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1(本編)

数日前、ついに「勇者が魔王を討った」という凱報が国中を駆け巡った。

スェンレリカ王国では、何年も前から不作が続き、疫病のような病が流行していた。

そんな中、王国は調査の末、「魔王の存在そのものが大地を枯らし、空を曇らせ、魔瘴や疫病を広げている」と発表した。


王国は魔王討伐のために周辺国に助力を求めたが、協力国は一つも現れなかった。

やむを得ず自国で勇者を立てては送り出してきたが、その多くが使命を果たせぬまま命を落とした。


数年間それが繰り返され、今回の勇者は一体何人目だったのか。

「どうせまた駄目だろう」──人々がそう諦めかけていた頃、その凱報が届いた。

勇者一行が王城へ戻り、数日間の療養を終えた後に凱旋式が執り行われるという。

だが、それを待たずして国中はすでに祭り一色、お祝いムードに包まれていた。


しかし、そんなことはエディには関係のない話だった。

せいぜい影響があるとすれば、人々の財布の紐が緩みやすくなり、人通りが増えて「仕事」がしやすくなることくらいだ。


エディは、スェンレリカ王国の城下町の路地裏に暮らす孤児だった。

両親の顔は殆ど覚えていないが、そりゃそうだろうなと言う流れでここにたどり着いたことを覚えている。


エディは、特に裕福でも貧しくもない家庭に生まれた。

だが、魔王討伐に徴兵された父は帰らず、病弱な母が幼い子を育てるにはあまりに無理があった。

エディは幼いながらも、この生活が長くは続かないであろうことを察していた。

エディは、どこか達観した子どもだった。なぜなら、彼には“生まれる前の記憶”があったからだ。


所謂「前世の記憶」というもので、こことは違う世界だったことだけはっきりわかるが、自分の名前も住んでいた国も思い出せない。現状を受け入れつつも、価値観や考え方はそちらに引きずられていた。

今の両親にどこか違和感があったのは、前世での両親と過ごした時間の方が長かったからかもしれない。

違和感はあっても、今の家族に情がなかったわけではない。エディも幼いなりに、できる限りの手伝いをした。

ただ幼い体ではできることも少なく、母親が儚くなるのは早かった。

そこから頼る親族もなかったエディは、一人で生きていくために孤児となって今ここに居る。


この城下町で暮らす孤児は多い。その多くはストリートファミリーとして小さなグループを作り縄張りを守ったり、助け合ったりするのだ。

エディの暮らす地区では、グループ同士が縄張りさえ守れば争いは起きず、情報のやり取りをする程度で、基本的には互いに干渉しないという暗黙のルールがあった。

エディも何度かファミリーに入らないかと誘われたが、どこにも属することはなかったし、属したいとも思わなかった。

ファミリー内は上下関係がはっきりしているぶん、取り分やその他のルールも厳しい。

それに「ソロ」の方が、縄張りに縛られず自由に動けて気楽だった。


「ソロ」とは、どのグループにも属さずに生きる孤児たちのことを指す。

彼らは少数派でありながら、一人でも生き抜けるだけの強さを持つ者たちだ。

大抵は年長者で、乱闘になっても負けない腕っ節を持っていたり、あるいはどこか異様な雰囲気を纏い、本能的に「関わってはいけない」と思わせるような存在だった。


エディは、そのどちらにも当てはまらない。だが代わりに、相談役として頼られることが多かった。

前世の記憶により知識が豊富で、揉め事の仲裁や困りごとの解決に長けていたからだ。

報酬をもらうこともあるが、エディの主な「仕事」は──スリ。

前世の記憶のせいで罪悪感が胸を刺すこともあったが、生きるためには背に腹は代えられなかった。


もともとこの街に流れ着いたばかりの頃は、物乞いで生計を立てていた。

透き通るような青白い肌。月明かりの下では青く輝く、漆黒の濃い髪。無表情ながらどこか寂しげな、青みがかった灰色の瞳──。

言葉遣いや所作にも品があり、路地に座っているだけで人目を引いた。

その美しさと儚さは、裕福そうな大人たちの目にとまりやすく、声をかけては礼儀正しく「施し」を乞う。

エディの見目や振る舞いは、高貴な者たちの間で好評だった。ひもじい思いをせずに過ごせる程度には、十分な施しを受けていた。

だが、そうした日々も永遠には続かなかった。一定の年齢を超えた頃から、事態はややこしくなっていった。

美しさを保ったまま成長したエディは、中性的な美少年として成熟していった。

その結果──「施し」ではなく、「エディ自身」を求める者たちが現れ始めたのだ。


実際、孤児として育ち、やがて路地裏から巣立っていった者たちの中には、「売り」を生業に日銭を稼ぐ者も少なくなかった。

だがエディは、前世の知識と先人たちの姿から学んでいた。

性病にかかって命を落とす者、客の暴力で傷つく者、心を蝕まれて立ち直れなくなる者。

運よく生き抜いたとしても、「旬」を過ぎれば仕事が途絶え、行き場を失っていく。

──それがこの路地裏の現実だった。

だからこそ、エディは物乞いをやめ、スリで生計を立てる道を選んだのだ。


この路地裏で生きる孤児たちの多くは、大人になると犯罪組織の末端に組み込まれたり、そうでなければ「真っ当な仕事」とは程遠い、低賃金の職に就かされる。

たとえ働けたとしても、奴隷のように使い潰されるのが関の山だった。


そんな現実を知っていたからこそ、エディはいつかこの場所を出るために、少しずつ金を貯めてきた。

そして、ここ数日──町が凱報に沸くその隙に、これまでで一番と言っていいほど稼ぎを上げていた。

それがきれいな金でないことは、エディ自身が一番わかっている。

だが、それでも構わない。この金を元手に、そろそろ別の街へ移り、「真っ当な仕事」を探す頃合いかもしれない。


見知った顔は多いが、いちいち挨拶する気にはなれなかった。

荷物と呼べるほどの持ち物もない。必要なものだけをまとめて、明日にでもここを出よう。

そう思うと、もう二度と踏み入れないかもしれないこの見慣れた風景が、どこか感慨深く思えてくる。

寝蔵へと続く道を歩いていると、見かけない顔ぶれの孤児たちが、ひとつの場所に集まり、何かを囲んで騒いでいるのが目に入った。


もしリンチでもしていたら厄介だ。

やった・やられたでファミリー同士の争いに発展すれば、この辺りが騒がしくなる。

ここはエディの寝蔵も近い。明日のことを考えれば、今夜は穏やかに過ごしたかった。


「何をしているの?」


「なんだお前、関係ねーだろ!」


「おい、やめろ!そいつ、この辺りの相談役だ。手を出したら面倒なことになるぞ!」


エディが、少し距離を取りながら声をかけると、近くにいた孤児が掴みかからんばかりの勢いで絡んできた。

だが、エディの顔を見たグループのボスらしき年長者が、すかさずそれを制した。


「僕は君たちのことは知らないけど、僕のことは知っているようだね。

ここは君たちのテリトリーじゃないでしょう?騒ぎを起こすのは、あまり歓迎できないな」


「コイツが、俺のファミリーを傷つけたんだ」


そう言って指さされた先に目を向けると、エディの視界に“それ”が入った。

“それ”は地面にべったりと張りつくようにして、静かにそこにいた。

子猫ほどの大きさ。だが、ふわふわした毛も、つぶらな瞳もない。

ただの漆黒──粘性を帯びた闇の塊。輪郭はぼんやりと曖昧で、息をするようにじわりじわりと形を変えている。

光をほとんど反射せず、まるで視界に空いた穴のように、周囲から浮いて見えた。


表面はつるりとしており、スライムのよう。人を害しそうな見た目ではないが、エディの背筋を撫でるような寒気が、“それ”に関わるべきではないと告げていた。

こういうときのエディの勘は、あまり外れたことがない。

丸く収めて、関わらずに済ませるのが得策だ──そう判断した。


「それには、あまり関わらないほうがいい。僕の勘はそうそう外れない。

僕が“それ”を引き取るよ。君たちのファミリーの症状と、被害者の人数は?」


「二人だ。一人は軽いが、もう一人は傷が深くて、熱を出してる」


「わかった。じゃあ、これで明日の朝いちばんに医者へ行くといい。……お前は、こっちにおいで」


そう言ってエディは、手持ちの金から相場より少し多めの額を渡し、“それ”をそっと持ち上げた。

面倒ではあるが、町の外れの人通りの少ない場所へ放ってくるつもりだった。


「チッ……お前、それ、見た目よりずっと凶暴だぜ」


「ふぅん。……君ね、人目のないところで離してやるから、大人しくしていてくれると嬉しいんだけど」


怪我を負わせたというわりには、エディの手の中でおとなしく収まっている“それ”を見つめながら、金を受け取った少年がつぶやいた。

果たして言葉が通じているかはわからないが、エディは“それ”に言い聞かせるように静かに語りかけた。

そのときだった──


「お迎えに上がりました」


他に誰の気配もなかったはずなのに、突如として背後から──ゾクリとするほど澄んだ、冷静な声が響いた。

その瞬間、エディの血の気が引き、毛が逆立ち、全身が本能で警鐘を鳴らしていた。


……そこからの記憶はない。

気がついたときには、その場に倒れるようにして目を覚まし、すでに朝を迎えていた。

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