File3.沼津深海人魚のマッチングアプリ戦略とKBFの再定義について
「九十九さん、次のクライアントですが……かなり切実です」
オサキが差し出したタブレットには、とある大手マッチングアプリのプロフィール画面が映し出されていた。ハンドルネームは『麗しのウオヒメ』。自己紹介文にはこうある。
『わらわは深海の姫。悠久の時を生きておりまする。趣味は月光浴と、沈没船に眠る財宝の管理。誠実な殿方との出会いを求めております。まずは海の上でお話ししとうございます』
アイコン写真は、顔半分が陰になった逆光の自撮りで、背景には不気味な難破船が写り込んでいる。年齢は律儀に「348歳」と入力されていた。
「……」
私は無言でこめかみを押さえた。言いたいことは山ほどある。
「これで『いいね』が3件。全て海外のUMA(未確認生物)研究家からです」
「だろうな。これはもう事故だ。クライアントが何一つ市場を理解していない。深海と現代社会の間に横たわる、絶望的なまでの情報格差を感じる」
クライアントは、駿河湾の深海に住む人魚の姫君。地上で暮らす人間との真剣な恋に憧れ、アプリを始めたものの、全く成果が出ずに我々の事務所の門を叩いた、というわけだ。
「恋愛コンサルは専門外だが、これも突き詰めればマーケティングだ。自分の価値を定義し、ターゲットに的確に届け、購買意欲、つまり『会いたい』と思わせる。やることは同じだ。オサキ、沼津へ飛ぶぞ」
「はい。クライアントとの面談は、亥の刻(夜10時)に、港の一番奥の船着き場にて」
「わかった。彼女のKBF――Key Buying Factor、顧客が購入を決める際の最も重要な要因――を、根本から再定義する必要がありそうだな」
夜の沼津港は、潮の香りと静けさに満ちていた。指定された船着き場の縁に腰を下ろし待っていると、月明かりを反射して、きらりと光るものが水面に現れた。
「……あなたが、九十九、どの?」
水面から顔を出したのは、濡れた髪が星のように輝く、絶世の美女だった。下半身が魚であること以外は、完璧な造形だ。彼女が今回のクライアント、『ウオヒメ』様だった。
「わらわの何がいけないのでございましょう? プロフィールには、偽りなき真実を書いておりますのに……」
悲しげに眉を寄せる彼女に、私はきっぱりと告げた。
「ウオヒメ様。真実を書くことと、相手に魅力が伝わることは全くの別問題です。あなたのプロフィールは、例えるなら『原材料表示』だけを羅列した高級菓子の箱です。美味しそうな写真も、素敵なキャッチコピーも何もない。それでは誰も手に取りません」
「きゃっち……こぴい?」
「はい。これからあなたに行っていただくのは、『パーソナル・ブランディング』の全面的な見直しです。あなたは『348歳の深海魚人』ではありません。『海を愛する、ミステリアスで美しい女性』なのです」
私のテコ入れは、彼女の自己認識を180度転換させるものだった。
一、プロフィール写真の全面差し替え。
プロのカメラマンを雇い(もちろんあやかし専門の)、夜の海で撮影会を敢行。月明かりに照らされた美しい横顔、波間で楽しそうに微笑む姿など、「人間と変わらない魅力」と「人魚ならではの神秘性」を両立させた奇跡の一枚を撮り下ろす。
二、自己紹介文の完全リライト。
年齢は「秘密」に変更。自己紹介は以下のように修正した。
『沼津の海が大好きです。趣味は夜の海辺の散策と、綺麗な貝殻集め。普段は少し専門的な仕事(海洋関係)をしています。穏やかで、一緒にいて落ち着ける方と出会えたら嬉しいです。まずはカフェでお話ししませんか?』
沈没船のくだりなど、相手が引いてしまう情報は徹底的に排除する。
三、会話シミュレーションの実施。
「最初のデートで『鱗が乾燥するから』と席を立ってはいけません。リップクリームを塗り直す、くらいの理由にしておきなさい」「ご自身の寿命の話も厳禁です。相手の男性が、自分のちっぽけさに絶望してしまいます」
オサキを相手に、何度も面接ならぬ面談練習を重ねた。
「……わらわは、こんなにも嘘を重ねねばならぬのですか」
「嘘ではありません。『情報の最適化』です。全ての情報を開示する必要はない。相手が知りたい、そしてあなたが伝えたい魅力から、優先順位をつけて提示する。ビジネスの基本です」
ウオヒメは半信半疑だったが、藁にもすがる思いで私のコンサルを忠実に実行した。
その結果は、言うまでもない。
リニューアルされた彼女のプロフィールには、かつてないほどの『いいね』が殺到した。特に、地元の水族館に勤める誠実そうな青年や、海洋学を学ぶ大学院生など、彼女のターゲット層にぴったりの男性たちから、ひっきりなしにメッセージが届いた。
数週間後。沼津港が見えるお洒落なカフェのテラス席で、私は報告書を読んでいた。
「九十九さん。ウオヒメ様、今週末に水族館勤務の男性と初デートだそうです。『最近、肌の乾燥が気になって』と、上手な口実で30分おきに席を立つ練習も完璧、とのこと」
「そうか。上出来だな」
テーブルの上に、きらりと光るものが置かれた。バスケットボール大はあろうかという、完璧な球体の真珠だった。
「クライアントからの報酬です。なんでも、千年に一度しか採れない『月光の涙』という品だそうで」
「ふむ。財務諸表に載せにくい資産だが、まあいいだろう。換金せずに取っておくか」
私は立ち上がり、海に向かって背伸びをした。
恋がどうなるかは、彼女次第だ。だが、我々の仕事は終わった。彼女はもう、自分の魅せ方を知っている。現代社会という大海原を泳ぎ抜くための、小さな浮き輪は渡してやれたはずだ。
「さて、事務所に戻るか、オサキ」
「承知しました。」
「次はもう決めてある。東京の都心部だ。クライアントはろくろ首。慢性的な首の凝りと、それに伴うQOL(生活の質)の低下に悩んでいるそうだ。最適なオフィスチェアと枕の提案を求められている」
我々の仕事に、不可能の文字はない。
たとえそれが、物理法則を無視した悩みであったとしても。




