表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あやかし専門コンサルタント・九十九さんの業務日誌  作者: 神楽坂 湊


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/50

File17.けらけら女のメンタルヘルス不調と事業内容のピボットについて

「九十九さん、次のクライアントとの面談場所ですが……新宿の、旧・合同庁舎ビルの屋上です」


オサキは珍しく憂いを帯びた声で言った。


「クライアントは『けらけら女』。繁華街に現れ、突如として天を衝くほど大きくなり、けたたましく笑うだけのあのあやかしです。ですが……」

オサキは言葉を区切り、一通の霊的通信記録を私に見せた。それは近隣の地蔵菩薩を通じて送られてきた、か細く途切れ途切れのSOSだった。


『――笑え、ないのです。笑い方が、わからなくなってしまいました』


新宿の夜景を見下ろす、風の吹き抜ける屋上。そこにクライアントはいた。巨大であるはずのその姿はおぼろげで、半透明にかすみ、まるで陽炎のようだ。彼女は大きな体を小さく縮め、ただ静かに泣いていた。しゃくりあげる声は、街の喧騒にかき消されそうだった。


「かつては、全てが愉快でした」

彼女はか細い声で語り始める。

「慌ただしく道をゆく人々、千鳥足の酔人、恋人たちの睦言。その全てが滑稽で愛おしく……それらを見るだけで、自然と笑いが込み上げてきたのです。しかし、いつからか……聞こえてくるのは人々の心の声ばかり。将来への不安、SNSでの誹謗中傷、孤独、焦り……。あまりに重く暗い感情が私の魂に流れ込み続けて……もう、何を見ても面白いと思えないのです」


これは深刻な『職業性ストレスによる、うつ状態』だ。

彼女のビジネスモデルは、街の感情を笑いに変換すること。

しかし現代社会という『仕入先』から、あまりに質の悪い負の感情という『原材料』を過剰に摂取し続けた結果、彼女の処理能力は限界を迎え、システムダウンを起こしてしまったのだ。


「けらけら女さん。あなたは感受性が豊かすぎ、そして真面目すぎる」

私は静かに言った。

「今のあなたに必要なのは、無理に笑うことではありません。まずはその有害な労働環境から物理的に離れることです」


「ご提案します。これより、あなたの『心のデトックス』と『事業内容そのもののピボット』を開始します」




私のコンサルティングは、精神科医のように彼女の心に寄り添うことから始まった。


一、デジタル・デトックス

「まず、新宿から離れましょう。あなたには『休暇』を処方します」

私は彼女を、都心から少し離れた大きな公園へと移した。そこには幼稚園が併設されており、日中は子供たちの屈託のない純粋な歓声に満ちている。負の感情が一切ない、清浄な場所だ。

「ここで無理に面白いものを探す必要はありません。ただ、この穏やかな空気を魂で感じるだけでいいのです」


二、認知行動療法とインプットの選別。

数週間後、少しずつ気力を取り戻した彼女に、私は新たな思考法を教えた。

「あなたは街全体の『マクロな不安』に心を蝕まれてしまった。これからは、もっと小さな『ミクロな喜劇』に意識を集中させるのです。鳩にパンを奪われるサラリーマン、滑り台を逆走して叱られる子供、自撮りに失敗して変な顔になる若者……。探せば世界は、まだまだくだらなくて愛おしい喜劇に満ちています」


三、事業内容の再定義:『驚かす笑い』から『癒す笑い』へ。

そして、最後の仕上げだ。

「あなたの笑いは、もう人々をただ驚かすためだけのものではありません。あなたの新たな使命は、その笑い声で人々の心を少しだけ軽くする『笑いのセラピスト』です。あなたが心から笑えば、その純粋な波動は周囲に伝播し、理由もなく人々をクスリとさせる。ストレスに満ちた現代社会へ一瞬の『無意味な笑い』を提供することこそ、今のあなたにしかできない尊い仕事です」




ある晴れた日の午後。

公園の砂場で、園児たちが必死に山を作ってはカラスに崩される、という不毛な攻防を繰り返していた。そのあまりに無垢で、あまりに滑稽な光景に、彼女はふと息を漏らした。

それは、小さな小さな笑いの種火だった。

やがて、それは「くすくす」という笑いになり、最後には天にも届くような、あの「けらけら」という朗らかな大笑いへと変わった。

しかし、その笑い声はかつてのように人々を恐怖させるものではなかった。

公園でスマホを見ていた母親がなぜかクスリと笑った。難しい顔で電話していた営業マンの口元がふと緩んだ。彼女の笑いは、周囲の人々の心に小さく温かいさざ波を立てていた。

彼女は、自分の新たな存在意義をその身をもって実感したのだ。


後日、すっかり元気になった彼女が事務所に礼に訪れた。

その帰り際、彼女は嬉しそうに、そして少し照れくさそうに大笑いした。するとその目からぽろりと巨大な涙が一粒こぼれ落ち、それは地面に落ちる寸前に虹色に輝く水晶へと変わった。


「さて、九十九さん。お待ちかねの報酬です」

オサキが、その水晶を丁重に拾い上げた。


「クライアントより、『喝采の涙』を頂戴しました」


「効果は?」


「はい。今後、我々やクライアントが絶望的な状況や緊張感が極限に達した場に陥った際、この水晶を砕けば、その場にいる全員が理由もなく大爆笑の渦に巻き込まれるとのこと。いかなる深刻な問題も、この強制的な爆笑の前には一度その緊張がリセットされる、と」


それは、究極のアイスブレイクツール。交渉のテーブルを一瞬でひっくり返せる、とんでもない切り札だった。

私は、その美しくも馬鹿げた報酬を大切に懐にしまった。


「さあ、次の準備だ」


「承知いたしました。次のクライアントですが、すでに事務所でお待ちです。……かなり、多人数で」


「ほう?」


「はい。武蔵野の森に住まう、古狸の一族の長老衆です」


「狸、か。何か困り事か?」


「ええ。なんでも彼らの住処である森を含む大規模な都市再開発計画が市議会で進められているそうで、彼らは実力行使で計画を阻止すると決めたとのこと……」


「……実力行使?」


「はい。『次期市長選に、一族の若きエースを人間に化けさせ、立候補させて当選させる』と。我々には、その選挙対策本部の選挙プランナーになってほしい、とのことです」


どうやら次は、化け狸が市長を目指すという前代未聞の選挙戦を、裏で操る総指揮官を務めることになりそうだ。

私のコンサルティングが、ついに政界にまで進出する。

宜しければ、評価、ブックマーク!宜しくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ