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1 想像猥褻媒体規制法

 扉を勢いよく開いて、部室に飛び込んできた小山田は破顔し、乱暴にブレザーを脱ごうとして袖が引っかかりながら、どんと机に片手をついた。それは普段から落ち着きなくだらしない体型の小山田が精いっぱい緊急事態を演出し、慌てっぷりを印象付ける行動だった。


「小山田、どうしたんだ……!」


「みんな聞いてよ――今後、創作作品に類する書物や映像作品内における性的描写および、それらに類する描写のある作品全般に対し、十二歳以上、十八歳未満の青少年による閲覧、視聴および記述、制作全てを禁ず……くっ、想像猥褻(そうぞうわいせつ媒体規制法の可決だっ!」


 めいっぱい開かれたぷにぷにの掌は汗ばんでおり、今も机上にじわじわと汗染みをつけ続け、小山田の焦燥が怨念のように部室中に充満する様子に、俺たちはおののいていた。


「落ち着け、一体どうしたって言うんだ? 順序立てて説明してくれないと……」という俺の襟を小山田は掴み、その勢いのまま壁際まで押し付けた。


 小山田は俺よりはるかに背が低く、身長一六二センチと小柄だが、その分横に広がった体躯の圧力で、ひょろい俺はいとも簡単に制圧される。


「くっ、国重! お前は部長のくせに何も知らないのか? 新聞くらい読めよ! ネットニュースでも構わん! お前らも解っているのか!」


 そう言って小山田は部室にたむろする部員達を手刀で薙ぎ斬った。彼らは普段の小山田にはない、その気迫に満ちた声にびくりとし、一瞬体を硬直させた。


「まさか……あんな馬鹿げた法案が?」窓際で参考書を開いていた木ノ下が首を伸ばし憮然とした顔を向けた。


「そう、残念ながらそのまさかなんだよ、木ノ下! もう、その劇画エロ漫画が読めなくなる日も近いっ!」


「きっ、貴様!」


 参考書の表紙を挿げ替えて、こっそり劇画エロ漫画を読んでいた木ノ下は、小山田にあっさり暴露されたことに激高し、部室内は一時騒然となる。


 彼らが冷静さを取り戻すまでの数分間、俺の胸中には、いつかの光景がリフレインしていた。



「アニメ、漫画、ラノベ、ビジュアルソフト、その他の分野におけるエロに対し――とりわけ現実にはあり得ない突出した荒唐無稽な妄想や空想が関わらず、偶発的な性的描写をも含めて、一定対象年齢の青少年に対し一律規制する……『想像猥褻媒体規制法』ですね」


 ミディアムボブのワンレングスの髪を、人差し指ですっとかき上げた新入部員の桐生が部室の窓を背にして振り返る。


 そう、今春わが文芸部に入部してきた期待のホープ、原罪的中二病(オリジンオブ罹患者ファンタスティック純血種ピュアブラッド)こと桐生洋子の妹、堂々のつるぺた属性も忠実に再現した、桐生幸子きりゅうさちこ十五歳である。


 俺と木ノ下は女子の部員が補完されたことに対し小躍りしたものだが、“十五歳”という響きに興奮したのは小山田である。しかし御代の妹君とあっては情欲にまみれたその手で触れる訳にもいくまい。まだそれなりに自制はしているようだ。


「でもセンパイ、エロは昔から十八禁ってので規制されているんじゃないんですか? 僕が知らないだけで、近年中に規制緩和でもありましたか?」ともっともな疑問を呈するのは、こちらも新入部員の白鳥茜しらとりあかねである。この男、一見女性と見まごうかのような美貌の一年生男子であり、このうだつの上がらない文芸部に所属するにはあまりに異彩を放っている。


「茜君、それはな――」と劇画から目を離した木ノ下が口を開く。「十八禁エロの線引きは何も変わっていないんだ。ただ、解釈はこの数十年の間に随分と変遷したんだ。基本的に性衝動を惹起させる目的、または性行為がらみの画像、映像、文学他の所持閲覧、は十八歳からだ。しかし、それらに該当しない、あるいは解釈次第で該当しないと言ってのける媒体があまりに増えすぎた。それは先に施行されたファンタジー法とも無関係じゃない」


 空想好きの青少年を震撼させた世紀の悪法、『想像創作媒体規制法』通称ファンタジー法は空想作品そのもののガイドラインが示され、それら創造創作媒体から、実質十二歳から十八歳の六年間に該当する若年者を隔離することで、歪みがちな青少年期の根本原因を取り除こうという試みが、法施行の根拠である。


 ただし、すべての創作活動を禁ずるとするには無理があり、むしろ悪影響をも及ぼすのではないかという懸念から、青少年の育成に必要と思われる、健全な創作意欲に基づいた創作物に関しては認めるという方針を打ち出した。


 その結果、法案のそれを逸脱しない範疇での創作活動を、条件付きで許可するという保護監督者認可制度、通称『イマジナリーディレクト制度(ID制度)』という緩和策が付加された。


 具体的には、校内における教師、組織団体内における指導者などの下で創作された作品を、政府独立行政法人主催の公募へと提出、そこで厳粛なる審査を経て、当該団体は適合だとみなされることで、指導者は当該団体における保護監督者の資格を得ることが出来るという、コンペティション形式を用いた特別認可制度である。


 この認可を得るには、あらかじめ設定された千二百項目にも及ぶ規制対象描写表現が当該作品に見受けられない事が最低限の基準として審理される。


 その結果、晴れて行政法人からお墨付きをもらった組織や団体、部活動における保護監督者の指導下でならば、たとえ十八歳以下の青少年であっても創造創作媒体の所持、想像創作物の執筆、描画、制作等が許可されるため、各方面の組織団体、特に中高の文芸部顧問はID取得を強く求められた。


 しかし、ID認可を得ようとするならば、指導責任者は指導対象らの雑多な想像創作作品群を精査する慧眼が求められ、場合によっては訂正、修正を促すという厳しい指導体制を貫くことが出来る強い心が必要とされた。なにより指導対象者との深い軋轢を生み出すことが最大の障壁となり、強いストレスを抱え戦線から脱落する指導者も少なくはなく、ガイドラインに適合し認可を取り付けることは非常に困難といえた。


 ほんの三か月前のことだ。俺たちは想像創作作品を、この学園の文芸部内で書き続けるため、認可の獲得に邁進していた。


 俺たち文芸部顧問の国語教師、完熟食べごろ、売り切り御免の三十四歳独身、かつてはマドンナと呼ばれていた吉原・ヴィーナス・美奈子。彼女の文学に対する想いは誰よりも強かったが、俺たちのファンタジーに対する情熱はガイドラインには適合せず、彼女は保護監督者としての資格を得るには至らなかった。


 学園側が推奨する廃部は彼女の必死の説得により免れたのだが、その結果、彼女は自らの指導力に絶望すると同時に、一転俺たちを危険分子として管理し、必ず更生の道を歩ませると学園側に宣言した。


 あの事件を境に俺たちと彼女の間には深い軋轢が刻まれ、そしてそのまま春を迎えた。


 法施行後、行政機関の査察が行われ、各種指導が入ったわが文芸部では、現代劇ベースのエンターテイメント作品のみを扱うしかなくなった。さらば萌え、さらばSF、さらば異世界である。


 学園側はラノベの守備範囲である、様々なファンタジーカテゴリー執筆を廃した新生文芸部として、明るい未来と健全なる青少年育成を目指す、理想教育環境であると俺たちのことを出汁に大々的に喧伝し、行政の走狗となり果てた。


 創作制限を受けたのは俺たち文芸部だけではない。漫研も映研もアニ研も、とにかく二次元媒体に関わる創作系部活すべてにテコ入れが行われた。


 無論彼らもまた俺たちと同じく認可を得ることが出来なかったからなのだが、俺としては実に頼もしいオタクどもだと、清々しさを伴ったシンパシーを感じている。


 何より尋常ならざる学園側のこの立ち回りの早さは、教育委員会その他の組織でも少し話題になったくらいで、内実に鑑みることなく、未来の文壇の発展を担保する希望に満ち溢れた文芸部、とまで騒がれた。


 大袈裟だとは思うが、ファンタジー規制法施行を含む、各地で湧きおこった一連の闘争事件を逆手に、晴れがましい転身を遂げた我々文芸部の存在はそれほどまでにセンセーショナルだったのだ。


 特にこの流れに拍車をかけたのは、マスコミだった。各種ワイドショーのコメンテーターたちは皆揃いも揃ってしたり顔で「学生には健全な空想を望みますね」とか「もし私の子がラノベの内容の様なことを考えてるなんて、想像するだけで怖いです」とか「政府の規制判断は正しかったと言えますが、逆に根本的な問題が見えなくなるという弊害もですね……」とか散々ないわれ様だったし、文壇のお偉方にインタビューすると「ノーコメント」だとか「まず社会を知ってから……でも遅くはないと思うんですよ」とか、「理解できないとまではいわないが、感心はしかねる」など、自身らの後ろめたさも手伝ってか匿名でのコメントを残すにとどまり、俺たちをさらに絶望させた。


 さらには、ウチの学園の校門前でインタビューを受けた学生は、顔出しNGを条件に「学園からキモオタが居なくなるのは喜ばしいことです」とか「自分たちの妄想で象られた枠に嵌らないからと、蔑まれても迷惑ですよね」とか「有り得ない事態に逃避するより、今を懸命に生き努力で乗り越えることが大切です」とか、好き勝手にお利口さんに答えてはいた。


 その中でも、一つ、とりわけ俺たちを打ちのめしたコメントがあった。


「全ての物事は想像から始まると言っても、科学者はみんなSF小説を読んでるわけじゃないでしょう、SF小説を書くなんて、科学実験という晩餐会の過程で出た残飯を食うようなものですよ」とインタビューに揚々と応えていたあの饒舌な男を俺たちが見まごうわけがない。


 三条だ。奴は俺たちの文芸部を裏切り去ったのだ。


 俺たちの文芸部に三年生はおらず、桐生先輩なき後、二年にあがった俺、国重が部長を継いだ。以下、異世界に転生する妄想以外に何の取柄もない歩く希死念慮、木ノ下。ロリ萌え妹大好き、エロさえあれば不自由しない小山田、そして新入部員の実力派時代劇作家の桐生と、なんで文芸部にいるのかよくわからない、おとこの娘属性の白鳥の計五名である。


 吉原先生のIDの認可も取れず、桐生先輩の卒業と三条の脱退と、強力な戦力を失った俺たちは廃部の危機にさらされるかと思われたが、この春に新入部員を得て、新たに屈辱のルサンチマンを標榜しながら、活動を再開していた。



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