1 出会い(2)
――それは、一枚の絵画のようであった。
三つの頭を持つ魔獣に立ち向かう勇者、何万もの敵を一人で迎え撃つ救国の騎士――そうした伝説の英雄を描いた絵画を思い起こさせるような力強く、美しい姿がカナタの目に飛び込んでくる。
陽の光に透かされてふわりと光を放つ、短い金色の髪。彫像のように完成されたバランスの佇まい。引き締まった身体は屈強な戦士のようで、その背は長身のカナタが見上げる程に大きい。
その姿は、さながら金色の豹のようであった。野生的でありながら、高貴さを漂わせる獣の王者。近寄りがたい恐ろしさと、思わずひれ伏しそうになってしまうほどの風格。
中でも際立つのが、まるで宝石のように透き通るその鋭い紫紺の瞳だ。夜空を思わせるその謎めいた青色に、カナタの視線は逃れられず引き込まれていく。
一瞬。自分の状況も忘れて、その姿に見惚れてしまった。
……ほんの一瞬。でも、それは致命的な瞬間であった。
気怠げに、彼は視線を上げる――その瞳と、目が合った。
まるで磁石のように、その深い夜の瞳に惹きつけられていく。獣の混じる姿のカナタを見て驚いたように彼の瞳孔が僅かに開き、そして思わずといった様子で声を洩らす。
「アンタは……」
掠れた、予想よりも少し低い声。
その声を聞いて、カナタははっと正気に戻った。自身の状況を思い出し、慌ててその場を逃れようとくるりと踵を返す。
……しかし。
「医師のとこのお嬢さんだろう。名前は確か……」
淡々と背中に告げられる言葉に、駆け出そうとした身体が凍りついた。――私のことを、知っている……?
素性を知られているために逃げ出すこともできず、カナタはぎくしゃくと振り返る。途端に男の鋭い視線に射すくめられて、カナタは慌てて視線を逸らした。
相手は自分のことを知っているようだが、カナタにはまったく見覚えがない。これだけの美形であれば、記憶に残らないはずないのに。
どうすれば良いのかわからずにカナタは足に根が生えたようにその場に立ち尽くす。そんな彼女に目をやると、彼は少しいじわるく唇を吊り上げて笑った。
「別に逃げてくれても構わねぇけどさ。ほんの少し、アンタの素性を調べるのが面倒になるだけだから。……うーん、砦の兵士に聞けば良いのか? 犬のような耳と尻尾が生えている医師の娘さん、何者なんだろうな、って」
直接的で砕けた口調が、カナタを容赦なく追い詰める。
「っ……!」
とんでもない言い草に、思わず息を飲んだ。
カナタがこの地に生まれてから、もう十七年が経つ。薬を届けるために通っていることで、砦の兵士たちとも顔見知りの仲だ。
十七年かけて築いてきた居場所。だから余所者がそんな突拍子もない与太話を言い出したところで、すぐにカナタの立場が危うくなることはない。それだけの自信はあった。
……でも、秘密の漏洩はそんな小さな契機で広がっていくものだ。
彼のちょっとした言葉ひとつが自身の立場を崩壊させる発端になりうるのだと、正体を隠して生きてきたカナタはよくわかっていた。自身の境遇は、それだけ危ういものなのだ。
養父の、優しい笑みが目に浮かぶ。血のつながらない自分のことを、ただ友人に託されたからという理由だけで今まで育ててくれた養父。この身体のことこそ隠してきたものの、それ以外は本当の親子のように信頼関係を築いて来た大切な家族。
養父の穏やかな愛情と慈しみは、いつもカナタを支えてくれていた。この静かで平穏な生活を、こんなことで失いたくはない。
「養父は関係ありません! 義理の父で、私の身体のことは知らないんです! お願いです、このことはどうか誰にも言わないで……黙っていてください……!」
がバリと頭を下げる。その勢いに酔いの残る頭がくらりと眩暈を訴えたが、それどころではない。必死だった。
「お願いします、私にできることはなんでもしますから……!」
「良いぜ」
「えっ?」
あっさりと返された言葉が信じられなくて、反射的に顔を上げる。先ほどから一片も変わらない薄い微笑みが、カナタを見下ろしていた。整いすぎて感情が読めない、その微笑み。
「良いよ、黙っておいてやる。――俺のお願い、聞いてくれるんだろう?」
その楽しそうな声が孕む感情は好奇心か、加虐心か。それがわからなくても、カナタは頷くことしかできない。
――ほんの少しだけ、青年の唇が先ほどよりも満足げに釣り上がった。