File26.ぬりかべの観光地化問題と、体験価値提供による事業再生について
「九十九さん、次のクライアントですが……現在、仕事場で深刻なストレスに晒されている、と」
オサキはそう言ってタブレットに一枚の観光パンフレット画像を表示した。『パワースポット巡り! 伝説の“ぬりかべ”に会いに行こう!』という陽気な見出しが躍っている。写真には巨大で平たい岩のようなあやかし――ぬりかべに、観光客たちがもたれかかり楽しそうにピースサインをしている姿が写っていた。
「クライアントは、このパンフレットの主役である、ぬりかべ様ご本人です」
オサキは苦々しい表情で続けた。
「彼が長年人々の行く手を阻んできた仕事場の山道が、数年前に市の文化財に指定され、今やご覧の通りの有様です。彼の『阻む』という神聖な行為は記念撮影の背景と化し、その巨体は子供たちの落書きのキャンバスになっています」
面談のために訪れたその山道は、まるでテーマパークのような賑わいだった。土産物屋まで建っている。そして道の真ん中には、観光客の喧騒にうんざりした様子でぐったりと鎮座する本物のぬりかべがいた。その表面には『令和参上』などという不届きな落書きまで見て取れた。
『…………もはや、誰も我を乗り越えようとはせぬ。ただもたれかかり、叩き、汚すだけ……。我は壁ではないのか。ただの珍しい岩なのか……』
彼の、地鳴りのような、しかしあまりに悲痛な心の声が私の脳内に直接響いてきた。
これは、伝統ある職人技が大衆消費の波に飲み込まれ、その尊厳と本質を失ってしまったという悲劇だ。彼の仕事はもはや労働ではなく、ただの『展示』になってしまっている。
「ぬりかべさん。あなたの怒り、そして悲しみはよくわかります」
私は彼の巨大な体を見上げ言った。
「問題はあなたの価値が失われたからではない。あなたの価値を誰にどう提供するか、その『市場戦略』が完全に間違っているだけなのです。ご提案します。あなたを『不特定多数向けの観光名所』から『選ばれた挑戦者の前にのみ立ちはだかる、至高の試練』へと、そのブランド価値を再構築しましょう」
私のコンサルティングは、彼の仕事場を『公園』から『道場』へと、その性質を180度転換させるものだった。
一、事業環境の再整備。
まず、私は市の観光課と交渉した。『文化財の尊厳保持と、より質の高い体験価値の提供のため』という名目で現在のオープンな観光を停止させ、『完全予約制の有料体験プログラム』へと切り替えることを認めさせた。市にとっては管理コストが削減でき、新たな財源も生まれる。断る理由はない。
二、ターゲット顧客の選定と、提供価値の再定義。
「あなたの新たな顧客は観光客ではありません。『本気で壁を越えたいと願う、求道者』たちです」
心身を鍛えたい武道家。精神統一の場を求める経営者。自らの限界に挑みたいアスリート。あるいは、結界術の修行をしたい若き陰陽師たち。
「あなたは彼らの前に立ちはだる、越えるべき『壁』そのものになるのです。もはや記念撮影の背景ではない。あなたを乗り越えること自体が、彼らにとっての『価値』となるのです」
三、サービス内容の高度化。
「そして、ただ阻むだけではいけません。挑戦者の実力に応じて、その難易度をあなたが自在にコントロールするのです」
初心者には少し頑張れば越えられる高さで。達人級の挑戦者にはほんの少しだけ動いてみせたり、その表面の硬さを変化させたりして決して越えさせない。あなたは単なる障害物から、挑戦者の成長を促す『偉大なる師範』となるのだ。
山道は、再び静寂を取り戻した。
しかしそこはもはや、誰にも見向きもされない場所ではない。週に数度、真剣な眼差しをした挑戦者たちが、たった一人でその壁に挑みに来る。
ぬりかべは、生まれ変わった。
彼は本気でぶつかってくる挑戦者たちを全力で阻む。その表情には、かつての誇りと仕事への喜びが満ち溢れていた。挑戦者たちもまた、人知を超えた偉大な壁との対話に深い満足と己の未熟さを感じて山を下りていく。
後日、事務所にぬりかべが小さな石の板の姿で訪れた。それは彼自身の体の一部を丁寧に削り出したものだった。
「さて、九十九さん。お待ちかねの報酬です」
オサキが、その石板を厳かに受け取った。
「クライアントより、一族に伝わる秘宝『どこでもぬりかべ』を頂戴しました」
「効果は?」
「はい。この石板をいかなる空間――それが廊下であれ、道であれ、空であれ――に置くと、一時間だけ誰にも破壊できず、誰にも通り抜けられない不可視の『壁』が出現する、とのことです。究極の物理的防御壁です」
それは、あらゆる追跡を断ち切り絶対的な安全地帯を作り出す、究極の防御ツール。これほど頼もしい守りはない。
私は、そのひんやりとした石板の重い感触を確かめ、厳重に保管した。
「さあ、次の準備だ」
「承知いたしました。次は……少し皮肉なご相談です」
「ほう?」
「はい。クライアントは『貧乏神』です」
「彼が、どうかしたのか」
「ええ。ご存知の通り、彼が取り憑いた企業や個人はことごとく不運に見舞われます。しかし、その『絶対的な不運を呼ぶ能力』が逆に、現代の投資家たちの間で『最高の逆指標』として注目されてしまったそうです」
「……逆指標?」
「はい。『貧乏神が投資した株は絶対に暴落する』と。彼の動向を探ろうと常に大勢のトレーダーに監視され、プライベートが全くない。その状況に心底うんざりしている、と……」
どうやら次は、自らの不幸を呼ぶ能力が意図せずして他人の莫大な富を生み出してしまっている、皮肉な運命を背負った神のプライバシー保護と新たな生き方をコンサルティングすることになりそうだ。
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