第4話 結末
お父様、ロミ、ゴート様の三人は私の反応に苦笑いをしながら言葉を続けます。
「どうしたエナ、父に対してその態度はないだろう。まだあの時の事を気にしているのか?」
「話は聞きましたよお姉様。全部【ヘイトマスター】とかいうおかしなスキルのせいだったんですよね」
「まったく女神様のせいでとんだ災難だったねエナ嬢。私も最初からおかしいと思っていたんだ、ははははは」
三人は私に対して行った仕打ちを全く悪びれる様子もなく笑いながら言い訳を並べます。
そしてゴート様が一歩前に出て姿勢を正しながら言いました。
「さて、色々あったが誤解も解けた事だしこれで君は晴れて次期公爵である私の妻になれる訳だ。どうだ嬉しいだろう?」
「え? でも私はあなたの口からはっきりと婚約破棄を告げられましたけど?」
「そんな事を気にしていたのか。私たちが君に酷い事を言ったのは全部【ヘイトマスター】とかいうスキルのせいだ。あれは私の本心ではないから安心してくれ」
「……そうは仰いますけどロミの事はどうするんです? 真実の愛とやらはどうなさったんですか?」
「ロミの事もちゃんと考えてある。彼女は私の側室にする事にした。姉妹揃って私が面倒を見てあげようじゃないか」
「エナお姉様、これで私たちずっと一緒にいられるわ。どちらがゴート様のご寵愛を多く受ける事ができるか勝負しましょうよ」
「ええ……」
あろう事かロミもこの失礼極まりない提案に乗り気である。
ゴート様はロミの言葉に機嫌を良くしたまま言いました。
「そうだ、折角これだけの数の諸侯が集まっているんだ。今この場で私たちの婚姻を大々的に宣言しようじゃないか」
「嫌っ、止めて下さい」
私は思わず差し出された手を払い除けて後退りしました。
私が抵抗するとは夢にも思わなかったゴート様は驚き声を裏返しながら叫びました。
「な、何をするんだ!」
その素っ頓狂な声を耳にした宴会場の参列者たちが何事かと私たちに注目をします。
「なんだなんだ? 揉め事か?」
「あれはヤオッツ公爵家の倅じゃないか?」
「ああ、あの女癖の悪さで有名な……」
「いつも口先だけの男さ。ヤオッツ公爵も頭を痛めておられた」
「どうやらエナ嬢を口説こうとしてフラれたみたいですな。まったく良い気味だ」
「だ、黙れ!」
思わぬところで恥をかかされたゴート様は顔を茹で蛸の様に紅潮させながら喚き立てます。
「エナ、いつまで子供のように昔の事を根に持ち続けるつもりだ。そもそもお前の【ヘイトマスター】が全ての原因だろうが! そうだ、私たちの方こそ被害者だ!」
そう言いながらゴート様は右手を振り上げると私の頬に向けて勢いよく振り下ろしました。
しかしその掌は私に届く事はありませんでした。
隣で一部始終を眺めていたライン様が私の前に出てゴート様の腕を掴んだからです。
「見苦しい。そこまでにしておけ」
「邪魔をするな! どこの誰だか知らんが次期ヤオッツ公爵家当主であるこの私に刃向かうとただでは済まんぞ」
「ほう、どうするつもりだ?」
「知れた事、父上に頼んでその身柄を……うん? ひっ、お前……いやあなた様は!?」
ゴート様はライン様の顔をまじまじと見た後何かに気付いたようで慌てふためいて平伏すると産まれたばかりの小鹿のように身体を小刻みに震わせながら声を絞り出すように言いました。
「し……失礼しました殿下……」
「自分の思い通りにならないからといって暴力に訴えるとは感心できんな。それに貴様たちは彼女に対して行った事に謝罪の言葉ひとつ掛けられないのか」
「しかし殿下、【ヘイトマスター】のスキルを前にすればエナに対して憎しみを抱いてしまったのは致し方ない事かと……」
「仕方がないだと? 確たる罪を犯したわけでもなくただ気に入らないという理由だけで不当な仕打ちをして許されると思っているのか? ならば俺は今貴様たちの事が気に入らないから俺の独断で処罰をしても構わないという事になるな」
「いや……それは……」
ゴート様はそれ以上何も言えずに押し黙るしかありませんでした。
「タイター侯爵とその娘ロミもそうだ。家族なら初めてエナのスキルが発動した時何かがおかしいと気付かなかったのか? もし俺がお前たちの立場だったら先ずその原因を探るだろう」
「も、申し訳ございません……」
「殿下の仰る通りです……」
ライン様はぐうの音も出ない程の正論で三人を言い負かせていきます。
私はその様子をまるで他人事のように呆気に取られながら眺めていました。
「貴様たちには王室よりおって沙汰をする。下がれ」
「か、畏まりました……」
「仰せのままに……」
「失礼致します……」
ライン様は三人が真っ青な顔でそそくさと宴会場から退出していったのを見届けた後私に優しく微笑みかけながら言いました。
「すまなかったなエナ。あまりにも見かねたので思わず君たちの家庭の事情に口を挟んでしまった」
「いえ……そんな事よりライン様って王子様だったんですか?」
私はぽっかりと口を開けながらライン様の顔をじっと見つめましたが、そもそも今まで王子様とは面識がなかったので本人かどうか判別できません。
ライン様は意外そうにきょとんとしながら答えました。
「言ってなかったか?」
「初耳です!」
隣を見るとゼンジーノ様とミノカ様も小首を傾げながら私を見ていました。
その頭の上にはハテナマークが浮かんでいそうな表情です。
私は恐る恐る二人に訊ねました。
「……あの、おふたりはご存知でした?」
「もちろんです。私の本職は宮廷魔術師ですから。侯爵家の令嬢であるあなたが知らなかった事の方が驚きです」
「私はずっと近くの教会で働いていたんですが、ライン様は毎朝礼拝にいらっしゃいましたので存じていましたよ」
ゼンジーノ様とミノカ様はさも知っていて当たり前のように言いのけます。
どうやら私だけが知らなかったようです。
私は突然降って湧いた新事実に狼狽しながらライン様の前に跪いて言いました。
「知らなかったとはいえ今まで大変失礼な事を……」
「いや、俺は全然気にしていないよ。それよりも大切な話がある」
「はい何でしょう?」
ライン様は跪いている私の前で膝を折って目線を合わせると両手に乗せられた小さな箱を差し出しました。
「え? これって……」
ライン様がその小箱を開けると中から美しい装飾が施された指輪が現れました。
「旅の途中からいつ渡そうかずっと考えていたんだ。受け取ってくれないだろうか」
「わ……私のような礼儀も知らない小娘が王子様のお相手になるだなんて恐れ多いです」
「そう自分を卑下する事はない。俺はあの旅を通じて君の心の美しさに惹かれてしまった。本心から君を妻に娶りたいと思っている」
「で、でも……」
ライン様の事は勿論尊敬もしていますし異性として愛していますが、私の心の中に刻まれた深い傷痕が首を縦に振る事を拒否していました。
ライン様に限ってゴート様のように掌を返すような事はないと信じたいですが、あの日最愛だった人に裏切られたというトラウマはそう簡単に拭い去れる物ではありません。
「あっ……」
ここにきて私はパニックのあまりとんでもない事を思いついてしまいました。
そうだライン様に嫌われれば良いんだ。
私はライン様に向けて【ヘイトマスター】のスキルを発動しました。
その瞬間不快な空気がライン様を包み込みます。
しかしライン様はそれをものともせずに言いました。
「相変わらず凄まじいスキルだ。しかしこの程度では俺の気持ちを変える事はできない」
ライン様は膝を折ったままの姿勢で私を見つめています。
数々の魔物たちを誘き寄せてきた私の【ヘイトマスター】のスキルの効果は自分が一番よく知っています。
それが効かないなんて俄かには信じ難く、一瞬ライン様が得意とするスキル封じの魔法【ラシール】の発動を疑いましたがライン様が呪文を詠唱したような様子はありませんでした。
つまり私の【ヘイトマスター】は間違いなくライン様に効果を及ぼしているはずです。
それなのにライン様が態度を変えないという事は……。
「あっ……」
私はその理由に気付いて恥ずかしさのあまり顔が真っ赤に火照りました。
【ヘイトマスター】で百の憎しみを植え付けたとしてもそれ以上に、ライン様が私に二百の愛情を持っていれば差し引きをしても私に対する愛憎がひっくり返る事はありません。
私は顔をくしゃくしゃにして嬉し涙を流しながら言いました。
「……分かりました。ライン様を信じます」
「おお、では受けてくれるのか?」
「はい、こんな私で宜しければ……」
私が指輪の入った箱を受け取ったその瞬間会場内に祝福の声と拍手の嵐が響き渡りました。
「ライン殿下がご結婚なさったぞ!」
「おめでとうございます殿下!」
「エナ嬢もおめでとう!」
「魔王討伐の祝勝会は中止だ、今から結婚披露宴に切り替えるぞ!」
◇◇◇◇
後にライン様は国王に即位し、私は王妃としてその傍らで幸せな生涯を送りました。
一方でゴート様は王室からの制裁を恐れたヤオッツ公爵に勘当されて領地から追放され、後日野山で野たれ死んでいるところを発見されたと聞きました
私の実家であるタイター侯爵家はヤオッツ公爵家の後ろ盾が無くなった事で急速に没落していき、いつの間にかその屋敷跡は更地になっていました。
完