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アポロの作品

捨てて幸せか

作者: SSの会

 それを忘れた事なんてない。いつも意識の底の方にあるだけで、ふとした時に上がってきては俺を下げる。そしてそれはまた底に下がり、俺が上がる。これを何度も繰り返してきた人生だ。

 とても鬱陶。それが無ければ俺の人生はもっと面白くなるはずだ。それを、捨てる事ができたなら……。


 * * *


 新幹線を降りると空は暗くなっており、駅内は仕事帰りのサラリーマンやらでごった返していた。出張帰りの疲れた俺は、この人混みの中を歩くことに拒否反応を示している。

 新幹線の座席が懐かしい、もう座りたくなってきた。どこかでコーヒーでも飲みながら休憩がしたい……。

 出張だから疲れているわけではない。出張先の仕事相手が、二度と会いたくなかった人だからだ。

 元同級生。彼は俺に、気づいてるのか気づいてないのか。談笑もなく、淡々と仕事の話をして終わった。

 被害者が忘れて、加害者が覚えている。何ともおかしな感じだが、俺のメンタルはボコボコに殴られ、立ってるのが不思議なボクサーのように疲弊したよ。それもおかしな感じだ。

 仕事先の人は、動揺した俺に不信感を思っただろう。話がまとまったのは奇跡だ。

 一つ溜息をつき、俺は人混みを縫う様に歩いて電車に乗った。


 最寄りの駅に着く頃には人はまばらになり、見慣れた景色にやっと帰ってきたんだと安堵する。が、それはつかの間の話。明日も仕事なのでささっと帰って飯を食って寝なければならない。出張から帰って翌日に仕事とはまさにブラック企業だ、そうに違いない。俺が甘ったれてるわけじゃない。

 いずれあのクソ上司を殴って辞めてやる。そう弱く心に誓った帰り道だ。


 上司を殴るシチュエーションを妄想していると、自宅のアパートに着いてエントランスに入る。

 中にある自動ドアの鍵を開け、その先にあるポストを確認する。

 入ってるのは殆ど見もしない広告のチラシなのはわかっているが、酔った勢いで買った物の不在票が入っていることがたまにあり、そのせいで毎日確認している。この癖治さないとなぁ。

 中は案の定に広告のチラシばかりだ。平積みにされたチラシを回収していると、一番下に封筒を見つける。

 送り主の名前が書かれておらず、宛先の俺の名前以外何も書かれていなかった。切手も貼ってない、直接ポストに入れたのだろうか? 不気味だ。

 封筒をひとまず回収し、俺は自分の部屋に向かった。


 ワンルームの部屋につくと俺は、ジャケットにシワがつくのもお構いなしに雑にベッドの上に投げ捨てる。

 ベットの枕側の横にはソファー。その向かいにテレビがあり、間にはテレビ台と同じ高さの長方形のテーブルがある。

 我ながらつまらない部屋だとは思う。壁に絵でも飾ってみれば少し華やかさが出るかも知れないが、如何せん絵には興味がない。アイドルのポスターを飾れば客を呼ぶには恥ずかしい。まぁ、呼ぶ客なんていないがな……。

 俺はソファーに座り、もう一度封筒の表裏を確認する。やっぱり俺の名前だけか……。ラブレター? もしかして不幸の手紙? んなわけないか。

 ふざけたこと妄想し、俺は訝し気な封筒を破いて開ける。中には五枚の紙を重ねて折りたたまれていた。開いてみると、内容はふざけた妄想なんかじゃなく、わすれたい事実であった。

「なんで……この事を……」

 俺は背筋を凍らせ、額には汗が滲んでくる。

 内容は俺の過去、昔の過ちが淡々と書かれていた。日付と被害者の名前、過ちの内容を詳細に一枚の紙にまとめられていた。それが五枚。

 今でもたまに思い出す時がある。思い出したいわけじゃない。何かに連想されて思い出し、罪悪感に苛まれて気分が下がる。他にも思い出すきっかけは様々だ。俺は一枚目、二枚目と読み進める。

 被害者には本当に申し訳ないと思っている。

 普通の家庭に生まれた俺は昔グレていた。恥ずかしながら俗に言うヤンキーみたいな感じだ。強い奴と一緒にいる事で俺も強い奴だと勘違いして、家族や周りの人達に迷惑をかけていた。

 強い奴らに流されるままに被害者を産むような過ちを犯し、結局後で後悔ばかりしている小心者。本当に情けない。

 そんな生活を続け、ある時俺は自動車に轢き逃げされる。その時の怪我で右手に少し障害が残り、若干不自由な生活を送っている。

 報いを受けた。当時は病院のベッドの上でそう思った。

 それ以降はグレるのをやめ、好きなドライブもやめ、地元を離れて三浪で夜間大学に入学。バイトしながら大学に通って卒業し、今の会社に就職をした。

 確実に俺の人生はいい方へ向かっている。だけど、度々思い出す過ちの記憶が、俺をこれ以上いい方へ向かわせてくれない。

 もう忘れてしまいたいと何度も思ったが、絶対に忘れてはいけない事だとも思った。償いもしないで逃げた俺には、轢き逃げされる程度じゃ終わらない報いをこれからも受けるしかない。簡単に忘れる事のできる人の性格が羨ましい。

 詳細に書かれた手紙が脳内で鮮明に映像を写し出し、いつも以上に罪悪感が俺を苦しめる。本当に苦しいのは被害者なのに……。俺は手紙の四枚目を読み終えて机の上に置き、額の汗をシャツの裾で拭う。

 示し合わせたかのように、昨日会ってしまった元同級生の事も書かれていた。

 ダメだ……キツ過ぎる。俺はソファーから立ち上がってキッチン下の戸棚から焼酎を取り出し、グラスに注いで口に運ぶ。三十六計逃げるに如かず。

 食道辺りに熱いものを感じながら焼酎を全て飲み干し、息を強めに吐く。

「美味いっ!」

 こうして俺は酒に逃げ、苦しみから逃れようとする。過ちから逃げ、地元から逃げ、苦しみから逃げる。逃げてばかりの惨めな人生。

 自分が悪いのだから仕方ないが何とも卑怯だ。やはり情けない奴だよ俺は。

 俺は再び焼酎をグラス注いでソファーに戻り、グラスを机に置いて手紙を取る。

 筆跡を見ても誰の字かなんてわからないし、この際誰が差出人かは心当たりが多すぎて問題じゃない。問題は五枚目だ。

 読んだ限りじゃ思い出す過ちは四枚目までで全部。俺が気付いてないだけで、誰かを傷つけていたのかも知れない。だからこれは未知の五枚目になる。

 恐る恐る俺は重なった四枚目の手紙をずらすと……、五枚目は白紙だった。

 裏も確認したが白紙。文字が消された痕跡もなく白紙。念のため蛍光灯の光で透かしてみたが白紙。まっさらな白、疑いようも無く白紙である。

「んだよ、ビビって損したな」俺は手紙をそこらに軽く投げ捨てる。「まぁ、五枚目には覚えがないからな、間違えたんだろ」

 少し酔いが回ってきたのか体が熱くなり、気分が楽になって楽観的に答えを出す。俺はグラスを手に取って焼酎を一口飲む。

 差出人は何が目的でこの、脅迫状じみた手紙をよこしたんだ? 手紙には淡々とした事実以外、要求も何も書かれていない。俺にどうしろと? って言うか、もう考えるのが面倒になってきた。

「明日考えるか!」と騒いで思案終了。

 机に置いてあるリモコンでテレビの電源を入れると、いつも観ないバラエティ番組が放送されていた。何んでもいいから意識を他に持っていきたく、俺はつまらない番組を見つづけた。

 その後、他のチャンネルに変えたがつまらない番組しか放送されておらず、焼酎をグラスに注ぎにキッチンに。戻ってソファーにを繰り返す。

 何往復もしていつしか泥酔状態。つまらない番組も酔って楽しく思えてきたな。

 俺はテレビを付けたまま、服も着替えずにソファーで横になり寝てしまった。


 * * *


 俺は突然の劈く音に驚き目を覚ます。

「ぅあん⁉」と声を上げ、上体を勢いよく起こすもバランスを崩してソファーから転げ落ちる。

「な、何だ⁉︎」直ぐに立ち上がって寝起きのマヌケ面で部屋を見回す。

『犯人さんよ! もう逃げらんねーぜ!』

 声のする方を向くと、ワイルド風な男が俺に銃口を向けていた。……テレビの中で。

 絶賛公開中。の字幕が流れてニュース番組に移行してなお大音量。

 寝ていたソファーを見ると、俺の尻があったであろう場所にテレビのリモコンがあった。

「ビックリしたな~……、撃たれたかと思ったってか」

 テレビの電源を消そうとリモコン手に取ると、ニュース番組アナウンサーが『続いてのニュースです』と語り始めてつい手を止める。

 内容は、自動車で人を轢き逃げした犯人を現在も捜索中とのこと。

 数年前の事件の犯人をまだ探してるんだな。轢かれた身としては、必ず捕まえてほしいものだ。と俺はテレビの電源を消す。

 ちゃんとベットで寝ようと思ったところ、俺の腹が大きな音を鳴らす。酒とつまみばかりで、ちゃんとした飯を食ってないから腹が減ったな。嫌な時間に起きたものだ。

 二、三時間後に起きなきゃいけない時間なら諦めもつくが、現在は深夜の一時で余裕たっぷり。元々は出前でも頼もうと思ってたんだが、今の時間じゃ無理だな。

 我が家にはカップ麺の一つもない。仕方ない、コンビニ行くか。服を着替えずに財布だけ持って俺は家を出た。


 深夜の住宅街は人気がなく、弱い月明かりと道の端に等間隔に街灯が大通り向けて一直線に並べられていた。おかげで深夜にここら辺を歩いても怖くはないが、天気が悪いと少し怖い。男がこんなこと考えていると情けなく感じる。

 俺は大通り沿いにあるコンビニに向かって、一直線に並べられている街灯の下を歩いている。

 人気のない深夜に街灯の下を通ると、スポットライトに照らされた舞台役者のように感じるのは俺だけだろうか? そんな事を考えてしまうと人気も無いので遊びたくなる。

 俺は街灯の下で立ち止まる。スポットライトに照らされた俺はもちろん主役だ、とばかりにポーズを決めたりと遊び始める。

 なぜ恥ずかしげもなく出来るのか。まだ酒が抜けきってないのと深夜の変なテンションのせいとしか言えない。いつもはここまでおかしくない。

 しかし、人気のないのが前提のこの恥ずかしい遊びは早くも終わりを迎える。二つ先の街灯の下に、いつの間にか人らしきシルエットを俺は変なポーズを決めながら視界に捉える。

 硬直。石のように俺は一瞬体が固まり、直ぐに変なポーズをやめて相手を見ないように俯く。

 今すぐにでも逃げたい……。

 羞恥心が俺を殺そうと言わんばかりに襲い掛かってくる。きっと、俺の顔は国旗の日の丸の如く、わかりやすく赤くなっていることだろう。

 しかし、ここで逃げたら不審者みたいじゃないか? 俺は顔を上げ、何事もなかったような態度で前に歩き出す。何もなかった何もなかったポーカーフェイス。

 相手は街灯の下から一歩も移動しておらず、動く素振りすらない。俺は道の真ん中に逸れて相手に道を譲る。俺の不審者っぷりに怯えて動けないのか? 本当に申し訳ない。

 俺と相手の距離が徐々に縮まっていき、緊張の瞬間がやってくる。体中に汗が滲んで着ているシャツの脇と背中に汗のシミができる程の緊張。

 え? 何っつー格好してんだこいつ?

 街灯の下で照らされている相手の姿を視認できる距離で、俺はようやく相手の格好が異常な事に気がついた。

 赤のニット帽にサングラス。紺色のマフラーで口元を隠し、ベージュのトレンチコートは前を閉めて茶色の革の手袋と革の靴。

 脳の回転が止まる。それでも俺は歩みを止めず、脳が回りだして最初に思ったのは、こいつ不審者だ。

 不審者に視線を向けないように真っ直ぐに歩く。動揺したりせずに毅然と、自分の中の恐怖を抑え込んで。

 不審者は一向に動く気配を見せず前だけを見つめていた。俺が何かしらの反応を示したら、不審者の癇に触れて何をされるかわからない。このまま通り過ぎよう。

 不審者との距離は徐々に縮まり、そして俺は不審者に手を伸ばせば届く距離まで近づく。この距離でも不審者は微動だにしない。

 俺は息を止める。捕食者から隠れるように息を止める。

 真横まで来ると視界の隅からも不審者は消え、そのまま歩いて俺は完全に横を通り過ぎ流ることに成功する。何事も無く俺と不審者との距離は広がっていく。

 不審者がいる街灯から二つ先の街灯に差し掛かり、俺は止めていた息をゆっくり吐く。ある程度の緊張感がほぐれ、大量の汗が額から流れる。着ているシャツは雨に打たれた様にずぶ濡れ、パンツは少し漏らしたくらいに濡れているような気がして不快だ。

 今のところ何もされてないけど、警察に通報した方がいいか? でも万が一、ただの寒がりな人だったら可愛そうだよな。赤のニット帽だって俺も昔持ってたし、変じゃないよな。ちょっと着こなしがダサくて寒がりなだけかも知れないよな。

 不審者との距離が広がって余裕が出ててきたせいか、俺は余計な疑問が浮かんでしまう。今、不審者はどうしているのか? と。

 視界から消えた今、不審者が何をしてるかわからない。背後から襲おうとしてるかも知れないと思って仕舞えば、不審者の動向が気にならない奴なんていないだろう。ここで少し振り返るのは自然な行動、自分の身を守るためなら当たり前だ。俺はいつでも走れるように歩を止めずに上半身だけでゆっくりと振り返ると、

 不審者は俺と同じ体制でこちらを見ていた。

「え?」と俺が言葉を漏らすと、不審者はこっち目掛けて走り出した。

「っちょ! なになに?!」

 距離を詰められ、不審者は左手を俺に伸ばした。

 触れられそうになる瞬間、俺は避けようと力一杯地面蹴る。

 不審者は伸ばした左手が空を切りバランスを崩して倒れ込む。俺は避けてバランスを崩しそうになるの保ち、全速力で走り始める。

 何だアイツ?! やっぱり不審者じゃん!

 俺は大通りに沿いにある交番に向けて道を真っ直ぐ走る。後ろに確認する余裕もないので、不審者が追いかけてきているかわからない。今はただ交番に向かう事だけを考えなければ。

 大通りに出ると歩道を歩く人はいなかった。ぶつかる心配も無しに、最初の目的地だったコンビニの、さらに先にある交番へと向けて全力で走る。

 久しぶりに走ったせいか体力が持たず、徐々にスピードが落ちていく。

 やばい、捕まるっ!

 運がいいのかスピードが落ちたにもかかわらず、俺は捕まる事なく交番にたどり着いてしまう。

「助けてください!」俺は交番の引き戸を勢いよく開けて中に入る。

 今は巡回中で警察はいないのか返答返ってこず、交番内はとても静かだ。唯一の音は俺の洗い呼吸だけ。

 い、いない?!

 何度か呼びかけてもやはり返答はなく、俺は仕方なく目についた机の下に隠れる。外に出て逃げるよりも、ここに隠れて警官を待っている方が危険性は少ないはず。


 数分が経ち、俺は呼吸を整えて落ち着きを取り戻す。

 考えてみれば、交番に入った時点で俺は助かっていた。交番の中まで追ってくる不審者がいるはずもない。なのに机の下にまで隠れて俺はバカなんじゃないか?

 晒した醜態は自分への嫌悪感に変わり、情けなさからため息を吐く。俺は机の下から出ると、机の上は俺が下に隠れていたせいで物が散乱してしまっていた。それを片付けていると見覚えのある顔写真付きのカードが出てくる。

「あれ? これ……、俺の免許証……なんでこんな所に? しかも写真、これ学生の頃の……」

 更新期限はとうに切れていた。ドライブをやめて以降、免許の更新もせず実家に置いてきたはず。何でここに……?

「意味がわからない」と椅子に座ると、あるはずの感触がない事に気づく。

 俺は慌てて立ち上がり、尻ポケットに手を入れるが財布見つからない。変わりに紙の束が入っており、それを取り出すとさっきの手紙が出てくる。

 さっきの手紙? 家にあるはずなのに……ってか俺の財布は?! 間違えて持ってきたってことはないよな?! それとも走ってる時に落としたのか?!

 今から外に探しにいく。と言う勇気ある選択肢は俺にはなかった。泣く泣く財布を諦め、項垂れて再び椅子に座る。

 ……いや、本当に落としたのか?

 俺はようやく外が静かすぎることに気が付き、椅子に座ったままガラスの引戸越しに外を見る。

 さっきから通行にもいないし、車が通る音も一切しないし、警官も全く帰ってこない。どうなってんだ?

 おかしい。おかしなことだらけだ。

 ここの大通りは深夜にだって大型トラックは通る。タイミングとかあるのかもしれないが、免許証はどう説明できる? 実家は遠いい、落としたなんてありえない。

 安直なことを言えば、不審者に襲われそうになった夜に手紙が投函され、おかしなことばかり。まるで夢のよう……。これを夢と言わずしてなんという?

 今を夢と思うと、妙に怒りがふつふつと湧いてくる。

 俺は手に持っている手紙破く、怒りをぶつけるように何度も破いて纏めてゴミ箱に投げ捨てる。

 元同級生に会い、手紙が届く。被害者の会の復讐ドッキリだろうか。……さすがに無理か。

「でも……夢って、こんなにハッキリしてるのか? まぁ、……帰るか」

 やってきた脱力感に、俺はひとまず帰ることにした。夢ってどうやって覚めるんだろうか?

 俺は引き戸を開けて外に出る。辺りを見回しても動いてる物は俺以外なく、不審者も見当たらない。

 俺は走ってきた歩道を戻り始める。

 夢からはどうやって覚めればいいのか。それを考えていると、交番から少し歩いた途端、後方からけたたましい音が聞こえた。

 音の後に大きな光が背中を照らし、目の前の地面に俺の影を作る。俺は驚いて振り返る。

 俺の対面には、さっきまでなかったはずの自動車が広めの歩道に乗り上げ、ヘッドライトが強い光を放って俺を捉えていた。

 眩しさに俺は目を窄めて手で光を遮る。

「次はなんだ?!」

 自動車はアクセルを何度か蒸してエンジン音を響かせる。運転席に誰かいるが光で見えない。

 自動車は長いエンジン音を響かせ、発進する。

 マジかっ!

 俺は踵を返して走り出す。

「――っう!」

 想像を超える速さで自動車は突っ込んできた。

 俺は腰の辺りに強い衝撃を受け、前方に飛ばされる。地面を勢いよく転がされて電柱に背中を強く打つ。

「っかは! ……っは……かぁ……」

 い、息が……。

 痛みは突っ込まれた時の一瞬だった。今は電柱に打ち付けた衝撃で息ができない。

 止まった車はエンジン音が鳴り続け、ライトは俺を照らしてる。自動車の運転席の扉が開き、明らかにおかしな格好をした奴が下りてきた。

 まぎれもない不審者。ゆっくりと、俺に近づいてきた。

 俺は詰まっていた物が取れたかのように勢いよく息を吸い、呼吸が元に戻って痛みが体中を襲う。

 っクソ……痛え……、足が動かねぇよ。動けよ、早く逃げなきゃ……。

 夢の中で死んだらどうなるのか?

 死ねば目が覚めるのか?

 それとも一生覚めないのか?

 こんなにハッキリとして、痛みすらある夢は見た事がない。

 これは本当に夢だろうか?

 嫌だ……死にたくない……。こんな人生のまま、死にたくなんかない。

「来るな……、来るなよぉ!」

 不審者は徐々に近づいてくる。

 俺は背中と腰辺りの痛みを堪えて体制を背向けにし、腕の力で体を引きずりながら逃げようとすると、視線の先におかしなものを見つける。

 まるで最初からそこにあったかのように。何の変哲もない扉が歩道の真ん中に不自然に存在していた。

 出口ですと言わんばかりタイミングだ。

 俺は腕の力で扉に向けてゆっくりと進む。

「本当にいいのか」

 後方から声が聞こえた。不審者だろうか? だけど手を止めて、振り向いて話を聞く余裕は俺にはない。

「酒に逃げて、過ちから逃げて、地元から逃げて……。逃げて逃げて逃げて、苦しみから逃げ続けて、限界が来たら此処に捨てる。俺を捨てた時みたいにまた捨てる。惨めな人生だな」

 俺は扉の前までたどり着く。

「ぅるせぇよ! クソがぁあ!」

 俺は両腕での力だけで上半身を起こし、震える右腕を残して左手でドアノブを掴む。

「それを捨てたら――」

 ドアノブを回し、体を扉に預けて開ける。

 扉が開き切り、そのまま倒れて上半身だけ中に入ると、先には俺の住んでる部屋に続いていた。

 逃げ切った!

 仰向けになって両腕で上半身を起こし、俺は勝利と言わんばかりに笑みを浮かべて不審者見据える。

 直ぐにでも俺を捕まえる事ができたはずの不審者は、俺を追うこともなく左手を差し伸ばして立ち止まっていた。

 結局何がしたかったんだコイツは?

 俺は両腕の力でゆっくりと部屋に入りきると、扉は勝手に締まり始め、無事を確信したかのような余裕が俺の中にはあった。腕の力を抜いて床に倒れる。

「待て待て待て?! なんだこれ?! おい待ってくれ!」

 扉の外からの声に俺は顔を上げると、そこには不審者以外の奴がいて、俺は驚愕する。

 閉まり始めた扉に、見えない壁でもあるかのように叩きながら助けを乞う、俺がいた。

「もう無くなるぞ」

 目の前の俺、の背後に現れた不審者はそう言い、シャツの襟を掴んで引きずっていき扉は締まった。

 扉が閉まり切る瞬間、不審者が言った言葉の意味が分からなかった。

 閉まりきると扉は忽然と姿を消した。

「たすか……ったのか?」

 疑問に答えは見いだせないが、わかったことはこの世界が夢だという事だけだ。

 一つ、おかしなことばっかり。

 二つ、体の痛みが消えた。

 三つ、俺の部屋には上に上がる階段はない。

 玄関に続くはずの廊下の方を見ると、上に上がる急な階段になっていた。

 入った時に見えたけど、さすがに気づくよな。

「んじゃ、起きますか」

 俺は痛みのない体を起こして立ち上がり、階段を上り始める。

 階段の先はどこまでも続いていた。しかし上り続けると、眩い光がが俺を照らした。


 * * *


 目を覚ますと、知らない天井が視界に広がっていた。

 俺はとび起きるとべットで寝ていた。

「次はなんっ……」

 俺は頭を掻きながら辺りを見回す。

 寝ぼけた顔で少し茫然としていると、やっと脳みそが働き始める。

「あ、主張先のホテルか」

 俺は洗面台で顔を洗ってスーツに着替える。今日帰れるんだと思うと妙に元気が出てくる。

 それだけじゃない。心も軽いって言うか、引っかかっていた物が取れたような、心配事が解決したような、そんな感じに気分がいい。

 やっぱり、昨日の仕事がうまくいったおかげかな。何の心配もないし、仕事相手にも良好な関係を築けたと思う。

 部屋を出る用意が終わり、俺は荷物をもって部屋の扉の取っ手に手をかける。

 何かよくわかんないけど、これから楽しくなりそうな気がする。

 俺は扉を開ける。


 * * *


 出張から帰ってきた先輩は、どこか雰囲気が変わっていた。

 何と言うか、前と違って余裕があると言うのか、自信があるというか……。とにかく、いい雰囲気になって少し魅力的だった。

 そう思ってから時間は過ぎ、先輩と二人で出かけるような関係に発展した。

 先輩はドライブが好きで、デートもドライブが多く今日もそうだ。赤いニット帽が似合う彼は今日も楽しそうに話しながら運転していると、前に猫が飛び出してきて轢き殺してしまう。

 罪悪感でいっぱいの私と違い、彼は車が汚れてしまったことに落胆していた。

「ま、気を取り直して行こうか!」

 彼の言葉に耳を傾けず、私は近くの木の根元辺りを掘ってお墓を作り始める。手が汚れようが服が汚れようが関係なく穴を掘り進めてる間、彼は私の後ろでタバコを吸っていた。

「君は本当に優しいね」

 私は今日のことを忘れることはできないと思う。ふとした時に思い出して、罪悪感に苛まれる。だから私はこの猫にしてあげられる事をするんだ。少しでも罪滅ぼしをして、罪悪感を薄めるために。

 少し深めの穴を掘り終わって猫を埋葬し、私は手のひらを合わして猫に何度も謝罪する。

「じゃ行こうか」

 彼は何事もなかったかように満面の笑顔で言う。私はこの後さっきみたいに楽しめる気分ではなく、今すぐにでも家に帰りたかった。だけど、それを言わずに私はドライブを続ける。怖くて言い出せなかったから。

 先輩のことは好き。優しくて面白くて、一緒にいてとても楽しい。でもたまにさっきみたいな彼になり、そんな彼を知るのが怖かった。

 私が帰りたいと言えば、そんな彼の部分が少しづつ見えてきてしまうかも知れない。だから私は知らないふりをする。

 いつか知ってしまった時、私と彼がどうなっているのかはわからない。けど、これだけはわかる。

 この人は、何か欠けている。



(終)

 ここまで読んでいただきありがとうございます。

 この作品はSSの会メンバーの作品になります。


作者:アポロ

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