」
「『小学校の新しいクラスに馴染めず、登校拒否を起こしている』と……」
私は目の前に積まれた『あやかし社会の未来』という壮大すぎる案件の資料と。
今鳴っているたった一匹の付つまらない神のささやかな悩みとを見比べた。 そして、私は九十九として、心の底から笑った。
「オサキ。……その小学生の依頼を、最優先で受けろ。 『新秩序』の設計も『登校拒否』の説得も、俺たちコンサルタントにとっては等しく重要な『案件』だ」
―――面白い。実に、面白い。
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