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10 蠢めく陰謀(1)


 季節は確実に巡っていく。

 朝晩の冷え込みは、相変わらずジークの身体を芯まで凍えさせている。しかし、いつの間にか陽の当たる日中は、微かな暖かさを感じられるようになっていた。

 それ意識せねば気づかぬほどほどのゆっくりとした変化だけれども、春の足音となって静かに近づいている。


「お、珍しい」

 そんな優しい陽の光に誘われ、フラフラとあてどない散歩に出たところで。城壁の上で気持ち良さそうに眠る猫を見つけ、ジークはつい目を細めた。

 哀しいことに、大概の小動物は彼がそばに寄った途端に怯えたように逃げ去って行ってしまう。寝ている姿ではあっても、ここまで無防備な動物に近寄れることは滅多にないのだ。

 少しばかりの距離を置いて、ジークは微笑ましそうに昼寝に興じる猫を見守る。


 本当はその小さな頭を撫でてみたい。フカフカのお腹に顔を埋めて、太陽の匂いに包まれたい。叶わないことは承知の上で、そんな夢を見る。

 パタン、パタンと一定のリズムで地面を叩く尻尾は心地良さの表れだろうか。その動きに髪を梳かしている時のカナタの反応が思い出されて、ジークの唇が緩む。


「ふぎゃっ!」

 しかし、そんな和やかな時間はそれほど長くはもたなかった。何の前触れもなく猫は目を覚まし、そして尻尾を踏まれたような悲鳴を上げてあっという間に逃げていく。

 その一直線に逃げる後ろ姿を、肩を竦めて見送った。とはいえ、もうそんな反応にも慣れきってしまった。今更傷つくほどでもない。


 そういえば、この場面を初めてみた時のカナタは、恐ろしいほどのショックを受けていたな――そんなことを思い出して、心がほっこりした。

 打ちひしがれた、という表現がぴったりだった彼女の表情。動物たちが逃げ出していく光景を我がことのように嘆くその様子はジークの心は大いに慰めたし、何よりも非常に愛らしかった。

 その結果、謎の責任感まで発揮して「また尻尾触っても良いよ……」という言葉まで引き出せたのだから、ジークとしては逆に運が良かったとすら感じている。


 本当のところ、今はもうそれほど触れ合いに飢えているわけではない。確かにかつては居場所も友人も居ない現状を慰める存在が欲しくて、小動物たちに癒しを求めていた。

 でも、もう自分は孤独ではないのだ。居場所も、仲間も居る。触れ合いは、カナタの毛皮が撫でられれば十分。

 ……その発想が、いささか健全ではないことくらい自覚はしているけれど。まぁ、カナタが可愛すぎるのが悪いのだ。




 ――ご機嫌な散歩は、長くは続かなかった。

「良かった、ジーク。ここに居たのか!」

「リカルド、何かあったのか?」

 あわただしい足音と共に現れた友人。身構えたジークに、リカルドは時間が惜しいといった様子で細かく頷いた。

「ああ。何も聞かず、俺を信じてすぐここを去ってくれジーク。誰に何を言われようと足を止めず、今すぐまっすぐに辺境領を出るんだ、()()()()()

 早口でまくしたてると、俺は、とくしゃりと顔をゆがめてリカルドは少しだけ言い淀む。

「立場上、これ以上のことは言えないんだ。ただ、お前には生きていてほしい。どうか、言うとおりにしてくれないか」


「取り込み中失礼します、ジーク殿。伯爵がお呼びです。今すぐに執務室まで来るようにと」

「っ!」

「叔父上が?」

 二人の会話を遮った兵士の言葉に、リカルドの顔色が変わった。

「駄目だ! 行くな、ジーク! 早く、外へ!」

「リカルド……」


 必死の形相の彼に、肩を掴まれた。思わず顔を顰めてしまうほどの強い力だ。

 何が起きているのかは、わからない。しかしリカルドがジークに向けるその表情は鬼気迫っていて、自分がのっぴきならぬ状況に追い込まれていることを否応なしに感じさせる。


 その手をそっとほどき、ジークはリカルドにゆったりと笑いかけた。

「ありがとう、リカルド。お前には……本当に感謝している。でも、俺はここを離れることはできない。お前の言葉を信じていないわけじゃないんだ。ただ、俺は責任を果たさなくては」

「ダメだ、ダメだダメだ……!」

「叔父上は執務室だな? すぐに向かう」

「ジーク!」

 呼び止める彼の声に、振り返ることはしなかった。この判断がこれからの未来を左右することになるだろうと薄々察しながらも、伯爵のもとへと向かうジークの足取りに迷いはない――。




「叔父上、お呼びでしょうか」

「……ああ、入りなさい」

 低い声の返事と共に、深い飴色の扉が開かれた。出迎えるのは、古いが作りのしっかりとした机と、ぎっしりと本の詰まった本棚。ほとんどそれだけしかない執務室は、辺境伯の性格をよく表した内装だ。

 ジークはほんの少しだけため息を吐きだすと、まっすぐに顔を上げて室内へと足を踏み入れた。


 ――執務室で辺境伯に相対するのは、これが初めてではない。しかし、ここまで物々しく重苦しい雰囲気は今まで味わったことのないものだった。

 相手に気づかれないように緊張の唾をこっそりと呑み込んで、ジークは厳しい表情の伯爵へと向き合う。

「先ほど、王都から早馬があった」

 ぱさり、と机上に置いたのは、早馬が運んできた書状だろうか。机の上に肘を置くと、伯爵は重々しく告げる。

「陛下が、崩御なされたそうだ」

「……っ!」


 息を呑んで言葉を失ったジークに、伯爵は淡々と言葉を重ねる。

「急な病だったそうだ。これからひと月の間、国を挙げた葬儀が行なわれる予定だ」

「では、俺も王都に……」

「それには及ばない」

 きっぱりと言って、伯爵は心苦しそうにジークの目を見据える。

「第一王子である君には、今、クーデターの疑いがかけられている。国王の死を契機に武装蜂起をしようとしている……とね」


「なっ……!」

 あまりの言い草に、思わず声を失った。

「もちろん、私としてもこの話が言い掛かりであることは十分承知している。だが、こういった通達が出ている以上、君が葬儀に出向くのは悪手でしかないんだ。……わかるね?」

 黙り込んでしまったジークを見て、伯爵はやるせなさそうに嘆息した。


「君の気持ちも、よくわかる。私もこの地を預かる領主として、中央の理不尽な要求を許容するつもりはない。だが、今は情報が少なすぎるんだ。私は葬儀に参加しがてら、今後の趨勢(すうせい)を見極めてくる。私が帰ってくるまで、君は辺境領から動かないように」

「待ってください!」

「話は、以上だ。部屋へ戻りなさい。しばらくは外部との接触も可能な限り控えるように」

「そんな……叔父上、もう少し話を! 叔父上……!」




「くそっ!」

 有無を言わさず押し込められた自室で、ジークは苛立ちをぶつけるように机を殴りつけた。頑強な執務机はびくともせず、ジークの手にただ痛みだけが伝わってくる。


 ――父が死んだ。

 それ自体、気が重くなる(しら)せだというのに、己はその葬儀にすら立ち会えない。

 それどころか、自分の描いていたささやかな願いまでもが奪われようとしているのだ。なのに何もできずにいる自分が、もどかしくてたまらない。


(どうして、立太子の儀を待たずに死んでしまったのですか……)

 亡くなった父親に、届くはずのない恨み言を呟く。

 脳裏に思い浮かぶ父の顔はジークが少年の頃会ったときのもので、そういえば父親とはもう何年も顔を合わせてすらいないことに気がついた。


 父親らしいことをしてもらった記憶はひとつもない。親子の絆と呼べる記憶も何もない。

 それでも、彼にとって唯一の肉親が亡くなったということは、心のどこかにぽっかりと大きな穴をあけていた。ずるずると壁にもたれながら、力なくジークは座り込む。


(アイツが十五の成人を迎えて立太子がつつがなく済めば、解放されると思っていたんだがな……)

 自分の運のなさが、つくづく嫌になる。

 一人きりの部屋の中では、思考は陰鬱な方にしか向かない。伯爵が帰ってくるまでは外出も禁じられているから、人と会って気晴らしをすることもできない。要は軟禁状態だ。


(これから俺は、どうすべきなのだろう……)

 力なく瞼を閉じて、考える。しかし、その答えはいつまで経っても見つからなかった。




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