第1話 召喚
よろしくお願いします。
これは恥ずかしい。
僕は胃のあたりがきゅ、と縮むのを自覚した。
あまりの羞恥感に一発で目の覚めた頭を軽く振り、床から体を起こして座り目だけで周囲を見回す。
音楽室二つ分はありそうな、薄暗い石造りの部屋。蝋燭の炎が怪しく照らし出す、細かい彫刻の施された中央の祭壇。声を潜めて言葉を交わすも、興奮を隠しきれないローブ姿の一団。床一面に描かれた魔法陣と、その上に投げ出された生徒たち。
どう見ても異世界転生だ。
そしてこれは夢だ。
もちろん僕も真っ当な高校一年生なので、男子三大夢想であるところの朝礼テロリスト、ショッピングモールゾンビ、そして異世界召喚について思いを巡らせたのも一度や二度ではなかった。そんな僕でも、ここまで直球の夢を見てしまうと流石に気恥ずかしい。お前、そんなにストレス溜まってたのか……と、つい自分の体調と精神を気遣ってしまう。
確かに昨晩は狙っていたレアアイテムが全然ドロップしなくて悪態をつきながら明け方までゲームに張り付いていたし、おかげで今朝はろくに睡眠も取れないまま遅刻ギリギリで教室に滑り込んだりもした。けど、まあ、よくある青春の1ページ、心労要因ではないだろう。
そう、今、僕は学校にいるはずだ。
襲い来る眠気をなんとかいなしつつ朝のHRをやり過ごし、一限目は生徒が寝ていようが早弁していようがお構いなし、ひたすら教科書を読み上げて板書するだけの授業だったので開始の礼から流れるようにタートルポジションへ移行、そのまま居眠りに突入した。
僕はよく明晰夢を見る方で――この話をすると、ほぼ全ての男子が羨望と嘲笑の入り混じった、微妙な視線を向けてくる――そこでは世界記録をいくつも更新したり、二丁拳銃で大立ち回りを演じたりするし、もちろん異世界転生ファンタジーも大歓迎だ。だけど、いかんせん今はタイミングが悪すぎる。ハッスルし過ぎてうかつに寝言で「ステータスオープン」などと口走ろうものなら、残りの高校生活を「なろう」と呼ばれて過ごすことになってしまう……!!
……人としての尊厳を賭けて、それだけは避けなければならない。くそっ、こんなことならレアドロップでマウント取るためだけに登校なんかせず、大人しくサボっておくんだった……!
しかし、まあ、折角の機会ではある。
夢というのはしばしシリーズ化するから、初回の世界設定さえ上手くこなせば以降はお楽しみ回の連発が狙えるものだ。幸い二限目も居眠りOKの授業、時間は十分あるし、何よりここまでド直球の異世界転生夢、見逃すのは実に惜しい。やらかし過ぎに注意しながらこの世界をいい感じに塗り替えてやろうじゃないか。
とすると、まずは情報収集だ。いくら自分の夢といっても、何でもかんでも思い通りになるわけじゃない。この世界を識り、その世界観に沿った屁理屈をひっつけてはこちらの理想に寄せていく。夢職人とは幅広い見識と確かな技術、地道な作業を厭わぬ高貴な精神性が問われるものなのだ。
僕はまだ冷たい床の上にあぐらを組み、改めて辺りを見回した。これが異世界召喚モノなら、あのローブの集団が魔法陣の主で、うち一人は主犯の王女様だろう。そして召喚されたのは僕たち1年G組――いわゆるクラス召喚というサブジャンルだ。
床に散らばったクラスメイト達は、半数ほどが目を覚ましているみたいだった。教師の姿は見当たらず、逆に見覚えのない顔が数人いる。他クラスの生徒だとすると、召喚のタイミングは休憩時間か? 友達同士で固まっていないあたり、まだ喚ばれて間もないのかもしれない。誰もが不安そうな顔で身を縮め、できるだけ目立たぬよう息をひそめながら様子を伺って――あっ、あそこ今ステータスオープンって言った!
……そうか、駄目か……。
ライトな転生モノならゲーム的なシステムがあったり特別なスキルに目覚めたりするのがお約束だが、イージーモードの夢じゃないということか。それとも、僕の自意識が必死の抵抗を試みているのか……おい、赤石穂積! 必死で本格志向を気取っても召喚された時点でどんぐりの背比べ、等しく言い訳のきかない黒歴史だぞ。つまらないプライド捨てて、ノーチートノー召喚の精神で自分の欲望と向き合うんだ!!
とりあえず真っ先にステータスオープンを試した小屋敷君は要注意人物リストに入れておこうと思う。
「あ、あの……赤石君……」
……さて、するとこれはどう判断すればいいんだろう?
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
僕の隣では、横座りした小森さんが怯えた様子でこっちを見上げていた。
この夢が僕の潜在的な欲望を反映しているなら、すぐ側に召喚されていたらしい彼女を特別な存在として認識していることになる。確かに小森さんは小さくまとまってて可愛いらしいと思うけど、せいぜいが女子の中では親しいクラスメイトという間柄。夢にまで見るような、といった距離感ではなかったはずだ。
それに小森さんが特別なら、真っ先にステータスオープンを試した小屋敷君もまた特別な存在のはず。だが、彼もただのクラスメイト、なにか含むところとか特別な思いを抱いているとかは……無いよね?
そもそも友好度的に一番近くにいそうな男は……部屋の逆側だ。生徒達の位置は席順でも名前順でもなくバラバラ、ただのランダムだろう。というかあいつ、まだ寝てるんだけど冷たくないのか……はっ、それともこれは、あいつがこのまま冷たくなればいいという僕の深層心理を――。
「赤石君……?」
「ごめん、ちょっと混乱してて。学校で居眠りしたと思うんだけど、小森さんは何が起こったか分かる?」
「ううん、私にも……。一限目が終わって、休憩に入って、そうしたらなんだか光が広がって……」
異世界召喚と言えば謎の光、謎の光といえば異世界召喚か自主規制だ。こういうところはスタンダードだな。
「そっか。うーん、なんにせよみんなを起こしたほうがいい気がする。ちょっと向こうまで行ってくるよ」
「う、うん。そうだよね、じゃあ私はこっちをやるね」
目立たないようにね、と言い残して身体を屈め、ほとんど四つん這いでクラスメイトの間を進む。怪我人は出てなさそうで一安心だ。ローブ達はこそこそと話を続けるだけで、動く様子はなかった。
道中でハブになりそうな何人かを起こしつつ移動、うつ伏せで間抜けな寝顔を晒しているアホの横にたどり着くと、左手で口を塞いで背中に膝を落とした。
「(ッ!!??)」
「(喋るな、静かにしろ)」
僕は吊り上がった目を向けてくる豊成を手で制すると、背中から降りて横にうんこ座りした。
「(……穂積、テメェどういう了見だ)」
「(説明するより周りを見たほうが早い)」
「(アァ……?)」
豊成はうつ伏せのまま器用に首だけを左右に振り、
「(……何だァこれは……!?)」
彼の顔に浮かんでいた怒りが、驚きに塗り替えられていく。
「(……神殿のような建物、祭壇、魔法陣、怪しいローブの集団、こいつァまるで……)」
「(そうだ、異世界転生だ)」
「(……!!!!)」
「(そしてお前のあだ名は"なろう"だ)」
「(や、止めろ!!!!)」
豊成はその巨体をよじって悶えた。額を脂汗でびっしょり濡らし、耳は真っ赤で、今でも叫び出しそうなのをぐっとこらえている。
「(おっと深谷豊成くん、目立つ行動を取るのは止めてもらえないかな。ここで変に目を付けられるのはまずい。しかし君、なかなか趣味のいい夢を見ているじゃあないか)」
「(ゆ、夢……?)」
「(当たり前だろ、異世界召喚とか現実にあるわけない。これは君の深層心理が君に見せている夢だよ。昨日は明け方までゲームに熱中していたんだろう。その記憶と寝不足の頭、そして君の秘められし願望が合わさりこんな素敵な夢を君に見せているんだ)」
「(ウ、ウオオ!!!!)」
顔を両手で覆い現実を拒否していた豊成はひときわ大きく身体をうねらせると、背後の壁に後頭部をしたたかにぶつけ静かになった。
「……いや、おかしい」
豊成はごろんと半回転してこちらに向き直ると、左手で眼鏡を押し上る。
「俺ァ今頭を打ったったが、普通に痛かった」
「夢だ」
「さっきお前に起こされた時も、俺ァ痛かった」
「それも夢だ。再現度が高いな」
「なるほど」
豊成は横倒しの状態から素早く跳ねて僕の右腕に飛びつき、肘の関節を極める。クソッ、あの体制から足じゃなく腕を狙うとは!
「(何をする! 早く離せ!!)」
「(おや、おかしいですねェ。夢なんだから何一つ問題のない行為のはずですが、一体どうなさったので?)」
ハッ、と豊成が鼻で笑いながらその手を離す。僕は解放された左肘に確かな痛みを感じていた。
「……おい、痛いぞ」
「痛いな」
「……マジなのか?」
「マジなんだろ」
僕らは二人して顔を見合わせた。
……えっ? 現実なの……?