File1.古民家カフェの座敷童とエンゲージメント率の改善について
神保町の古書店街、その裏路地にひっそりと佇む雑居ビルの三階に、『九十九経営コンサルティング』の看板はあった。看板と言っても、真鍮のプレートに小さく刻まれているだけなので、探す気のない人間にはまず見つけられない。それでいいのだ。我々のクライアントは、基本的に人間ではないのだから。
「――というわけで、次のクライアントです、九十九さん」
湯気の立つほうじ茶を差し出しながら言ったのは、私の秘書兼調査役のオサキだ。見た目は利発そうな銀色の狐だが、今は器用に二本足で立ち、タブレットを操作している。尻尾がぱさりと揺れた。
「資料、転送しました。クライアントは座敷童。都心から少し離れた『古民家カフェ はこべ』に住み着いている個体です」
「座敷童、ねえ。伝統的な福の神だが、最近は業績不振の相談が多いな」
私はタブレットに表示された資料に目を通す。カフェの外観、メニュー、周辺の競合情報。そして、小さな女の子の姿で写真に写り込んだ、今回のクライアントの姿。
「彼女のKPI――重要業績評価指標は、言うまでもなく『店の繁盛』だ。それが機能不全に陥っている、と」
「はい。店主の老婆が店を畳むことも考えているそうで……。自身の存在価値に関わる、と息も絶え絶えにご連絡を」
「分かった。早速、現地へ向かおう。オサキ、車を」
『古民家カフェ はこべ』は、その名の通り、時が止まったような趣のある場所だった。縁側から見える小さな庭には、季節の花が健気に咲いている。だが、平日の昼下がりだというのに、客は誰もいなかった。
「……お待ちしておりました」
店主の老婆に案内された奥の和室で、小さな声がした。見れば、赤い着物を着たおかっぱ頭の少女が、畳に手をついて深々と頭を下げている。今回のクライアント、座敷童の『おハナ坊』だ。
「この度は、よしなに……」
「九十九です。早速ですが、お悩みをお聞かせいただけますか」
私の単刀直入な問いに、おハナ坊はぽつりぽつりと語り始めた。昔は、ただいるだけで店は繁盛したこと。だが最近は、客足がめっきりと減ってしまったこと。このままでは、大好きなおばあさんが店を閉じてしまうかもしれないこと。
「わたくし、福の神失格なのでございましょうか……」
うつむく彼女の瞳から、ぽろりと大粒の涙がこぼれた。
私は店内を見渡し、オサキがまとめた資料と照らし合わせる。
「おハナ坊さん。いくつか質問よろしいですか。あなたの『福』は、具体的にどのような効果を顧客にもたらしますか?」
「へ? ええと……ささやかな幸運、とでも申しましょうか。無くし物が見つかったり、恋文が上手く書けたり……」
「なるほど。効果が曖昧で、かつ定量的でない。これでは現代の消費者には訴求しません」
「そきゅう……?」
きょとんとする彼女に、私は続けた。
「あなたの提供する価値は素晴らしい。しかし、その価値が誰にも認知されていない。マーケティングの完全な失敗です。つまり、問題はあなたの能力ではなく、戦略にあります」
私は一枚の企画書をテーブルに広げた。
「ご提案します。おハナ坊さん、あなたには今後、『いるかいないか分からない福の神』ではなく、『会えたらラッキーな、カフェの看板娘』へと、ご自身のブランドを再構築していただきます」
私の提案は、こうだ。
一、SNSアカウント(Instagram)の開設。
店主のおばあさんに協力してもらい、カフェの公式アカウントを開設。「#古民家カフェ」「#隠れ家カフェ」といったタグと共に、「#会えるかもしれない座敷童」というハッシュタグを戦略的に使用する。
二、限定シグネチャーメニューの開発。
おハナ坊をイメージした「わらべの福来るクリームあんみつ」を開発。ランダムで金平糖がひとつだけ桜の形になっており、「見つけたら幸運が訪れる」というギミックを仕掛ける。
三、おハナ坊さんによる、ささやかな『演出』の実行。
これが最も重要だ。特定の席に座ったお客様のコーヒーカップの角砂糖が、ふわりとひとりでに転がって落ちる。あるいは、誰もいないはずの次の間から、くすり、と小さな笑い声が聞こえる。
「今の、もしかして……?」
そう思わせる、ささやかな怪奇現象。それこそが、現代における最高の『体験価値』となる。
「……わたくしが、お客様を驚かせろ、と?」
「驚かせるのではありません。楽しませるのです。お客様が『本物だ!』と確信し、誰かに話したくなるような体験を提供する。その結果生まれるUGC――ユーザー生成コンテンツ、つまり口コミこそが、最も強力な広告塔となります」
おハナ坊は戸惑っていたが、店を救いたい一心で、私の提案を受け入れた。
それから一ヶ月。
『はこべ』のインスタグラムには、可愛らしいあんみつの写真と共に、「#本当にいた」「#角砂糖ころがった」「#絶対また来る」といったハッシュタグを付けた投稿が溢れかえっていた。
「座敷童に会えるカフェ」の噂は瞬く間に広がり、かつて静まり返っていた店には、若い女性やカップルが列をなしていた。
縁側でほうじ茶をすすっていると、店主のおばあさんが深々と頭を下げた。
「九十九先生。本当に、ありがとうございました」
「いえ。成功報酬はきっちりいただきますので」
私の視線の先、満席の店内で、おハナ坊が忙しそうに立ち働いていた。客のテーブルの小皿を少しだけ揺らしたり、会計の伝票をそっと隠してみたり。その表情は、自信と喜びに満ち溢れていた。彼女はもう、自分の存在価値に悩んだりはしないだろう。
「さて、九十九さん。今回の報酬ですが」
オサキが私の足元で囁く。
「店主殿から『あんみつ一年分食べ放題パス』を頂戴しております」
「悪くない」
私は立ち上がり、店の入り口へ向かう。
「オサキ、次のクライアントは?」
「はい。SNSでの炎上に悩む、八王子の天狗です」
古き良きあやかし達もまた、この複雑な現代社会の荒波の中で、必死に生きている。
そんな彼らに、ほんの少しの道標を示す。
それが『九十九経営コンサルティング』の仕事なのだ。
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