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2 シシグマ王子(3)


「その枝、棘があるから気をつけてね。草の方は、この辺のエリアだと全部踏みしだいちゃって大丈夫だから」

 ――そうして始まった北の森の案内は、簡潔な注意喚起の言葉以外交わされずに進んでいった。というか、それ以上の会話が難しい、というのが実際のところである。

 何しろ魔物が住まう北の森は、人間が歩くには非常に険しい。定期的に行なわれる魔物討伐の討伐隊メンバーすら涙目になる悪路なのだ。

 足元の悪い獣道、いつまでも続く坂道、行く手を塞ぐ藪や枝――その厳しい道中は、体力だけでなく気力までも容赦なくゴリゴリと削っていく。気楽なおしゃべりなどしている余裕はないのだ。黙々と足を動かすことに集中して、二人はひたすら先を行く。


 実際のところ、カナタとしては今日の案内はもっと表面的なものにするつもりだったのだ。しかし妙に積極的なジークに押し切られて、結局それなりの奥地まで足を踏み入れることになってしまった。

 お貴族サマの彼がついてこられるだろうかと最初は心配だったが、粛々とカナタの後を追うジークの足取りに乱れはない。どうやら並の兵士よりもよっぽど鍛えているようだ。


「もう少し歩いたら、この歩きにくいエリアは終わるよ。薮がなくなって背の低い植物ばっかりになるから、だいぶ楽になると思う」

「よしっ! そこまで行ったら、そろそろ昼ごはんにしよーぜ。もうヘトヘトだ……」

「そうなの? 全然音を上げないから平気なのかと思った」

 疲れ切った言葉に驚いて振り返るが、後ろを歩くジークの顔に疲労のひとつも浮かんでいる様子はない。


 カナタと目が合ったジークは照れくさそうに目を伏せて頬を掻いた。

「まぁ女の子の前で弱音を吐くのは恥ずかしいから、痩せ我慢してたんだよ……でもカナタ、このままだとどんどん先に行きそうだから、そろそろ背伸びするのはやめとこうかなってね」

 言葉は弱気だが、彼の歩くペースは一定で息も乱れていない。本気か冗談かイマイチ掴みかねているうちに、ジークは汗を拭って荷物を背負いなおした。

「休憩のめどが立ったから、元気が戻って来たよ。んじゃカナタ、引き続き頼むぜ」




 それから幾許(いくばく)もしないうちに、周囲の景色はがらりと様相を変えた。密林のようにひしめいていた茂みやツタ、捻じれた太い木々はまばらになり、代わりに背の低い多様な草花とひょろりとした細い木が現れる――まるでどこかに見えない境界線が存在しているかのように、その変化は顕著だ。

 振り返ると、今まで歩いてきた景色は真っ白な霧に完全に飲み込まれている。これでは今来た道を見出すことすら難しい。


「へぇ……森の奥ってこんな感じなんだ。随分雰囲気変わるんだな」

 興味深そうに周囲を見渡しながら、ジークは荷物を下ろした。

「案内ありがとな、カナタ。普段からこんな奥地まで来てるのか?」

「ここまで来ないと、大概の薬草は手に入らないからねー。見ての通り、植生(しょくせい)が全然違うんだ」

「そりゃ大変だ。今日ここまで来るのだけでも恐ろしく大変だったってのに、カナタはすごいな。まぁ、運良く魔物に遭遇しなかったから、これでも簡単な方なのか……」


 大袈裟に身震いをしながら感嘆する彼に、カナタは胸を張った。褒められるとすぐ得意になるのは、カナタの癖だ。

「ふっふーん、偉いでしょ。……ま、とは言っても普段は木を飛び移ったりしてショートカットして進むから、地面を歩いて進む今日の方が大変なんだけどね」

「それは……随分と身体が軽いんだな。俺に合わせてくれたのか、ありがとう」

 一瞬驚いたように目を見開いてから、ジークはそれの意味するところに気がついて礼を述べる。その素直な賞賛がこしょばゆくて、カナタは更に胸をそらした。

「もっと言うと、魔物が出ないって言うのも私のチカラなのさ! 大概の魔物は私の気配を感じると逃げ出しちゃうからね!」


 えっへん、と威張るカナタの言葉に、今度こそ驚愕したような視線をジークは向ける。

 しかし、ひと通りの自慢が終わったカナタはそんな反応を気に留めることなく「じゃ、ごはんにしよっか」と無邪気に話を打ち切ったのだった。




「いや、魔物が近寄らなくなるとか……どんだけアンタ規格外なんだよ……」

「どうしたー? お弁当、食べないのー?」

 呆れた呟きを意に介さないカナタの反応に肩を竦めると、ジークは促されたとおり地面に腰を下ろす。そして料理人から渡された包みをほどいた。


「あ」「あ」

 途端、二人の声がハモった。

「それ……」

 続きを促すジークの視線に、包みを指さしながらカナタは恐る恐る口を開く。

「食べない方が良いと思う」

「っ、わかるのか?」

「うん。毒入り……だよね?」


 カナタの言葉に頷いて、ぐしゃりとジークは手の中の包みを握りつぶす。その手の間から漏れ出るスパイシーなソースの香りがカナタの鼻をついた。あたりに漂う美味しそうな香りが、却って空気をやるせないものにする。

「そうか。カナタにも……わかるのか」

「むしろこれを感じ取れるなんて、ジークこそ人間なのに珍しいね……?」


 まあな、とジークは嬉しくもなさそうに唇を歪めて笑う。

「どうやら俺は、自分の命の危機に関して本能的な勘が鋭いらしい。いつの間にか身についていたこの能力のおかげで、暗殺対策はバッチリってワケ」

「……大変、なんだね」

 何と言っていいか言葉が見つからず、カナタは言葉少なに相槌を打つ。沈んだ顔の彼女を見て、ジークは噴き出した。

「そんな顔、するなって、カナタ。大丈夫、もう慣れたからさ」

「慣れたって……」

 命を狙われるような状況に慣れることの方がおかしいということに、どうして気づかないのだろう。言葉を失ったカナタを尻目に、ジークは毒入りのサンドイッチを丁寧に靴で踏みつけてから砂をかける。

「間違って野生動物が拾って食べちゃったら可哀想だからな」

 乱暴な仕草とは裏腹の、優しさに満ちた行動。




 その姿を見ていたカナタは、脳内でカチリとパズルのピースが嵌る音が聞こえた。

「……もしかして、その所為?」

「ん? 何が?」

「シシグマ王子の噂の癇癪(かんしゃく)って、その所為だったりする?」

「……っ!」


 ――完全に予想外の質問だったらしい。ジークは硬直したまま、何も言わない。

「食事をひっくり返すとか皿を叩きつけるとか言われてるけどさ、それって御膳を下げた後に誰かが手をつけないようにって配慮でしょ? そうやって考えると、シシグマ王子の評判とジークのイメージが全然違うのも納得できるもん」


 しばし沈黙してから、ジークは諦めたように笑って肩を竦めた。

「……やっぱり、すごいなカナタは」

 寂しそうな表情でジークはそっと視線を外す。

「まぁ、カナタの推察どおりだよ。別に俺はワケもなくキレたり威圧してるわけじゃない」


「どうしてそれを言わないの? 説明したらジークだってもっと周囲に受け入れてもらえるだろうし、警備だって厳重になるでしょうに」

「騒いでもどうせ罪のない平民が罰せられるだけだし、黒幕がダメージを受けるわけでもない。……こんなのは、ただの牽制だ。こっちが大人しくやり過ごしている限り、今のところヤツらはそれ以上のことはしてこない。下手に理解者を作ったときの方が危険なんだ」


「でも、そんなのって……!」

 思わず悲鳴のような声が出た。それじゃジークはいつまで経っても誤解されたままだ。見た目は厳ついけど動物好きで穏やかで、意外とお茶目な本当の彼の内面は伝わらない。誰にも理解されないまま、ジークはいつまでも独りぼっちになってしまう。

 でも、そんなことを彼に言っても意味がない。大きく息を吸って、カナタは無理やりに気持ちを落ち着けた。




「……じゃあさ、せめて」

 目まぐるしく脳内で考えながら、ゆっくりとカナタは言葉を紡ぐ。

「そんな立場が嫌になったら、ここに来ると良いよ」

「ここって……北の森にか?」

 うん、と頷いてカナタは強い瞳でまっすぐにジークを見つめる。

「ここで通用するのは、弱肉強食の掟だけ。身分も立場も、何の意味をもたらさない。ジークを値踏みする者だって居ない。ここは、ある意味でどこまでも自由な世界なんだ。ここでなら、ジークも解き放たれるんじゃないかなって……余計なお世話かもしれないけど」


「……っ!」

 大きく息を呑んだジークの瞳は、まるで泣き出す寸前のように不安定に揺れていた。

「それ、なら……」

 掠れた声で、ジークは必死に声を絞り出す。その手は、何かに怯えるようにギュッと強く握られている。

「カナタもここに居る時は俺を、ただの『ジーク』として見てくれないか?」

 ぽつりと口にされた願い。それ以上の言葉はなくても、それが彼にとって一番の望みであることは、痛いほどに伝わってくる。


「……ジークがそれを望むなら」

 少し迷ってから、カナタは小さく頷いた。

 ――本当は、その願いに頷いてはいけないとわかっていた。いくら望まれようと、相手は第一王子で、王族。無闇に近づくには、危険すぎる相手だ。


 でも、そんな判断なんて意味を為さないほど、カナタは気づけば彼に肩入れしてしまった。

 お互い素を晒して付き合うことのできる初めての友達――それは、カナタにとっても大きな魅力だったのだ。


「ん、ありがとう。嬉しいよ」

 晴れ晴れと笑って、ジークは右手を差し出す。その手をカナタはしっかりと取った。

 ガシッと交わされる力強い握手。それは、二人がまだ二回しか出会ってないとは思えないほどに親しみに満ちたものだった――。


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