第34話 チンピラ
「こ、ここは薬屋だな……?」
ロロイに3つある薬師ギルド傘下の店の1つ、『バーナー薬剤店』の店主バーナーがそのチンピラを迎えたのは、開店直後の作業が一段落したときだった。
赤髪の薄汚れた男が、背を丸めて静かに店内へと入ってきた。左右をキョロキョロと見回し、落ち着かない様子で胸元のずだ袋を抱いている。男は他に誰もいないことを確認し、血走った目でバーナーに囁いた。
「……お、おい」
左右に首を振りながら、声を潜めて続ける。
「月下草を持ってきた」
月下草だと? バーナーは少し驚いたが、顔には出さなかった。
月下草は、薬や錬金術の材料として重宝される薬草だ。気まぐれに咲くその花は発見自体が困難で、流通量が少ないため高価で取引されている。多くの学者がその栽培に挑戦したが、未だ生育条件すら掴めていない、貴重な植物だった。
「買ってもらえるんだろ? なあ!?」
「……見せてみろ」
男はずだ袋をテーブルの上にそっと置くと、丁寧に口を開ける。
「いいか! 絶対騙すなよ!!」
「月下草はギルドの重要物資指定植物だ、騙して買い叩いたらギルドから追放では済まん」
植物を検めるバーナーを、男は落ち着かない様子で睨んでいた。顔が近過ぎて、すえた匂いが鼻を刺した。
特徴的な三日月型の葉、淡い黄色の花びら、内部に含まれる多量の魔力。【薬剤知識】もそうだと告げている。間違いない、月下草だ。しかも……かなりの上物。これだけの鮮度のものは薬師人生でも初めてだ、そう、まるでついさっき採取したばかりのような――
「……確かに月下草だ。状態もいいし、魔力量も十分。金貨10枚だ」
「よしっ! よしっ!!」
バーナーの台詞に、男は両手の拳を握りしめ何度もうなずいた。
月下草が有用な素材となるのは花が開いているときだけだが、開花期間が短い。その上、採取後すぐに処理する必要があるという取り扱いの難しさもあった。運良く発見できても、間違った方法で摘んでしまえばあっという間に無価値になる。その点、この月下草は文句なしだ。根を傷つけないよう、丁寧に周囲の土ごと掘り返されている。この男、粗暴に見えて根は繊細なのかも知れない。
バーナーは机の下から金貨を出すと、テーブルの上で10枚数えてみせた。男は血走った目をさらに充血させ、それを食い入るように見ていた。
受け取った金貨を小袋に入れた男は、懐に仕舞いならがバーナーに命令する。
「いいか、誰にも言うなよ? 絶対だ」
「安心しろ。月下草の買い取りはギルド以外に伝えることは禁止されている。お前さんがこの金を受け取った時点でこの事実は存在しないことになる」
薬師ギルドは素材の質を保つため、特定の相手とのみ取引している。一般人は冒険者ギルドに持ち込み、そこで査定を受ける。それが薬師ギルドに納入されるのだ。だが、それでは時間が掛かり過ぎるし、冒険者ギルドに入れない者も多い。このため、月下草を含め幾つかの素材は例外的に薬師ギルドの許可無く薬屋へ持ち込むことが出来た。入手方法等は一切不問にされたし、持ち込み人の情報も一切残さない。つまり月光草を発見し、適切な方法で採取し薬屋に持ち込む、それだけで少なくない金が手に入るのだ。月下草は幸運の証、誰にでもチャンスのある天からの贈り物として庶民の夢となっていた。バーナーも、こういった男の持ち込みに対応した経験が幾度もあった。
「しかしお前さん、綺麗に採取してきたな。そっちの才能があるんじゃないのか」
「へっ、薬草集めなんてやってられっかよ。オレはこの金で冒険者になるんだ!!」
男はバカにしたような口調で言うと、踵を返す。
「……まて」
「何だ!」
「この店から手ぶらで出てくのは怪しまれる。これを持っていけ」
「……いい、のか?」
バーナーは細い瓶を1つ男に渡した。
「ただの低級ポーションだ。あの月下草はかなり状態が良かった、多くの素材が抽出できるだろう。これくらい付けても十分な利益が出る」
「なんだと! じゃあもっと金貨を出せよ!!」
「だめだ、月下草の買い取り金額はギルドにより固定されている。上げも下げも出来ない」
「チッ! いや……助かったぜ」
「あまり興奮するなよ、目立つぞ。それから必要がないならここにはもう来るな。薬を売ってる店は他にもある」
「……分かったぜ、じゃあな」
そう言い残し、男は扉の外へ消えた。
まだ若い男だ、あの金で装備を整えダンジョンにでも入るつもりだろう。金貨10枚あれば最低限のものは整えられる。
「(……死ぬなよ)」
丁寧な採取の出来る人間は貴重だ、バーナーは陶器の瓶を拭きながら天に願った。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
「おう、首尾はどォだ?」
「ばっちりだね。はい、金貨5枚。」
僕は赤い頭を掻きながら財布を取り出した。
「ヘッヘッヘ、マジもんの金貨なんて初めてだからテンション上がるぜェ!」
豊成は早速一枚取り出して、ガジガジと噛んだ。
僕らが脱出計画を練るにあたって問題になったのは、カネだ。城の地下ではお金は必要ないしお給料も出ない。この世界の貨幣を入手する手段が皆無だった。魔物の素材も原産地で足がつくかもしれない。文無しの僕らが目をつけたのは、『薬草大全』に載っていた幾つかの薬草だった。身分証不要、即現金化の謳い文句に誘われダンジョンの森林階層や原野階層を荒らし回り、月下草を幾つか見つけることが出来たのは幸運だった。あまり使い所のなかった【植物知識】と【観察】は面目躍如の活躍だったし、僕らが身軽で人気の少ないとこに侵入できたのもよかった。
もっとも、ロロイの街に入るには通行料が必要で、素寒貧の僕らは換金前に早速詰みそうだった。入場口のそばに公式の買い取り所が用意されていなければ、泣きながら次の街までマラソンを続行するハメになるところだった。持ち込まれているブツを確認してトレントの外皮を放出、無事小金を手にして城壁の中へ入ることが出来た。
「月光草は後4株、ここで捌くのは危険かな。そっちは?」
「1時間後に西行きの馬車が出る。空きもあったぜ」
「じゃあそれでいいな、予約しに行こう」
◇◇◇◇ ◇◇◇◇
「あら~、ヤッチャイさんて言うんですか~? 珍しいお名前で……なるほど~砦の方からいらしゃったんですか~」
「はい、ケーンネルをぜひ一目見ておきたいと思いましてに」
「まあ、巡礼の方ですか~? いいですねえ~、ブラバルト教国。わしも死ぬ前に行ってみたいですのう~」
乗合馬車の1列前で、金髪の男が老婦人と歓談している。豊成だ。髪の色を変え、メガネを外し、口調も丁寧、2Pキャラより別人だ。隣のおばあちゃんは孫に会いに次の街ヘッケンまで行くらしい。すっかり仲良しになって、話に花を咲かせている。
「……」
「……」
僕の隣は、線の細い青年だった。横の危険人物におびえているようで、からまれないよう視線を下に向けて黙っている。僕の外見は目付きの悪い赤髪の駆け出し冒険者、【なりきり】スキルで気合を入れた結果、どこに出しても恥ずかしくないただのチンピラが完成してしまった。誰だ、【なりきり】じゃなくて【本人】スキルだとか言ってるやつは! 何も考えず選んだ変装だけど、すみません、こんな形で他人様にご迷惑をかけるとは思わなかったんです……。
「…………」
「…………」
お隣さんが震えてるの、馬車の振動に違いない。顔も青いけど、酔っちゃったのかな?
客車は激しく揺れ、発車10分にして既にケツが痛かった。まだ降り続く雨の中を4台の馬車と護衛達は連れ立って進み、大きなトラブルもなく旅程を終えた。隣のお兄ちゃんは終始具合が悪そうだったので、背中をさすってあげたら死にそうな顔をしてた。僕らはその後幾つかの街を経て、遂にタラス共和国の首都センネンへとたどり着いた。