小説を書く練習は日頃から行うべし
ネット小説の多くは地の文(叙述)を削ることで読みやすさを優先し、展開をつぎつぎに見せるようなものが多いでしょう。
しかし多くの(一般的な)小説は、これからはじまる展開を想起させるような文章による表現で、読んでいる人の想像をかき立てる工夫がされています。
地の文を「余計なもの」と考える人は、そもそも小説などの読み物を、読むにも書くにも不向きな人です。
ミステリー小説でもファンタジー小説でも、大衆文学でも文学作品でも。地の文のない小説なんてありえません。
地の文の少ないものもありますが、多くの小説は現実感を大切にするために、細かな描写が求められています。
登場人物がいる場所について、その空気感や情景。そこから感じている登場人物の想いなど。書くべきもの、表現すべきものは多様です。
外を歩いたとき、テレビなどで映像を見ているとき、その風景を伝える文章を考える癖をつけましょう。
「見る」というのと同じくらい大切なのが「感じる」という感覚的なものです。
ただ家の外に出て、「七月になったばかりなのに暑いなあ」ではダメです。
文章を書く人は、そこでなんらかの書き出しを考えるくらいはしましょう。
感覚的なものを文章にする作業。
見たものを文章で伝える作業。
それらを表現する文章。
そうした物事の文章化。それこそが描写であり、それが地の文を書く訓練になります。
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クーラーの利いた室内から外に出ると、熱気と湿度で体が重くなった気がした。
肌を焼く日差しが雲の陰から現れて、強い日差しに思わず目を細める。
青い空を埋める大きな入道雲に向かって旅客機が飛んでいく。
大きな雲はかなり高くまで背を伸ばし、旅客機の機体はその雲の下を通過して、白い雲の下にある灰色がかった薄雲の中に姿を隠した。
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といった感じで、ベランダから見えたものを頭の中で文章にしてみたり。
そうした日常の中で感じられるものを積極的に文章にする。周囲の物事を、頭の中に文章表現で捉えてみる。
何かを感じたときの、その瞬間を切り取る、文章による表現。感覚から得られた情報を文章にしてみる。
見たもの、感じたものを文章にする。それが訓練になります。
文章がうまく人に伝わるものになるかどうかは、多くの作品の中から学んだり、あるいは実際に人に読んでもらって(ネット上ではなく現実で会っている人に、が1番良い)感想を聞く。
文章が上達するこつは、こうした訓練が1番だと思います。
小説は映像作品ではないので、文章で読み手に想像させるものです。
地の文をもっと読み、書いていきましょう。──まあ、自分もずっと練習中なんですけどね。