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5 人工的かつ恣意的かつ商業主義的な、刹那的物語消費

 ともかく、今回の法施行までは時間がない。一か月後にコンテストが行われる。それに合致すれば俺たちは今まで通りの活動を続けられる。しかし再び敗北すれば、ファンタジー描写をもがれた時と同じように、性的描写も描写不可という烙印を押され、いよいよもって俺たちの活動範囲は狭められる。


 いや、それより俺たちがこの先文芸に対し、情熱を持ち続け得ることが出来るかさえ怪しい。


 前回と同様、エラーとなる単語の削除と置換で対処してゆくのが最善策だろうが、ファンタジー法、すなわち想像創作媒体規制法よりも厳しいのは、読者による選考であるという点である。


 日常的に創造創作に与しない無垢な一般人を任意でチョイスし、彼らに我々の作品を精読してもらい、それがエロいと感じたかどうかを投票することで、合否の一次ラインが決定する。


 その素人同然の者達に執筆の命運を預け、裁可を下されることの屈辱。


 それが作家を標榜する我々に耐えられるだろうか。


 我々は追放の民、贖罪の民として、文芸の世界で流浪することになるかもしれない。持てるポテンシャルを半分も出し切れないまま、この戦いに挑むべきなのか……正直なところ勝算はない。


「戦わずして敗北を受け入れるというのも……」と、木ノ下も事の深刻さを理解している。


「木ノ下、降りてもいいんだぞ。今なら致命傷を避けることはできる。小山田もだ。お前が至高とする“特殊性嗜好”は世間の一部においては認知傾向にある。その宝を今の段階で疲弊させ価値を下げることはない。晴れて十八歳を迎え高校を卒業すれば、お前たちの能力は如何なく、存分に世に対して発揮できる。今この戦いに勝つことより、臥薪嘗胆、一日千秋、待てば海路の日和あり。密やかに耐え抜くことも選択肢としてあるだろう」


 すると突然、桐生がバンと両手を机に打ち付け立ち上がる。


「そんな……先輩たちがそんなことでは……傷つくこと、傷つけることを恐れていては文学に未来はありません!」


 ああ、そうだとも。桐生、まったくもってその通りだ。

 

 ペンは剣よりも強しと、文学に携わる者は常に世界へ挑戦し続けてきた。しかし、最早ペンは強大になりすぎたのだ。我々の世界を変えてしまう程に、ペンが紡ぎ出す魔力の虜になり人生を変質させてしまった者がこれほど多くいる時代。


 国際テログループに参加したいという自身の友人に、萌えイラスト一枚で思いとどまらせたという感動の逸話もある時代だ。ついにその影響力に恐れをなし、警戒した現代の支配者層たる者達は二次元への規制を始めたのだ。


「書くなと言われれば書きたくなるのが人の情というもの。タブーは蜜の味ですものねぇ」と一人静かに唸るのは白鳥茜。


 細長い指で気だるそうに前髪をかき分け、薄紅色の口元へと指をあてる仕草が淫猥である。まるでかつての桐生先輩の作品に出てきそうなキャラクターの容姿に、奇妙な非現実感を覚え、俺の股間は不本意にも誤作動を起こしかけたことはこっそり白状しよう。


 俺が彼の存在を誤認してしまうように、ペンは現実を歪めてしまう力がある。それほどに恐ろしき力なのだ。


 憲法に記された表現の自由を侵すことになるのではないか、という議論は以前のファンタジー法審議の折にもあった。だが与党政府は、あくまで時限性であり、未来に連綿と続く社会生活基盤維持のために、可及的速やかに対処されるべき懸念事項である、とあらゆる社会不安を盾にして煽り、若者たちからファンタジーを奪い去った。


 ご丁寧にも厚生労働省を通じて、『想像妄想障害外来科』などというものまで新設され、その関連法人として更生施設を運営する組織や、警視庁管轄で特別捜査権限を持つ違法想像媒体販売所持摘発Gメンまでもが新設された。


 たったのこの三か月間の間に、秋葉原や大阪の日本橋では未成年者に想像創作媒体を販売したとして、摘発された業者が三百軒以上。その一方で闇ブローカーなどが暗躍し、高額で想像創作媒体を横流しするという事件が頻発しており、各地の中高生が被害に遭っているという。


 先のコンテストで体よくIDの認可を得られた、文芸部や文芸サークルは、全国でも極ごく一握りであり、彼らとて無垢な少年少女による夢想幻想に代表されるような古典ロマン物語、あるいはクラシカルかつ、実現可能とされ立証された理論に基づいて書かれたSF、または既存の正統派名作ファンタジーの世界設定を下敷きとした、最早二次創作と遜色ないと揶揄されるファンタジー作品のみを発表するしかないという有様である。


 結局は勝っても負けても、手足が不自由な事には変わらなかったのだ。


「あの厳格たる純文学原理主義者の吉原先生をして、皆さんがラノベなどというものに興味がないことは承知していますし、法施行以降、ラノベ撲滅の旗手としてこの文芸部を運営しているということは姉からも聞いています。私は姉の作品を認めたわけではありませんが、彼女の高校三年間の文芸部に対する想い、いえ執念というべきでしょうか、私は彼女の人としての強さは認めます――いえ、尊敬しています。同じく姉と共に一年の間とはいえ、果てしない文芸への探求をなされた先輩方にも敬意は払っています。皆さんは世間の風潮に流されず、一心不乱に小説へと向き合い、テンプレートを至上とする人工的かつ恣意的かつ商業主義的な、刹那的物語消費にうつつを抜かすラノベなどという軟派な書物に耽ることなく、ファンタジー法に創作意欲を削がれることなくここまでやってこられたのでしょう。エロが何ですか! そんなものがなくたって小説は書けます!」


 桐生幸子よ、あまりにその物言いは厳しすぎる。


 この春から入学してきた桐生や白鳥は俺たちの戦いを知らない。俺たちが血反吐吐きつつ抗った、あの闘争の日々を知らない。


 俺たちは書けなかったのだ。ファンタジー作品以外の物語を。俺たちは自ら敗北を選んだとも取れる行動により爆散し、愛すべきラノベを手放すに至った。


 俺は心が砕けそうになり、ついぞ内に秘めたる言葉を吐き出したくなった。


「――桐生、白鳥……実は俺たちはな――」


 しかし、木ノ下がそっと俺の右腕を掴んできて首を振り「国重、言わない約束だ」と小声で制した。

 春というには遅きにも、夏と呼ぶには早かりし、斜陽に沈む六月の部室はただひたすら暑かった。

 


「あら、国重君。遅くまでご苦労様な事ね」開け放った部室の扉から顔をのぞかせてくる女がそこに居た。


「ええ。――普通に“ご苦労様”と体言止めしてくれれば、労をねぎらってくれているのだと素直に受け取れるんですけどね」


 俺は不機嫌さを露わに、声のトーンを落として応える。もう少し執筆してから帰るという俺を残し、ほかの部員たちは先に下校していた。


「もう七時になるわよ」


 夏至を迎えまだ外は明るかった。そのせいで時間の感覚が解らなくなっていた。


「帰りますよ、言われなくても」俺は吉原女史の目を見ることなく、パソコンをシャットダウンさせ、立ち上がる。


「相変わらず……不機嫌ね」


「そうでもありませんよ」


「もしかして……私のことが憎い?」


「……いえ、あれは先生のせいじゃありません。僕らの行動による当然の帰結です、むしろ謝らなければいけないのは僕らの方ですよ」 


 俺の応えを聞いて吉原美奈子は深い深いため息をつく。


「戸締りしますよ?」


 なかなか部室から出ようとしない先生にむけ、退室を願うという意を込め、一瞥する。するとどうだ、吉原美奈子はやや瞳を潤わせているように見えた。視線は定まらず逡巡し、落ち着かない様子で微妙に身体をもじもじと左右に揺らしている。


「なん、ですか……戸締り手伝ってくれるんじゃないんですか?」俺は窓に歩み寄り、開け放ったサッシに手をかける。深い闇に包まれたプールから、水しぶきがあがる音はもう聞こえない。


「国重君……あなたが、あの時書いた作品――」


「え? なんですか?」サッシのレールを走る戸車の音に阻まれて、彼女の声はうまく俺には届かなかった。彼女は何かを言いたかった。他の者には聞かれたくない何かを、俺にだけ伝えようとした。


 だが、俺はそれ以上訊きなおすことをしなかった。


 部室の鍵を閉め終えて、俺は皮肉を精一杯込めて彼女に告げる。


「先生。今回のコンテストも僕たちは暴走してしまうかもしれない。だからまた先生はIDを得ることが出来ないかもしれない。いえ、それより健全安全優良・・・・・・標榜・・する・・この学園の文芸部は、今度こそ廃部に追い込まれるかもしれません。どちらにしても、もうあとはないんですよ」


 そうだ、あんたの文芸部顧問という立場もこれで終わりだ。


「ガイドラインに沿った執筆をするという、選択肢はないの?」


「ははッ、僕らを知りながらよく言いますね。手足をもがれ、肉塊ダルマになった僕らにどうしろというんですか、先生は」俺は嘲りながら自身の下半身をちらと見やり、「それに次は――――ときたもんです。これ以上の執筆に何の意味があるっていうんですか」


 俺は吉原美奈子を軽蔑するように睨む。静かなる怒りは頂点に達していた。このままだと相手が先生でも、手を上げてしまいそうだった。


「じゃ、そういう事なんで失礼します、カギお願いしますね」と部室の鍵を手渡し、義務的に頭を下げたのは俺のささやかなる抵抗だ。


「国重君、待って。話を聞いて」


 彼女が俺の腕を取ろうとしたのを避けるように、振り向かずに廊下を速足で去る。彼女が数歩俺に追いすがるように、ヒールを鳴らす。


 その年齢不相応の健気さが余計に苛立った。その彼女の感情をあらわにした声に胸中をかき乱されるのが不愉快だった。


「もういいでしょう! もう僕らには守るべきものなんてない、何かを作り出し、人を喜ばせるために、あるいは自身を慰めるために、今までそうやってきた。僕らだって頑張ったんですよ! だけど、そのための手足をもがれて、僕ら世界の男子が唯一つ平等性と公平性を保つことのできる夢と魔法のアイデンティティロッドまでをも取り上げようとするこの暴虐! 女性の貴女には所詮わからないことなんですよ! わかり得ないのですよっ!」


 俺は蔭り往く廊下をつき進みながら背中で叫んでいた。


その時にはもう美奈子は追ってきていなかった。だが、まるで女学生のように両こぶしを胸の位置で握りしめ、両肩を引き上げ、こう叫んでいた。


「まだ……まだっ、頭が残っているじゃない! この意気地なし! 軟弱者! クズ! 種無し! ばかぁあっ!」


 国語教師にあるまじき、その知性のかけらも感じさせない貧弱な語彙を弄する彼女の声は、ヒステリックに、そして悲し気に、怒りと焦燥を纏いながら俺の背中を突き刺していた。


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