File30.ミニマリストの家の座敷わらしと、無形資産(アセット)による幸福のFile30.
「九十九さん、次のクライアントですが……彼の住環境は、ある意味で現代社会の最先端と言えるかもしれません」
オサキはそう切り出すと、一枚の部屋の写真をタブレットに表示した。真っ白な壁に、磨き上げられた床。そこにあるのは一台のベッドと小さな机だけ。窓からは、計算され尽くしたかのように美しい光が差し込んでいる。 しかし、その空間には生活の匂いが全くと言っていいほど感じられなかった。
「クライアントは、この部屋に住み着いている座敷わらしの『小鞠』君です。ご覧の通り、この家の主は極端なまでのミニマリスト。物が何もない。遊ぶための玩具も、隠れるための押し入れも一切存在しない。その『無』の空間が、彼を精神的に追い詰めています」
オサキは、一枚の調査メモをスワイプして見せた。そこには走り書きでこう記されている。 『特記事項:本件、クライアントは当初カガチ経営コンサルティングにも接触。提案内容は「ミニマリズムを精神病理の域まで増幅させ、家主の魂を空っぽにし、より強力な“空虚の神”を呼び込む依り代とせよ」というもの。クライアントがこれを拒絶し、当事務所へ』
その一文を読んだ瞬間、私の指が持っていた湯呑みを強く握りしめた。 ……また、あの男か。カガチ。 奴はいつだってそうだ。あやかしの本質を捻じ曲げ、最も安直で最も破壊的な方法で目先の利益を追求する。クライアントの魂がすり減ることなど、何とも思っていない。
「……九十九さん?」 私の表情の変化に気づいたオサキが、心配そうに声をかける。
「……いや、何でもない。ただ昔を思い出しただけだ。似たようなやり方で全てを失った、愚かで……悲しいあやかしの顔をな」 私は思考を振り払い、目の前の案件に集中した。 「オサキ、小鞠君をここに。奴のやり方がいかに浅はかで無価値なものか、我々の仕事で証明してやろう」
事務所にやってきた小鞠君は、まるで色を失ったように透き通って見えた。
「……毎日毎日、ただ部屋の真ん中に座っているだけなんです。福をもたらそうにも、そのきっかけとなる『物』も『出来事』も何一つ起こらない。僕は、もう消えてしまうのかもしれない……」
「小鞠君。あなたは大きな勘違いをしています」 私は、その小さな福の神の目を見つめた。 「あなたの仕事場は、『物』で溢れた物理的な空間ではない。あなたの真の仕事場は『その家に住む人間の、心の中』です。そしてミニマリストの心の中は決して空っぽではない。むしろ、研ぎ澄まされている」
私の提案は、彼の『福』の与え方を物理的な事象から精神的な充足へと完全にシフトさせる、価値観のコンバージョンだった。
一、提供価値の再定義:『物質的幸運』から『精神的充足』へ。 「ミニマリストが求める幸福とは何か? それは『持たない豊かさ』です。彼らが厳選した数少ない『物』が最高のパフォーマンスを発揮し続けること。そして何物にも煩わされない、静かで澄み切った精神状態を維持できること。それこそが彼らにとっての至上の『福』なのです」
二、新たな業務内容:『空間のキュレーター』。 「あなたはこれから『静寂の守り手』となるのです」 具体的な業務はこうだ。
家主が愛用するたった一つのコーヒーカップに、決してヒビが入らないようそっと守る。
家主が仕事で使うノートパソコンが、最も重要な場面で決してフリーズしないよう、その電子の流れを穏やかに保つ。
窓から差し込む光の角度をほんの少しだけ調整し、部屋の中に最も美しい光と影のコントラストを創り出す。
「あなたはもはや、隠れて悪戯をする子供ではありません。家主本人でさえ気づかないレベルで、その空間の『質』を完璧な状態に維持し続ける、誇り高き空間のキュレーターなのです」
小鞠君の目に、ゆっくりと本来の輝きが戻っていった。 それからというもの、そのミニマリストの家は変わらず物一つない静かな空間だった。しかし、そこには不思議なほどの『充足感』が満ち溢れていた。 家主はなぜかは分からないが、自分の生活が寸分の狂いもなく完璧に調和していることを感じていた。仕事は捗り、心は常に穏やか。それが目に見えない福の神の完璧な仕事の結果であることなど、知る由もなく。 小鞠君もまた、物のない空間で光と影と戯れ、音の響きを楽しみ、家主の穏やかな心に寄り添うという新たな『遊び』と『仕事』に深い満足感を得ていた。
後日、事務所に小鞠君が以前とは比べ物にならないほどくっきりとした姿でやってきた。彼がそっと差し出したのは、光の粒を固めて作ったような、小さな透明な宝玉だった。
「さて、九十九さん。お待ちかねの報酬です」 オサキが、その宝玉を恭しく受け取った。
「クライアントより、『心の静寂』を頂戴しました」
「効果は?」
「はい。今後、我々が怒りや混乱、あるいは雑念によって思考が乱れ冷静な判断ができなくなった際、この宝玉を握れば一瞬にして心の波が凪ぎ、湖面のような静けさを取り戻すことができるとのことです。究極の精神安定ツールです」
それは、いかなる時もコンサルタントとして最も重要な冷静な思考を保証してくれる、最強の守りだった。 私は、その冷たく滑らかな宝玉を静かに懐にしまった。
「オサキ。展開部の案件はこれで終わりだ」
「はい。File.11のアマビエから始まり、実に様々なクライアントがおりましたな」
「ああ。そして、あの男……カガチの影も次第に濃くなってきた」 私は窓の外の夜景を見つめた。奴のやり方は必ずどこかで大きな破綻を招く。その時、誰がその歪みの代償を払うことになるのか。
「次のステージに進むぞ。より深く、我々の本質に関わる領域へ」
「承知いたしました。……早速、次なるクライアントから緊急の連絡が入っております」
「クライアントは?」
「はい。かの有名な、『ぬらりひょん』様、ご本人です」
「……ぬらりひょん、だと?」 それは、あやかしの総大将とも言われる、掴みどころのない大物の名だった。
「ええ。なんでも『何者かの手によって、長年かけて築き上げてきた“あやかし社会”における自身の絶対的な“信用”と“影響力”が意図的に毀損され、組織が崩壊の危機にある』と……。これは単なる経営相談では、済まないかもしれません」
ついに来たか。あやかし社会の根幹を揺るがす巨大な事件。そして、その背後にあの男の影を感じずにはいられない。 物語は、核心へと向かう。
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