第2話 邂逅
気が付くと私は暗い森の中を彷徨っていました。
おぼろげながら私は自分の足で屋敷を飛び出した記憶があります。
仮にも侯爵家の令嬢が色恋沙汰で家出をして月明かりだけを頼りにひとり深夜の森の中を徘徊しているだなんて惨めにも程があります。
深夜の森ではいつ危険な魔物に襲われるか分かったものではありませんが、全てに絶望した私は何の恐怖も抱きませんでした。
「このまま消えてしまえたらどんなに楽かな……」
そう呟いた時でした。
「うう……」
「?」
茂みの中から人の声が聞こえてきます。
「誰かいるの?」
「うう……」
しかし私の問いかけに返ってくるのはうめき声ばかり。
私は恐る恐る茂みを掻き分けると煌びやかな鎧を身に纏ったひとりの青年が額から血を流して倒れていました。
その右足は不自然な方向に折れ曲がっています。
「大変、魔物に襲われたんだわ」
私は身につけている服の袖を破って額に押さえつけ止血を試みます。
一介の令嬢に過ぎない私がちゃんとした救命活動なんてできるとは思えませんでしたがこのまま何もせずにはいられません。
拙いながらも必死で行った手当てが奏功したのか、やがて青年は奇跡的に意識を取り戻しました。
「すまない、君が介抱してくれたのか? ……うっ!?」
青年は顔を顰めながら私の顔を凝視しました。
それが怪我による苦痛の為ではない事はその目を見れば直ぐに分かりました。
青年の目は私の家族やゴート様が私を見る目と同じでした。
「いや……やめて、そんな目で私を見ないで……」
屋敷内での出来事が私の脳裏にフラッシュバックし心を抉ります。
しかし次の瞬間青年は優しい微笑みを浮かべながら私の頬を伝う涙を拭って言いました。
「そうか君は自覚がないのか。しかし無理もないな」
「え?」
自分が嫌われ者だということくらい嫌というほど理解しています。
あまりにも失礼な言い草に思わず文句を言おうとしたところに青年はそれを制止するよう掌を前に出し首を横に振りながら言いました。
「すまない、誤解を招く言い方をした。自覚がないと言ったのは君のそのスキルの事だ」
「スキル?」
思いもよらなかった単語に私はしばし呆然と立ち尽くしました。
「そのまま動かないで。……女神よ、その守護の力で彼の者のスキルを封じ給え【ラシール】!」
青年が何かの呪文を詠唱すると私の身体を薄っすらと光を放つ膜のようなものが包みました。
「あの……これはなんでしょう?」
「勝手ながら君のスキルを一時的に封じさせてもらったよ」
「私のスキルを? 話が見えてこないんですけど……」
「ああ、君の持っているスキルは──」
「ライン様、ご無事ですか!?」
青年が言いかけたところで二人の男女が声を掛けながら駆け寄ってきました。
「ゼンジーノ、ミノカ、良かったお前たちも無事だったか」
「全然良くないですよ。酷い怪我じゃないですかライン様」
「直ぐに治療をします……女神の祝福よ、眼前の傷つきし者を癒せ、【プリンスキュアー】」
ミノカと呼ばれた修道服を着た少女がラインと呼ばれた青年の患部に手を翳し呪文を唱えるとその傷口が見る見るうちに塞がっていきます。
明後日の方向に折れ曲がっていた右足も何事もなかったように治っていました。
それを見届けた後で三角帽子を被り黒いローブを身に纏ったゼンジーノと呼ばれた青年が私を指さしながらラインに訊ねました。
「それでこちらのお嬢さんはどこの誰なんですか? 見たところどこぞの貴族のご令嬢のようですけど」
「ああ、グリフォンと相打ちになって死にかけていたところを彼女に介抱してもらっていたんだ。彼女がいなかったらお前たちが来る前に俺は死んでいただろうな」
「グリフォンの死体は向こうで見ましたよ。深手を負って逃走しようとして途中で力尽きたようですね。それにしてもおひとりで無茶をしないで下さいよ」
「もう、魔物の妨害でパーティーが分断された時はまず合流する事を最優先にするようにって言ってるじゃないですか!」
「悪い、奴を引き付けるのは俺が適任だと思ったからついな。でももうその心配はないかもしれない。彼女を見つけたからな。……と言いたいところだがどうだろうな……」
そう言ってラインが私の顔を見ると、つられてミノカとゼンジーノの視線が私に向けられます。
その目は侮蔑に満ちたものではなく、何かの期待が込められているようなものでした。
「えっと、どういう事か話が見えてこないんですけど。一体何の話をしているんですか?」
「あっ、すまない、説明が途中だったね。俺の名前はライン。魔王討伐の旅をしている」
「え? あっ……」
ここにきて私はラインという名前を思い出しました。
国王陛下の命令で魔王カガミーガの討伐の旅に出た勇者の名前が確かラインといったはずです。
「ここ数日この辺りの魔物の駆除をしていてね。さっき漸くこの辺りの魔物のボスであるグリフォンを討ち果たしたんだが不覚にもこっちも大怪我をしてしまってね。そこを君に介抱して貰ったという訳だ。本当に有難う」
「あ、いえ私は当然の事をしただけで……それよりも最近付近の魔物が少なくなったのはライン様のお陰だったんですね。こちらこそお礼を言わせて下さい」
道理で深夜の森の中で一度も魔物に襲われなかったはずだと私は得心しました。
「それでさっきのスキルについてですけど」
「そうそう、君のスキルについての話だったね。それは【ヘイトマスター】といって周囲の者を怒らせて自分に攻撃を向けさせるというスキルだ」
「ええ!? なんですかそれ?」