第11話
『白雪姫』の童話の中で……狩人は、お妃から白雪姫を殺すよう命じられた。
しかし、狩人は白雪姫を不憫に思い、彼女を小人たちが住まう森へと逃がしたのだ。
またお妃は、白雪姫を殺した証拠として、彼女の心臓を持って帰ることも命じていた。そこで、狩人は白雪姫の“身代わり”として猪を殺し、その心臓を持ち帰った。
「呪術を進めるためには、童話のストーリーの各要素と、童話の登場人物を演じる者が必要だ」
「一人の登場人物を、複数の人間が演じても構わない」
だから。
この呪術の中で、【狩人】は、【白雪姫】の身代わりをーー洋館に迷い込んだ生贄たちを殺し続ける。
ーー全ては、呪術を完成させ、本物の白雪姫を生き返らせるために。
◆
『そろそろ目を覚ましてちょうだい、可愛い坊や』
耳朶からずるりと体内に入り込み、魂までも侵食してしまいそうなーー美しくて恐ろしい声。そんな声によって、少年は覚醒した。
途端、棒立ちだった自分に気付き、慌てて身構える。胸を撃たれたはずだったが、どういうわけか外傷は残っていない。しかし、未だずきずきと胸が痛む。気を抜けば、また意識を持っていかれてしまいそうな程の激痛だった。
何とか堪えつつ、声のした方をーー前方を見やる。薄暗い部屋だ。いくつも立っている燭台の火が、部屋にわずかな明るさを与えている。そんな燭台の光に照らされて、“二人”の姿が浮かび上がった。
一人は、先ほど少年を撃った、銃を持った大男。
そして、もう一人はーー黒い着物に身を包んだ、妖艶な美女。
奴らの正体にはすぐに気が付いた。だが、同時にーー今更になって、自分たちの長い間の“過ち”に気付かされた。
「お前たちが、【お妃】と【狩人】でーー奥さんと旦那さん?」
『ええ、そうよ』
『ああ、そうだ』
自分たちの過ちは、ただでさえ限られた情報しかないにも関わらず、狭い視野に基づいて動いていたことだった。
ずっと、敵は〈奥様〉の霊だけだと思い込んでいた。でも、近侍や乳母は言っていたじゃないか。「旦那様と奥様を止めておくれ」 「あなた方も、奥様と旦那様を恨まないで下さい」と。
それに、すっかり忘れていた。かつて自分たちを襲った、【小人】ではない化け物の存在を。使用人たちを助けて、化け物ももう全ていなくなったと勘違いして、油断した。
それらの致命的なミスが、今の状況にーーまんまと三面鏡の中に引きずり込まれ、敵の手に落ちたことに繋がったのだ。
「……他の二人は、どこにやった?」
『貴方のお友達とうちの使用人なら、貴方のすぐ後ろにいるわ』
そう言ったのは〈奥様〉だった。背後を振り返ると、少し離れた場所に、幼馴染と少女の霊が目を閉じた顔のまま突っ立っている。意識はないようだ。
『坊やが私たちの言うことを聞いてくれるなら、貴方のお友達まで傷つけるような真似はしないわ。その子は生きたまま、現実の世界に戻してあげる』
これは要するに、幼馴染たちは人質でーー奴らの目当ては、あくまでも自分ひとりなのだろうか?
でも、それだとしたら、一体。
「……俺に、何をさせる気だ」
『決まってるじゃないか』
その疑問に応えたのは、〈旦那様〉の方だった。
『他ならぬ貴様に、この呪術を完成させてもらうのだ』
「…………!」
『もう少し詳しく話そうか。長い年月をかけて進めてきた呪術は完成間近、もう、【小人】がいなくとも筋書に支障はない。だが、結末を迎えるためには、最後の“贄”が必要なのだ。すなわち、【白雪姫】を救う【王子】のーー貴様の命だ』
童話の中の白雪姫は、三度死ぬ。腰紐で絞め殺され、櫛で刺し殺され、そして、毒林檎で毒殺される。
一度目と二度目は、小人たちの機転によって助けられた。……この呪術の中では、『生贄たちが姫の身代わりになること』でストーリーを成立させた。
そして三度目は、王子の口付けによって救われるのだ。白雪姫は死の眠りから目覚め、物語はハッピーエンドで締めくくられる。
(「全ての登場人物が舞台の上で演じきり、ストーリーが結末を迎えた時、術者の悲願は果たされるだろう」……だったっけ? それじゃあーー)
この呪術は、【王子】という登場人物が結末を演じることで、完成を迎えるーー?
『坊やはここで、【白雪姫】として、【継母】の作った毒林檎を食べて死ぬのよ?』
『それから、死後の貴様の霊が、【王子】として【白雪姫】に口付けを与える』
『そうすれば、あの子は眠りから覚めて、また家族みんなで暮らすことが出来るのよ。この家で、ずっと、ずううっとね……!』
「……【王子】の役だけじゃ飽き足らず、【白雪姫】の最後の代役までやらせるつもりなんだ」
『あの子のために死ぬことが出来て、死んだ後はあの子の婿として迎えてやるというのだ、むしろ光栄だろう?』
(これは……詰んだか……⁉︎)
幼馴染の身の安全を引き合いに出されては、逆らうことなど出来やしない。
それに、自分が最後の犠牲者になれば……これ以上、この異界の屋敷に、他の人間が引き寄せられることもなくなるのではないだろうか。悲劇を終わらせることが出来るのではないか。そんなことも考えてしまう。
『さあ、分かったなら、早くこちらに来なさい。あの子が待っているんだ』
〈奥様〉と〈旦那様〉が立っている所から少し奥に、棺が置いてあるのが見える。そこにお嬢様がーー【白雪姫】が寝かされているのだ。
少年は胸の痛みに耐えながら、言われた通り歩き出した。二人の前まで来た時、〈奥様〉から、一個の“林檎”を渡される。血のように赤い林檎だった。
林檎をーー毒林檎を手に持ったまま、更に奥に足を運ぶ。棺の前で立ち止まり、中を覗き込んだ。
棺のすぐそばに立つ燭台の光が、棺の中に横たわる“ソレ”を照らし出した。
雪のように白い肌だと思った。
しかし、直後、その白さの“正体”に気が付いた。
死んだ少女の身体に、白い蛆虫の群れが群がっているのだ。
死体の肌を埋め尽くす虫は思い思いに蠢いている。その隙間から時折、目玉が溢れ落ちぽっかりと空いた眼窩や、顔面の皮が腐り落ち剥き出しになった歯茎などが覗いていた。
『なあ、可愛いだろう? これが貴様の妻になる娘だ』
『ね、可愛いでしょう? 可愛くないはずがないわ。私たちが、この子のために、全てを捧げてきたのだから』
『なあ、この子のために尽くしてきた我々は、世界一美しい親だろう?』
『ね、私たち、世界一美しいでしょう?』
ーーだめだ。
ーーこれは、だめだ。
自分が犠牲になれば、などと考えた、先ほどまでの自分を殴り飛ばしたくなった。
美しかったというお嬢様の面影などどこにもない。そして、コレがこの後蘇ったとして、心優しかったという彼女の魂が宿ることも、まずないだろう。
蘇るのは、否、新たに生まれるのはーー死者の妄執によって形作られた、本物の“化け物”だ。そんなものを世に放ってしまうことになる。
それに……こんなにおぞましいものを作り出し、それを「可愛い」と言ってしまうほど、数多の命を蹂躙してきた自分たちのことを、「世界一美しい」と言ってしまうほど、救いようもない悪霊にまで堕ちた二人だ。望みを叶えたとして、それからは、本当に人殺しを止めることが出来るとは思えない。それこそ、幼馴染を見逃すという約束さえ、守ってくれるかどうか危うい。
『さあ、林檎をお食べ』
『そして、我が娘に口付けを』
『さア、早く』 『……早ク』
ーーだめだ。
ーーだめだ、だめだ、だめだ!
ーー……いやだ!
〈旦那様〉が、立ち尽くす少年の肩に手を置いた。ニガスモノカ、と言わんばかりに力を込める。
『『早く。早く、早く、早ク、早ク、ハヤク、ハヤク、ハヤクハヤクハヤクハヤハヤハヤハハハハハハーー!』』
「ーーいやだああああっ‼︎」
悪霊どもの哄笑が響き渡る。
その中で、ついに、少年の心が折れようとしていたーー
刹那。
「……優、一……」
幼馴染の、声が。
寝言のように呟かれた微かな声が、少年に……優一に、届いた。
続く




