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パグの森

作者: 森川めだか

パグの森




「早く、早く」サッカーをしに行く少年たちにロータスは混じって駆けていた。

私がミラサの遺体を発見したのはその時だった。

時には思い出話をするようにあなたのことを思い出したくなるのよ。

ミラサはバスケットゴールに首をつって死んでいた。

糸杉が周りに見える。ここは森の近くの公園。

ミラサの遺体は垣根の茂みに上手に隠れてたから、男の子たちは普通に遊ぼうとしてた。ここは自殺者がよく集まるところだから誰もミラサだと気付かなかったのだろう。

「ったく」

ボールを持っていた男の子はそれをロータスの前の地面に投げ付けた。

「お前のせいだからな」



 繁殖を終えたバッタがカマキリに自らを差し出すように今、夏が終わろうとしてる。

私は一人、教室に残されていた。校庭では皆が砂を蹴散らして遊んでいる。

いつもは優しい女の先生が近づいて来た。

「ロータスさん、ミラサさんと仲良くしてたわよね。何か知らない?」

「確か、グ・・グリコーゲンとか何とか」

「殺された人を聞いてるんじゃないの」

そうだ、ミラサのお母さんがお父さんだった人の再婚相手を殺してしまったのだ。

母親は情状酌量でも出て来られないらしい。

「知りません、私」

「そう、残念ね」

先生の手が私の肩から滑り落ちた。

民主主義の国に生まれて私の知っている悪魔にさえ人権が宿る。

先生が行った後でもロータスは一人、残っていた。ノートに「BROWN、BROWN」と書き続けていた。

ミラサが最後に残した言葉だ。私に言った。

「どうしても詩書くと僕ってなっちゃうよね」語らったことがあった。

その思い出は嘘つきじゃないんだよ。

それからロータスは一人で登校し、男の子のサッカーに混じることもなかった。

「毎日、学校に何しに行ってるの?」成績表の生活態度を見て母が言った。

「学校休むと留年になっちゃうから」

ロータスはまた横になりつまらない手を電灯に向けた。

「行かなくていいよ」

「え?」

「そんなに辛いんなら行かなくていいよ。そう言わなきゃ、お母さん後悔しそうだ」

それからロータスは小学校に行かなくなった。クラスの誰も心配してくれない。学校から離れるように眼鏡をかけ始め、一人でどこへでも行った。

カモマイル諸島からは出られないのだけれど木の模様を持つ蝶や銀河湖に行くと気持ちが落ち着いた。

ベロアのライオンに天井にはインディアンの羽。初めて行ったミラサの部屋。

もしかして私がサッカーに行かなければ死なずにすんだかも知れないのじゃないか。そう思うとロータスは浮桟橋から木の種子を投げた。



 ロータスの現在。ロータスは今、ハウスケニアのグロッサリーで働いている。中学校進学を機にアルバイトを始めた頃からずっとここで働いている。まだこの街に住んでる。

「たくさん汗かいてくれてありがとう」夏の制服から冬の緑の制服に着替える頃だ。

大して生活の役に立たない物を並べてどれくらい経つだろう。

ハウスケニアは年々売り上げが落ちている。ロータスの働くグロッサリーだってトマトの紙パックが少し減るくらいで、アンチョビーだとか子供のお菓子作りキットなんかは減らない。

ロータスも近所の量販店で買ってしまう。

朝はまず泥そうじから始まる。近所の川から流れてきた店前の泥を掃き出す。

「ブロッコリーはどこにあるの」

ある日、パグを連れたご婦人の客が商品を補充していたロータスに聞いた。

「生鮮売り場にあると思いますけど」

「乾燥させたブロッコリーよ」

「乾燥させた?」

「あっちにはあったわ」量販店のことを言っている。

ロータスには慣れた沈黙が空いた。

「今、何て言ったの」

「何も言いません」

「そう? 私には聞こえた。ガーディアンかしら」

ロータスの目に赤い顔が見えた。

お前のせいだからな。

パグはハッハと言って、ご婦人はグロッサリーの角を曲がって見えなくなった。

ロータスは横目でレジに並んでいるのを見た。

気の遠くなるほど長い消費期限を見て、どうしてこんなに減らないのに毎日、発注するのだろうと思ってた時に、ハッハとまたパグが横にいた。

「本当に何もないわね」さっきのご婦人が嫌がらせに来たのかと思った。

「申し訳ございません」

「いいの」ご婦人はちょいとナンプラーの小瓶を取ると清算後のレジ袋に入れた。

ロータスはこんな時に唾がたまって飲み込むのに何も言えなかった。

ご婦人はロータスを見て少し笑って、パグに何か言って帰っていった。

パグは店を出る時、振り向いたが、そこには嘲りも馬鹿にしたような素振りもなく尻尾を揺らして泥の匂いを少し嗅いで、出て行った。



 ミッチ、ブブカ、ニコア。学校を辞めてからできた私の友達だ。

銀河湖を見に森の中へ行くと、ツリーハウスの上からブブカに声をかけられた。

ブブカは男の子で二人の女の子じゃ足りなかったのだろう。

「みんな心配してるよ」ミッチが手を握って言った。

みんな中学に行くんだろうけど、私は働こうと思うと言うと「いいじゃん」と言われた。

木の上は寒いから手をほぐす。

誰が持って来たのかトランプで遊んでる内に、ロータスはjackを引いた。

「ここの人たち、ジャックスにしようよ」

「ジャックス?」

「一番寂しいカードだから」ロータスはスペードのジャックを手前に置いた。

「ミラサのこと、まだ引きずってんのか」

「一生、思い出すと思うけど」

「いいよ、ジャックス。私たち、ジャックス」

ジャックスは「近所の悪ガキがしそうなこと」を大抵やった。

増えも減りもしなかった。

大人のフリをして、ブカブカのジャケット、テーラードジャケットは胸が開くからボタンを留めないでそのままポケットに手を突っ込んだ。

近くの川で女だけで煙草を吸ってしゃべくっていた。眼鏡を外すと誰も関係ない表情でロータスは横を向いた。

「ロータス、眼鏡外すといいよ」

「何がいいの」

「美人に見えるから」

「じゃあ、働く時だけかけることにする」と約束した。



 学校を休むと留年するというのは迷信だが、ガーディアンは本物だ。怒り、悲しみ、恐れ。人間の苦悩だ。この森を守るという人々はそれに従っている。

青い顔は怒り。

冬が降る前にこびとは全ての仕事を終わらせる。

古くから化生神話が伝えられている。

自分の名前、蓮は水中に口を開けている。

黒と白に分かれて椅子に足を上げている。白い素足と黒のTシャツ。

ミラサの誕生日も知らない。

自分一人でキッシュを作って食べた後だった。

「ん、おいしい」

粘土のような喉は言葉を知らない。

化生神話では女の股の間から太陽が上がり、口の中で蝉が繁殖するという。永遠に続くサイクルの中に私たちはいて、その代わりにガーディアンに守られている。

そうしていつか消える電灯の下で今日も働いている。ロータスは眼鏡を上にして顕微鏡のように自分の部屋の天井を見た。

外では雪が降っている。

「やな雪」

明日もハウスケニアでは泥そうじをしなくてはいけないのか。ロータスはキルティングヘリンボーンの上着を手だけで引き寄せた。



 BROWN、彼女の言っていたことは何だったのか。まだジャックスの誰にも言ってない。

ロータスは回り道をしてツリーハウスを避けて、銀河湖に来た。

本当はマガモだけが私の友達。

ロータスは右足だけ靴と靴下を脱いで湖につけてみた。

中に入っていくと湖の下だけ冬。ロータスは頭を上げた。やがて冬になる。

肥えた土の赤が指にひっかかって取れない。

街からは新しくできた量販店行きのバスが出ている。昼に行ってみた。

そこでは街一番に賑わっていて空港に行ったことはないが、空港みたいに大きい。

みんな泥だらけの底の靴を履いてるのがお里が知れる、というものだ。

みんな物珍しげに見て回っている。空の買い物かごを持ってはいるが一種のレジャー施設のようだった。

パグを連れた家族がいた。パグはまだ子犬だ。

ロータスはそれを抜けてグロッサリーに来た。人が多過ぎて落ち着かなかったからだ。

グロッサリーには比較的、人は少なかった。グロッサリーだけで何棚あるのだろう。スパゲッティの種類だけで下の段が埋められている。

よく行くハウスケニアには埃の積もった一種類しかないのに。

ロータスは常日頃からフェルメールの「牛乳を注ぐ女」のようになりたいと思っていた。あんな風に暮らせたらいいかもな。

「グロッサリーかあ」

帰りの地下の駐車場で待っていた。観光バスのように運ばれてくる人たち。帰りの本数は少なくて乗る人もまだ少なかった。次々来る観光バスが高さ制限の波に飲み込まれていく。

そうして今、銀河湖に来ている。この街は雪が降ると宇宙に変わる。

学校を離れてもいてくれる友達たちだけど、私が学校を辞めたから友達になったんだよね。

ロータスはその足でまたツリーハウスを通らないで、ハウスケニアのグロッサリー売り場のアルバイト募集の張り紙を剥がして取った。



「早く、早く」サッカーをしに行く少年たちが駆けて行く。

みんな靴の底が泥だらけなんだ。それに公園の砂がまぶされて金粉のようになる。

雲が流れていくように私の視界が変わった。

BROWNは茶色が血のように赤いからだ。

少年たちはボールを追いかけてまるで雁の群れのようにフォーメーションを組んでその先頭にボールがある。横から取った方が早いんじゃないのか。

所詮は子供の浅知恵。キルティングヘリンボーンを来たロータスは公園に進み出て、ボールを追う子供たちがそばを通りがかった時、横からサッカーボールをプンと蹴った。どこまでも飛んでいけ。

パグにももう会うことはないだろう。

いつか忘れ去られるんじゃないのか。あの森のように。

「お前のせいだからな」悔しげに男の子がロータスに言った。他の子供たちはもうボールを探しに森へ向かって走っている。

ロータスは鼻で笑った。



「牛乳を注ぐ女」のようにはなれなかったけどささやかな自分の部屋を持っている。

もうミラサの顔も思い出せない。

言いそびれてしまった、今が一番幸せ。

「何だよ」

一生忘れられない出来事。

「友達になってやってんだろ!」

自分が仲間はずれにされるのが嫌だっただけ。

桃色に日が明けていく。

日がボンヤリただピンクに見えた。

パンを紅茶にひたして。

BROWN。

BROWN・・。


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