フトマキ砦の戦い
王国の端、帝国との国境沿いにフトマキ砦という名の砦があった。
二百年前に王国で活躍したダシマキ将軍が建てたこの砦は今では寂れ、駐屯する兵士の数も極僅かだった。
そんな王国にも帝国にも殆ど忘れ去られたこの砦に、一人の騎士が赴任することになった。
名をタマーゴ・カンピョーという。彼は中央の貴族の子弟が集まる学院を落第ギリギリで卒業した落伍者であった。
そんな落伍者であるタマーゴの配属先に中央は困り、必要かどうかもわからないフトマキ砦に配属させることを決めたのだ。
タマーゴが砦へと赴任した日、彼が最初にしたことは訓練であった。
すでに王国の者にも殆ど忘れ去られた、この砦に駐屯する兵士達は、訓練など行っていなかった。
ほぼ全ての者が砦の中庭や外周で畑を耕し、彼らは兵士というよりは実際のところ農民となっていた。
そんな彼らを見たタマーゴが激怒し、兵士達に訓練を行わせたのだ。
帝国からも忘れられて久しいこの砦に、敵など攻めて来るはずがない。と、兵士達は思っていた。
実際にここ百八十年程は帝国の兵士が攻めてきたことなど一度もなかった。
そんな状態で訓練に身が入る訳がない。
中央の騎士様が言うから仕方なく、といった風情で訓練を行っている兵士の姿に、タマーゴは満足の表情を見せた。
そんなフトマキ砦が帝国軍に攻められるのは、騎士タマーゴがフトマキ砦にやってきて三か月後のことであった。
帝国のバラズーシ将軍は、忘れ去られていたフトマキ砦の情報を大昔の文献から見つけ出し、王国への侵攻の拠点として使うことを思いつき、兵士300人を連れてフトマキ砦を攻めたのだ。
駐屯する兵士は農民と大差ない者が10人。
それを指揮をするのは落伍者である騎士タマーゴ・カンピョー。
本来なら勝てるはずのない戦い。
騎士タマーゴは敵の姿を見て、撤退の判断を下さずに砦に籠り、籠城することを選択した。
後世ではタマーゴのこの判断は、勝利を確信して行ったもの、とされているが実際は別だ。
騎士タマーゴは落伍者であり、無能で頭も固かった。
勝てない戦いであっても、騎士としての矜持が敵の前から逃げることを良しとしなかったのだ。
しかしバラズーシ将軍は猜疑心の塊のような将軍だった。事前の情報で10人しかいない砦に籠った敵を見て、罠を警戒してしまったのだ。
結果として砦に攻め入れば楽に終わる戦いにもかかわらず、彼が選択したのは砦の包囲だった。
たった10人しかいない砦だ。囲んでいればそのうち根を上げて出てくるだろうという判断だが、これが完全に裏目に出ることを彼が知ることは一生なかった。
なぜなら、彼は包囲戦術をはじめて数日後に血を吐いて亡くなってしまったからだ。
突然の指揮官の死に、砦を囲んでいた兵士達に動揺が走り、砦の中からこっそりと出ていく一人の兵士の姿を見つけることが出来なかった。
兵士は敵の動揺に紛れて砦を出た後、中央へ走った。帝国軍が攻めてきたことを伝えるためだ。
フトマキ砦に敵が攻めてきたことを中央が知るのは、帝国軍がフトマキ砦を包囲してから三週間後のことだった。
王国はフトマキ砦に1000人の派兵を決めて出陣した。フトマキ砦はすでに敵の手にあると考えていたからだ。
しかし彼らがフトマキ砦についたとき、砦は未だ敵の包囲の只中にあった。
帝国軍が砦を一息に攻めなかったのには理由がある。
というのも騎士タマーゴが砦の上で、毎日のように名乗りをあげていたからだ。
「私は騎士タマーゴ・カンピョー! 指揮官に一対一の決闘を申し込む!」
帝国軍299人に対し、砦にいる兵士はタマーゴを含めて10人。
罠のある砦にみすみす攻め入るのは馬鹿のすることだ。かといって、相手との決闘を受けるには人数差が大きすぎるし、相手から言い出していることだ。何かしらの策や、その強さに自信があるに違いない。万が一があって負けたとなれば、それはぬぐい切れない恥になる。
それに敵は勝負を早く決めようとしている。と考えれば、おそらく中にいる兵士達は怯えているか、もしくは食糧が足りずに飢えているかで、そう長くはもちそうにないのだろう。
将軍の後、指揮を引き継いだ騎士チラーシはそう考えて包囲を継続したのだ。
そうして結果として、王国軍がフトマキ砦に着くまで、彼らは持ちこたえたのだ。
この功によって騎士タマーゴ・カンピョーは出世を果たした。しかしその後、彼の名が歴史の表舞台に出てくることはなかった。
何故なら彼は本当に、ただの無能だったのだから。