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4 おっぱいプリンプリン市

「まず確認をしておきたい。また以前のような轍を踏みたくはないからな」


 俺はあの日、双丘の悪魔に打倒された苦い放課後の風景を、記憶の中で重ね合わせながら重い口を開く。


「――まず下着だ。下着に関する描写は一切を禁じる。桐生、言っておくけど、殺陣のさなかに褌が着物の裾からチラリチラリなんて描写は厳禁だぞ」


「――っ、そんなのしませんよ、何処の大衆演劇ですか!」


 ここに猛反対の意を述べるは当然、小山田だ。


「いいや! パンチラは日常にあるっ! この一億総ミニスカ時代に、それを描写せずしてなにがリアリティと言えようか!」


「いや、小山田。少なくとも日本国内に女性は一億人はいないし、ミニスカ穿いて許される人口はその千分の一くらいだ。そんな彼女らは自らが選ばれし者だという矜持を持っているという事を勘案しろ」


「なん、だと……」


「パンチラは見えそうで見えないのが現実だ。ましてラッキースケベなど有り得ん、それは貴様の妄想にすぎん」


「そ、そんなことはないっ! たとえば――――そう、駅の階段で……!」


「貴様……今までそんな状況に一度でも遭遇したことがあるのか? ないだろう?」


「な、なにを……」


「駅のプラットホームへと続く階段を昇る時、貴様は前を往くミニスカの女子のパンチラに期待を寄せて、その背後二メートルの位置から階段を昇り始める! しかし貴様の視野角からは絶対に見えんのだ! 現実は甘くはない、貴様はわかっていない。女子が日々姿見の前で研究に研究を重ね、覚えたての三角関数までをも応用した、股下とスカート裾の相対距離は巷にある傾斜には絶対的な隠蔽強度を誇るのだ。俺たち男はその絶妙に調整されたスカートの裾布一枚に阻まれて、その傘の内の絶対領域を垣間見ることは叶わない――――ちがうか?」


「ぐ、ぬぬ……」


「もし――もしも仮にだ、運動法則を無視し、直進移動体である貴様が上体を下げてしまったとしよう――下げてしまったのだ、不本意にも、不用意にも、不道徳にも! ――――貴様の無軌道な動きに周囲の視線は、貴様がミニスカの奥を狙う視線以上の執拗さでもって貴様を睨みつけ、無言の圧力をかけてくる! どうだ、貴様はそんな状況に耐えられまい!」


「ぐ、愚弄するな、国重! パンチラは偶発的であってこそ至高! 自ら覗きにゆくなど愚の骨頂だっ。だが、そこに一迅の風でも吹けば……!」


「ふっ……ところがそうはいかないのだ。貴様は世紀の賢人ではない。風を待つなどと悠長なことをしている間に、ミニスカ女子と貴様の間には、メタボリックダンディが立ちはだかっているのだ。戦況は赤壁の戦い以上に唐突で残酷な逆転劇をそこに晒す。貴様が気付いたときにはすでに、ダンディは姫君を守る衛兵さながらに、その巨躯でもって彼女のシルエットの全てを覆い隠してしまっているだろう。そして遅れてきた風に乗って貴様に届けられる贈り物は、やや湿り気を帯びた濃厚で豊潤な男の色香だけだ。その時の貴様の絶望感たるや筆舌に尽くしがたい!」


「くッ……国重、く、に、しげ……貴様ぁああ!」


「なんとでも言え、俺はこの文芸部を潰すわけにはいかん! たとえ貴様を失ったとしても、だ!」


「くそ、それなら……パンチラは主人公の名前で、おっ、おっぱいプリンプリンは地名だっ! 『おっぱいプリンプリン市』だっ!」


「却下だ! 不許可である! そんな名前の主人公が登場する小説など誰も認めん! そして貴様が描いたすべての風景描写に対し、“うちの近くの風景に似ているんですけど、誤解を招きかねないのでやめてくれ”というクレームが殺到する!」


「もういい国重! 言いすぎだ!」


 木ノ下に制止された俺は立ち上がったまま息を切らして、ただ消沈する小山田を見下ろしていた。


「国重……いや部長。僕も今までさんざんエロ描写には世話になってきた。ネタに困ると温泉旅行、停滞すると海かプールで水着回、ドキドキワクワクの無人島取り残されイベントは鉄板だった。しかし、これらを使わずして物語の構築は可能なのか? 読者の期待をそこまで裏切ってもいいのか?」


「木ノ下。わかっているとは思うが着替えシーンはもちろんだが、その連続性を惹起させるような水着描写もダメだ。特にここは重要点だが、露出度の高いビキニよりも厳しく規制されているのがスク水、すなわちスクール水着だ。ここを見ろ、ビキニよりも随分上位にある」


「あ、ああ……」


「たとえば、現実世界から駆逐された以上、もはやコスプレ衣装としてしか存在を認められないブルマはファンタジーであり、今回の規制以前にファンタジー法下ですら使用禁止語句だ。当時はブルーマー夫人を圧殺したも同然とまで言われ、一部・・世界規模・・・・で大問題になっていたのだからな」俺は心せずに小山田へと視線を流していた。


「ああ、わかる……ブルマに比肩する代替品は既になく、かつプライベートはない。存在するものとしての記述が禁止されるのは仕方がない。ふむ、なるほど。水着のカテゴリーとして存在するビキニはプライベート、スク水はパブリック……そういうことだな?」


「そうだ。自らの身体に自信を持ち、かつ限られた人間だけが好き好んで着る裸体同然の服と、半ば義務的に似合う似合わないにかかわらず学校組織という強権機関に無理やり着させられ、見る者に否応なしに裸体を惹起させる服、このエロさの根源的指向性には東京タワーとスカイツリーが佇立している港区と墨田区ほどの歴然たる差があるのだっ!」


 俺は部員達に喝を入れると、窓際へと近づき、ちらと横目で水泳部の様子を見やる。確かに男ばかりだ、つまらん。


 俺の隣で、窓際に背を預け飄々とした態度で立っていた白鳥は、「――しかしあれですね、女性目線からエロいと感じる物もあると思うんですよねぇ」と窓を背にしていた桐生に背後から近づくと腰をかがめ、肩越しから彼女の横顔を覗き込むようにして粘度の高い声で緩慢に呟いた。


「ねぇ、そのあたりはどうなんでしょう? 桐生さん」


「ふひゃあ! な、ななななんですか! 突然耳元で変なこと言わないでくださいよ茜君!」


「今あなたは窓を背にしていますが、実は水泳部男子の練習風景をかぶりつきで見たいのは、桐生さんだったりして……くすくす」


「そそそ、そんなことはありません! 何を言っているのですか! 失礼です、不愉快です! 不潔です!」


 白鳥の発言にも驚いたが、あの厳格で実直な桐生が照れて顔をそむけている姿に、俺たち二年生ズッコケ三人組は胸ズッキュンしていたのであった。



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