File37.伊勢神宮の神域防衛と、過去の因縁(カルマ)の清算について(核心部・結)
禁足地とされた古い社の跡地。そこはカガチが放つ禍々しい妖気と、あの『呪いの炭』が燃える異臭で、伊勢の清浄な神気は見る影もなくなっていた。 その中央、呪いの炎の祭壇にそれは横たわっていた。 『呉葉』。 かつて私がこの手で生み出し、そしてこの手で封印した最強の式神。その亡骸は呪いの力によって、今再びこの世に引き戻されようとしていた。 そして、その祭壇の奥。闇よりも深い影の中から一人の男がゆっくりと姿を現した。 初めて見る顔。しかしその声は、私の脳内に直接響いていたあの不快な声。 宿敵、『カガチ』本人だった。
「――ついに来たか、道満」
カガチはまるで旧友を迎えるかのように両手を広げた。
「お前がその罪を犯したこの“始まりの場所”へ。おかえり、裏切り者」
「九十九さん……?」
オサキが私の横で、信じられないものを見るような目で私とカガチを交互に見ている。
「……カガチ。貴様の真の目的は何だ。この伊勢の神域を汚し、あやかし社会の秩序を崩壊させ、貴様は一体何を得ようとしている」
「目的? 決まっているだろう」
カガチは心底愉快そうに喉を鳴らした。
「『革命』だよ。ぬらりひょんや天照の眷属どもが支配する、あの古臭い『秩序』の完全なる破壊。そして力こそが全てという、混沌とした真に自由な世界の創造だ」
その言葉は、あまりにかつての『あの男』の思想と酷似していた。
「……お前は奴の後継者か」
「後継者? 違うな」
カガチは祭壇の呉葉の亡骸を愛おしそうに撫でた。
「わたくしは、あの偉大なる破壊者の『意志』そのものだ。そしてお前が捨てたこの哀れな式神こそ、我らが新世界の最初の『楔』となるのだ」
カガチが手をかざすと『呪いの炭』の炎が一際強く燃え上がった。呉葉の亡骸がギシリと軋む音を立て、その指先が微かに動く。
「目覚めよ、呉葉! お前を裏切り見捨てた元の主が目の前にいるぞ!」
『……う……ぁ……』 亡骸から、怨嗟とも悲しみともつかぬ声が漏れ始めた。
「やめろッ!!」
私は叫んだ。
「お前の革命ごっこに呉葉を巻き込むな!!」
「これはごっこではない、道満。お前には選択肢をやろう」
カガチは冷たく笑う。
「ここで再びこの呉葉をお前の手で『破壊』するか。それともこの式神にお前自身が『破壊』されるか。どちらを選んでもお前の心は永遠に過去の罪に縛られ続ける。……どうだ? 素晴らしいコンサルティングだろう?」
これが奴の狙い。私に二度同じ罪を犯させること。私の心を完全に折ること。 呉葉の亡骸がゆっくりとその呪われた体を起こし始めた。その瞳は憎悪と、そして深い深い悲しみの色をたたえて私を見つめていた。
『……あるじさま……なぜ……なぜわたくしを……』
「……九十九さんッ!!」
オサキが私の前に立ちはだかろうとする。
「来るな、オサキ! これは俺の『案件』だ」
そうだ。 これは私が引き受けなければならない、たった一つのコンサルティングだ。 クライアントは、『呉葉』。 悩みは、『魂の解放』。 報酬は、『過去の清算』。
私は呉葉に向かってゆっくりと歩みを進めた。 カガチの嘲笑もオサキの制止の声も、もう聞こえない。
「……呉葉」
私は呪いに身をよじる、かつての式神の前に立ち尽くした。
「……お前の言う通りだ。俺は道満としてお前を裏切り犠牲にした。その罪は永遠に消えない」
『……ゆるさない……!』
呉葉の腕が私に向かって振り上げられる。
「ああ。許されなくていい」
私は懐から、これまで集めてきた『報酬』たちを取り出した。 けらけら女の『喝采の涙』。 ミニマリストの座敷わらしの『心の静寂』。 そして、豆腐小僧の『真味の紅葉』。
「だがな、カガチ。俺はもう、道満ではない」
私は『真味の紅葉』を、呪いの炎に燃え盛る『呪いの炭』へと投げ入れた。
「お前の使うその穢れた『呪い』の本質を、今ここで『無』に返す!」
紅葉が触れた瞬間、あれほど燃え盛っていた呪いの炎がその『本質』――ただの木々の悲鳴――へと還元され、力を失っていく。
「なにっ!?」
カガチの顔が初めて焦りで歪んだ。
「そして呉葉。お前のその長すぎた苦しみを、今終わらせる」
私は『心の静寂』と『喝采の涙』を呉葉の胸にそっと押し当てた。
「……お前の苦しみはもうおしまいだ。安らかに笑って、眠れ」
宝玉が触れた瞬間、呉葉の体から全ての憎悪がすうっと抜け落ちていった。 呪いの傀儡ではなく、かつての私の式神としての穏やかな顔に戻っていく。 そしてその口元に微かな笑みを浮かべ……。
『……ああ……あるじさま……やっと……』
呉葉の体は、伊勢の清浄な光の粒子となって空へと静かに消滅していった。
「……馬鹿な……! わたくしの最強の『楔』が……!」 カガチが激昂した。 「九十九……! いや道満ッ! よくも……!」
「お前の負けだ、カガチ。お前のやり方はあやかしの『本質』を何も理解していない。ただ利用し破壊するだけだ。そんなものに秩序は創れない」
「……」
カガチは私を殺すような目で睨みつけた。 だが次の瞬間、彼は不気味に笑った。
「……いいや。わたくしの勝ちだ」
「……何だと?」
「お前が呉葉の呪いを浄化したその瞬間に。呉葉がこの聖域で完全に『無』に還ったその瞬間に……この伊勢の神域の結界に完璧な『穴』が開いた。……わたくしの『真の第五の楔』はすでにその穴を通って、この国の『心臓』へと打ち込まれたぞ」
「……!?」
八咫烏が叫んだ。
「……いかん! 皇居の方角じゃ!!」
カガチは高笑いと共に闇の中へと姿を消した。
「さらばだ、道満。お前の過去の清算ごっこは、この国の『終わり』の序曲となったわ!」
「……九十九さん……」
オサキが呆然と私に寄り添う。 私は呉葉が消えた空間をただ見つめていた。 過去は清算できた。だがその代償として、カガチは最終目的の第一段階を達成してしまった。
「九十九殿」
八咫烏が傷ついた翼を引きずりながら、私の前に一つの小さな勾玉を差し出した。
「これは天照大神様からの報酬じゃ」
「……報酬?」
「うむ。『八咫の導き』。これを持つ限り、お主は日本のいかなる神域、いかなる結界も通行を許可される。……カガチを追え。奴の企みを阻止できるのは、もはやお主しかおらん」
私はその重すぎる報酬を握りしめた。 「オサキ。東京に戻るぞ。あやかし社会の秩序の防衛はまだ終わっていない。 ――いや、今まさに始まったところだ」
私の本当の戦いが、今始まる。
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