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七話「信仰」

「おい、自分の娘に向かってなんてことを――」


 突然、狂ったかのように自分の娘へ怒鳴り散らす彼女に、エドは驚愕した。しかし、彼女はエドの言葉を聞こうともしない。



「黙れ、この人殺し! 私の娘を返して!」


「僕は何もしていない。暴漢に襲われていた娘さんを助けただけだ」


「私を騙そうとしても無駄よ! この悪魔め!」


 

 母親の異常な取り乱し様から、エドは薄々と事情を察していた。アイシャはおそらく、今までペオラ教徒であることを家族に隠していたのだろう、と。そして、母親は自分の娘がペオラ教徒であることを信じられず、娘が悪魔であると思い込むことで現実から目を背けようとしているのだということを。



「ママ、本当に騙してなんかいないの。私は悪魔じゃない、信じて!」


「だったらそれは何なのよ!? まさか、何も知らずにそれを持っていたなんて言うつもり!? ふざけないで、それは邪教信仰の証なのよ!?」


「これは……ごめんなさい……」



 長らくカーティアス教徒として振る舞ってきたエドこそ持っていないが、彼女の持つペンダントがペオラ教を信じる者であることの証であることは、物心がついたばかりの子供でも知っている事実だ。


 彼女の母親の言うとおり、おふざけで持っていていいものではない。




「ペオラ教徒だから何だ? お前はただそれだけの理由で自分の娘を悪魔というのか!? 自分の娘にだぞ!?」


 エドはショックで肩を落とすアイシャを見て、咄嗟に叫んだ。しかし、彼は言葉ではそう言いながらも、心の内では母親の反応が仕方のないものであると思っていた。


 ペオラ教徒に対して異常なまでに拒否反応を示す者は、この国に少なからず存在している。アイシャの母親がその一人であっても何らおかしくなことではないし、だからこそ彼女は今まで自らの信仰をひた隠しにしてきたのだろう。


 それでも、エドは叫ばずにはいられなかった。ペオラ教云々は関係ない。自分の娘を悪魔呼ばわりするという行為そのものに、彼は(いきどお)っていた。



「ペオラ教徒なんて、人間じゃないわ。私は悪魔なんていらない! そいつは、私の娘じゃない! 私の本当の娘を返せ!」


「……本気で言っているのか?」


 エドはアイシャの母親を冷たく見据える。ペオラ教徒への迫害は何度も見てきたエドでも、自分の娘にここまで冷酷になるほどペオラを嫌う者を、エドはそれまで見たことがなかった。


「地獄に落ちろ! 悪魔が!」


 アイシャの母親はなお、口から流れ出る罵声を止めようとはしない。エドは小さく息を吐いた。



 そして、大仰な態度で声を張る。



「……よく分かったな、盲目なカーティアスの犬のくせに。しかし、バレてしまっては仕方がない。神官を呼ばれる前に逃げさせてもらおう。安心しろ、娘は返してやる」


 エドはそう言って、アイシャのペンダントを取り上げた。それを、これ見よがしにアイシャの母親に向けて突き出す。


「あっ」


 アイシャは驚いて声を上げる。


「この通り、これはオレのものだ。これをこいつに渡したことで、こいつをペオラ教徒に仕立て上げようとした。だが、これでもうこいつは元の通り、貴様の娘だ」



 三文芝居だった。しかし、狂った人間相手にまともに話してもどうにもならないことを、エドは知っていた。だから、彼はこの場を丸く収めるために自分が悪者になることを選んだ。


 彼にとってもアイシャの母親にとっても、それが一番都合のいい話だった。


 一芝居うった後、エドは小声でアイシャに語りかける。



「さあ、行け。これに懲りたら二度とこんなものは持ち歩かないことだ。信仰を明かすということがどういうことなのか、身に染みて分かっただろう」


 しかし、アイシャは動かない。



「――さい」


「え?」


 俯いたアイシャの口から発された言葉は、酷く震えていた。しかし、彼女は顔をあげると、毅然とした態度でエドを睨んだ。



「返してください! それは私のものです! 私は――私は、まごうことなきペオラ教徒です!」



 予想だにしていなかった彼女の言葉に、エドは面食らった。その隙に、彼女は乱暴な手つきで彼の手からペンダントを奪い返した。



 そして、彼女は今度こそ転ばずに母親の元へ近寄る。



「――ヒッ。く、来るな!」


「ママ。私はペオラ教徒よ。悪魔じゃなくて、私は私。私は自分の意志でアルヴィオラルカ様を信じるの」


「うるさい! 消えろ、悪魔!」


「そう……」



 アイシャは悲しげな表情を見せ、そして母親に背を向けた。





「…………さようなら。今までありがとう」



 そのまま彼女は、エドのそばへと戻った。



「エドワードさん、ごめんなさい。助けてくれたのに、嫌な気持ちにさせちゃいました……」


「いや、それは気にしていないが――君……それでいいのか?」



 彼女が母親に見切りをつけたことくらい、彼には言わずとも分かった。



「いいんです。ママがおかしくなるのは、これが初めてじゃないですから」


 その時、エドは初めて気がついた。彼女の肌に浮かぶ暴力の痕は、先程の暴行だけによるものではないということに。




――彼女は、虐待を受けていたのだ。




「……これからどうするつもりだ」


「王都に行けば、女性の働き手には困らないと聞きました」


 彼女の言うとおり、王都には多くの身寄りのない女性が働きに出てくる。自身の性を武器にした、いわゆるそういう店にだ。


「君はまだ幼すぎる。それに君はペオラ教徒だろう? また同じ目に逢いに行くのか?」


「ママになじられるよりは、何倍も楽ですよ」


 アイシャは悲しげに笑う。エドは、彼女は自棄になっているだけと思い、忠言する。


「軽率な考えだよ。君は現実が見えてない。子供が一人で生きていけるほど、王都はペオラ教徒に甘くない。女ならなおさらだ」


「それでも、信仰を偽ってまで生きるのは、もううんざりですから」


「後悔するぞ」


「しません。ここにいるのと何も変わらないですよ。ここにいたって、乱暴されるのは同じなんです。だったら、もうママの顔を見ないで済む場所に行きたい」



 エドは、尻もちをついたまま悪態を吐き続けるアイシャの母親に目を向けた。



「母親の気持ちは考えないのか? 君にとって母親は、ペオラ教徒であることを隠すだけの価値もない存在なのか?」


「隠す”だけ”? 随分と簡単に言いますね。……私はもう、これ以上アルヴィオラルカ様に嘘は吐きたくない」



 エドは黙り込んだ。自分もそれなりに頭がおかしい部類であることは自覚していたが、目の前の少女は自分以上だ、と感じていた。



「自分の信じる神様に嘘を吐くのは大罪です。……私はもう、これ以上罪を重ねたくないんです」


「大罪、か」


 エドはフッと笑って、アイシャの母親を見据えた。



「聞け。アイシャの母親よ。オレは貴様に罰を与える。――実の娘を悪魔呼ばわりしたことへの罰だ」


「――待ってください、エドワードさん!」


 止めるアイシャの声も聞かず、エドは続ける。



「悪魔なのは貴様の娘ではない。貴様だ。オレは貴様の娘を奪う。それが、悪魔たる貴様への罰だ」


「――っ!」


「いやああああああああああああああああああ! 誰か、誰か! ペオラの悪魔が、私の娘を!」



 とうとうアイシャの母親が叫び声をあげた。エドはすかさずアイシャを抱きかかえた。



「ヴィオラ、走るぞ!」


「フフッ。分かってるわ」


「ちょ、ちょっと! 離してくださ――むぐっ」



 大声をあげようとするアイシャの口を手で塞ぎ、エドは一目散に駆け出した。




「もう、神を裏切りたくないんだろう?」


「――っ!」



 エドのその言葉に、アイシャは呻くのをやめた。




 この日。彼女は母を捨て、神を選んだ。

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