私が愛した婚約者
初投稿です。誤字報告ありがとうございます。
沢山のブックマーク&評価驚きました。嬉しいです。ありがとうございます!
「泣か…ない…で…」
女は己の血で濡れた手を俺の頬に添えて微笑む。
俺が悲しむ?俺が泣く?
自分を殺そうとしている男に、この女は一体何を言っているのだろうか。
ひどく滑稽で、乾いた笑いが堪えそうにない。
――さあ、この女を殺して彼女と幸せになろう。
ーーああ、もう戻れないのね。
私の婚約者であるアルメリア王国第一王子・ランスロットとユーセラ伯爵令嬢が薔薇園で口づけを交わしているところを偶然見てしまい、私は悟ったのだった。
アルメリア王国・宰相アルバート公爵の一人娘であるクリスティーナは銀色の髪に、菫色の瞳を持ち、誰もが目を奪われる美少女である。アルメリア王国一と言われるほどの魔力を持っている為、クリスティーナが7歳の時にランスロットの婚約者になった。
初めて会ったのは、彼が10歳の頃だった。
いつも穏やかに微笑み、クリスティーナの他愛ない会話を聞いてくれる。時々、我儘を言うと困った顔をするけれど、頭を撫ぜて微笑んでくれた。些細なことでも、手を差し伸べてくれた。私が涙を流すと、落ち着くまで優しく抱き寄せてくれた。
そんな彼に惹かれていたし、彼も私を大切にしてくれた。
ランス様とユーセラ伯爵令嬢が口づけを交わしていた場所は、私とランス様のだけの秘密の場所だった。
「ここは私専用の薔薇園なんだよ。1人になりたい時や息抜きをしたい時に丁度良い」
「まあ!素敵な花園ですわ!ですが…ランス様の秘密の場所なのでしょう…?私に話してくださって良いのですか?」
王太子として周囲から期待されているランス様の重圧は大きい。1人で過ごし安らげる場所を私に話してしまっていいのかしら。
「これからは私とティナだけの秘密の場所だよ。ティナが私の癒しなんだ。だから、一緒に過ごせる場所が欲しかったんだ」
彼の言葉が嬉しくて、自然と口角が上がる。
視線が絡むと、彼は甘く微笑み、銀糸の髪をクリスティーナの耳にかける。日の光に輝く金色の髪、澄んだ青色の瞳をもつ美しいランスロットの顔が間近まで迫ると、反射的に瞳が潤んだ。
彼の吐息が触れ、ゆっくりと唇が重なる。
唇の感触を楽しむように、何度も角度を変えて啄まれた。音を立てて唇を優しく吸われた後、濡れた唇を親指の腹で拭い、顔を覗き込まれる。
「…ティナ顔真っ赤。ティナ可愛い。愛してる」
愛する人と初めてのキス。恥ずかしかったけれど嬉しかった。その後も薔薇園に来るたびキスをした。
とても幸せだった。
その幸せは半年後に打ち砕かれた。
ある夜会で彼はユーセラ伯爵令嬢に出会った。
そこから彼の態度が変わっていった。ユーセラ伯爵令嬢と2人でお茶会をするようになった。次第に王宮に呼ばれる機会が減った。一曲目が終わった後は、他の殿方が我先にと踊りを求めてやってきても、クリスティーナをあっさりと他の男に譲るようになった。ユーセラ伯爵令嬢とダンスを踊り、私に向けていた甘い微笑みを彼女に向けるようになった。16歳の誕生日、毎年公爵邸に訪れていた彼が、顔を見せてくれなくなった。私を冷めた目で見下ろすようになった。
ーー私から、彼を奪う酷い人。
憎かった。悔しかった。
大嫌いだった。許せなかった。
私を裏切った彼。腹が立った。責め立てたかった。
辛かった。悲しかった。惨めだった。
会いたくなかった。けれど、彼が視界に入るたび恋しくなった。
嫌いになりたかった。嫌いになれなかった。
彼を忘れる時はなかった。
彼に愛されていないと分かっていても愛していた。
絶望して毎日枕元を涙で濡らした。
ある日、宰相である父へ届け物を渡すために王宮へ赴くと、薔薇園で仲睦まじい2人の様子を見てしまった。
ーー私と…2人だけの秘密の場所のはずなのに。
私とランス様の思い出の場所なのに。
なぜ、なぜ…私が何をしたっていうの…。
もう限界だった。消えたかった。
仲睦まじい様子を見てしまった1ヶ月後、婚約者として彼と共にサンファスト公国へ行かなくてはならなくなった。
馬車で過ごす間、彼は私を見向きもしなかった。虚ろな瞳をしており、彼の様子がおかしかった。けれど、私を冷たい目で見下ろす彼を見たくなくて、違和感を無視した。
きっとそれが私の最大の罪。
夜、寝静まった頃に小さな物音で目が覚めた。
何かが動いた気配がして、周囲を見渡す。
私のすぐ傍で虚ろな瞳をした彼が佇んでいた。
「ひっ……なぜ…殿下が…」
殿下といえど、未婚の男女。護衛はどうして、彼を通したのだろうか。
私を見ない。俯いたまま動かない。異様だった。
「…殿下?」
身体を起こし、彼に声をかける。
声をかけるとランスロットは顔を上げる。彼の顔や服は何かで濡れていた。声を上げようとした瞬間、何かを握っていた右手を振り下ろした。
「きゃあああああああ!!!」
鋭い衝撃が胸に走る。視線を下ろし胸元を見ると、ナイフが突き刺さっていた。ランスロットは力を入れ、ナイフを引き抜く。引き抜くと同時に胸から血が滲み出し、彼の頬や手を濡らした。
「あははははは!お前の存在を消すことを彼女が望んだんだよ。私と彼女が幸せになるために死んでくれ」
痛みと大量の出血で意識が薄れそうになる中、彼の声が聞こえた。
辛うじて彼を見つめると、言葉とは裏腹に泣きそうな顔をしていた。
なぜ、なぜそんな顔で見つめるの。
彼がわからない。
虚ろな瞳、異様な彼。
ユーセラ伯爵令嬢とお茶会をするたびに仲睦まじくなる2人。何かがおかしい。
クリスティーナは体力の消耗で魔力が上手く使えない状態であったが、力を振り絞り、彼に向かって魔力をぶつけ、解析を始める。
彼はユーセラ伯爵令嬢に魅了魔法をかけられ、大量の麻薬でコントロールされていたのだった。
――ああ、ランス様は私を裏切っていなかったのね。貴方も苦しんでいたのね。
貴方の痛みに、苦しみに気づけなくて、ごめんなさい。見ぬふりをしてごめんなさい。傷つくことが怖くて、貴方を見れていなかったのは私。愛を伝え、将来を語り合ったのに貴方を信じられなくてごめんなさい。
「はぁ……あ……あ…っ」
魔力の根源である心臓を刺され、身体を十分に回復することができない。
せめて、彼だけは、苦しみから解放してあげたい。
「…ラン…ス…様、あ…愛し…て…る」
ランスロットは驚いた顔で私を見つめる。
貴方を苦しみから解放させてみせるわ。正気に戻ったとき、ランス様、貴方は自分を責めるのでしょう。
貴方を1人置いていくことになってごめんなさい。
手を伸ばし、愛しいランス様の頬に触れる。
「ご…ごめ…な…さい。泣か…ない…で」
意識が薄れ、彼が見えなくなっていく。最期の力を振り絞り、私はすべてを無効にさせる魔法を彼にかけ、力尽きた。
靄がかかっていたかのように重かった身体は、いつの間にか軽くなっており、私は知らない部屋にいた。
足元が温かく、ふと視線を下にやると、血で真っ赤に染まったティナがいた。
「っ…ティナ……!!」
ティナを抱き寄せると身体が冷たくなっていて、息をしていなかった。自分が何かを握っていることに気づく。それはティナの血で濡れたナイフだった。
その瞬間、今までのことを思い出す。
「あああああああああああああ!!!」
自分の泣き叫ぶ声が響く。
何かを刺した感触。悲しげな悲鳴。
部屋の外にいる護衛を殺し、ティナをナイフで突き刺し死なせたのは紛れもない自分だった。
「ティナ!ああ…あ…私はなんてことを…。愛してる…ティナ、君を愛してる。それなのに私は…」
伯爵令嬢の魅了魔法と盛られた麻薬に溺れ、ティナを刺し死なせた私は何故生きているのだろう。
ティナを傷つけ、悲しませた私が生きる理由は何だろうか。
――ティナのいない世界などいらない。
ナイフを握りしめ、ティナを見つめる。
「ティナ…君を愛してる。今度こそ…君を1人にしない。必ず追いついてみせる」
ランスロットはクリスティーナに顔を近づけた。ランスロットの涙がクリスティーナの目尻に落ちる。
ティナに口づけを落とし、私は自分の胸をナイフで突き刺した。
その瞬間、クリスティーナの目尻から涙が流れ落ちた。
最後までご覧いただき、ありがとうございます!
2人の死後、伯爵令嬢は斬首となり、一部関わっていたユーセラ伯爵家は取り潰しになりました。