3 少年とアッシュ(2)
「……って感じでさ」
長い回想を終えると、ジークはゆっくりと溜め息をついた。
「アッシュは掛け値なく、俺の命の恩人なんだ。せっかくまた辺境領に戻ってきたこの機会に、俺は叶うことならもう一度アッシュに会いたい。会ってお礼を伝えたい。俺が先日ここに居たのも、そんな理由さ。結局、まだ会えてないけどな」
「……尻尾、触っても良いよ」
「どうした、いきなり。無論、喜んで触らせてもらうけども」
唐突な提案を口にしながら、カナタはジークの視線を避けるようにくるりと背を向けた。
そっと差し出した尻尾は、カナタの感情を表すように落ち着きなくゆらゆらと揺れてしまっている。
でも、そちらに目を奪われてくれたらそれで良い。今のカナタは落ち着いてジークと目を合わせることなどできそうになかったから。
(待って、ジークってあの時の少年だったの……?)
実のところカナタは、混乱の真っ只中に落ちていた。
未だ思考が整理しきれぬまま、パチパチと忙しなくまばたきを繰り返す。
瞼の裏に蘇るのは、天使が空から落ちて来たのかと本気で考えてしまうほどに美しく、線の細い儚げな美少年の姿だ。
カラーリングこそ目の前のジークと一緒ではあるが、爽やかで健康的な明るい彼と記憶の中の繊細な少年。二人の印象はあまりにもベクトルが異なりすぎて、どう考えても結びつかない。
(……っていうか、そんなことはどうでも良くて!!)
迷走する思考回路を叱咤し、カナタはそれが意味するところを改めて考える。……しかし、何度考え直しても、その結論は向き合いたくない内容であった。
尻尾を嬉しそうに愛でるジークに気づかれないよう静かに肩を落とし、カナタは力なく空を仰ぐ。
(つまり、ジークが動物から避けられるようになったのって、私の所為ってコト……!?)
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
「ねぇ、カナタ。もしアナタがこれからの未来において生涯を掛けて守りたい、大切にしたいと思う相手を見つけられたのなら……」
――カナタの耳に、今は亡き母の声が蘇った。
「覚えておいて。アナタは、その相手と特別な縁を結ぶことができるの。……それは私たちだけが持つ、秘密の能力。大切な相手を守るための消せない絆。それさえあれば、二人の距離がどれだけ遠く離れたとしても、自分の能力を分け与えてその存在を守ることができるから」
「じゃあ私、お母さんとその縁を結ぶ!」
即座にそう返した幼いカナタに、母は眉を少し下げて困ったように笑う。
「残念ながら、それはできないわ。縁を結ぶことができるのは、男性だけだから」
「そうなの? つまんないなぁ……」
「この縁はね、ずっと一緒に居たい、家族になりたいって思った相手のためにあるのよ。……でも、覚えておいて。その相手を選べるのは一生に一度だけ。縁を結ぶ相手は、慎重に選ぶのよ」
「うん、わかった。大丈夫、任せて!」
真剣な瞳の母に元気よく手を上げてそう答えると、カナタは無邪気に胸を張った――。
ああ、そうだ。六年前のあの時。カナタにとっても、ジークは大切な親友だった。
当時のカナタは母を失ったばかりで、まだヒトとして生きていく覚悟もできていなかった。人目を避けて森の中でただ一人、ひっそりとその日その日を凌いでいた。
そんな彼女にできた初めてのヒトの友達が、ジークだ。その隣はとても居心地が良くて、心が通じ合う仲間が居ることの幸福を知ってしまった。ヒトを良いものだと思うようになったのは、間違いなく彼との出会いがきっかけだ。
――だから。
「私のジークに手を出すな!」
あの時、その大切なジークの生命が奪われそうになったことに、カナタは魂が震えるほどの怒りと恐怖を覚えたのだった。
天まで轟く咆哮を上げ、世界に向かって「ジークは自分のものだ」と高らかに宣言をする。――ジークと、『縁』が結ばれたのはその瞬間だ。
母の言葉はもちろん記憶にあったけれど、その時のカナタに迷いはなかった。彼を守ることに必死だった。
実際、その判断がなければ、おそらくジークは今日まで生き延びることはできなかっただろう。今になって気がついたが、ジークが先ほど言っていた『暗殺を回避する勘の良さ』は間違いなくカナタの繋いだ絆の恩恵だ。
――ただ、「誰もジークに手を出すな」という宣言は、想定以上に広い影響を及ぼしてしまったようで。
「私のものだ」とある意味所有の証をつけられてしまったジークは、常にカナタの気配を纏わせることになってしまったのだろう。結果、勘の鋭い小動物はその気配に怯えてジークから逃げ出すようになってしまった……と。
「俺、けっこー動物が好きで……」「何故か可愛がろうとしても怖がられて逃げられるんだよな……」
ジークが寂しげに口にした言葉が思い出され、カナタは脳内で手を合わせる。
(本っ当に、ゴメン……! まさか、私の所為でそんなコトになっていたなんて……!)
彼を守るための必要な犠牲と言ってしまえばそれまでだが、本人の預かり知らぬところでそんな業を背負わせてしまったことは素直に申し訳ない。
悶えたくなるような想いが募って、つい尻尾をびたん、と地面に打ちつけてしまった。
「こらこら、ジッとしてろって。梳かしてるんだから」
それを窘めるジークの穏やかな声が、今は胸に痛い。
そして、なお悪いことに。
カナタは「自分がアッシュである」と名乗ることも「ジークが動物から逃げられるのは私の所為である」と謝ることもできない状況に気がついてしまった。
(だって、そんな意味だって知らなかったんだもん……!)
誰も聞くことのない脳内で、カナタは必死に言い訳を繰り返す。徐々に早くなっていく鼓動と、どっと流れ出す汗。
しかしいくら言い訳をしようとも、純然たる事実は揺らがない。
子供の頃、迷わず結んだジークとの縁。その意味するところが、まさか……。
(まさか、あれが番を選ぶためのものだったなんて!)




