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五話「悪」

「何か言ってよっ! 何で、何でこんなことをっ……!」


 しばしの静寂を破る、カノンの怒声。数瞬の間ののち、エドは観念したかのように口を開く。


「……この有様を見て恐怖で逃げ出すわけでもなく、それどころか激憤に駆られるとは……君は見かけによらず度胸があるね」


 口を開けば、スティーブにしたのと同じような煽り言葉。


 何の説明もせずはぐらかそうとするエドを、カノンはキッと睨んだ。



「エド、罪を認めて。今ならまだ間に合うから」


「間に合う? それは何を根拠に言っているんだ? こんなことをしておいて、死罪を免れられるとでも?」


「それでも! 悪に身を堕として地獄に堕ちるよりは何倍もマシだよ!」


 その時、話に気を取られて腕の力が緩んだためか、スティーブの声が音を取り戻した。


「だめだ、カノン……そいつはもう、俺達の知るエドじゃね、え――っ」


 再び首を掴む手に力を込めるエド。



「――僕は僕だよ。今までと寸分も変わらない」


「嘘! 私の知るエドは、敬虔なカーティアス教徒で、優秀で、誰にでも優しくて……決してこんな酷いことをする人じゃない!」



 エドはカノンに向かって鷲掴みにしているスティーブの体を突き出した。



「僕は今も昔も、敬虔なペオラ教徒だ。そして君達は純真なカーティアス教徒だ。君達はペオラ教徒を嫌い、憎み、蔑み、迫害し、そして……」



 グシャリ、という鈍い音。まるで果物を潰すかのように、エドは握っていたスティーブの首を握力だけで捻り潰したのだ。



 頭を失くした体から噴水のように流れ出た鮮血が顔に降り注ぎ、カノンは呆然とする。



「……カノン。僕は一刻も早くこの場を立ち去りたい。邪魔をするなら君も今ここで殺す」


「――メグちゃんは?」


「ん?」


「メグちゃんはどうするのっ。エド、あんなに仲良くしてたじゃない! 愛する恋人すら投げ捨てていくの!?」


 

 エドは彼女の予想外の発言に目を丸くした。



「こんな状況で色恋沙汰のお話? ……理解不能すぎる。殺されたがりのスティーブといい、君といい、どうしてこうも僕の周りには変人ばかりが集まるんだろうか」


「スティーブへの友情も、メグちゃんへの愛情も……全部嘘だったって言うの?」


「もう一度言うけれど……この状況でするべきことが、そんなくだらない話なのか? 目の前で人が殺されたんだぞ?」


「くだらなくなんか、ない。大切な友人を殺して、大事な恋人を捨てて……そうまでして、エドはここを立ち去るっていうの?」


 エドは小さくため息をつくと、スティーブの死体をそっとその場へ降ろした。



「……スティーブは確かに、それなりに仲は良かったね。だから僕は何度も忠告したよ。僕を止めるなと。それを無視して攻撃してきたのはスティーブの方だ」


 頭のない死体をじっと見つめながら、エドは淡々とした口調で話す。


「メグに関しては、とりわけどうとも思ってないよ。王族の娘と仲良くしておけば、後々役に立つだろうと思っただけさ。ま、契約を済ませた今となっては全く無駄なものになったけど」


「そんな……」


「これで充分? 悪いけど、これ以上くだらない話をするくらいなら、スティーブをなんとかしてやってくれ。こんなところに乱雑に放置されていたんじゃ、無残すぎてとても可哀想だ」



 そろそろ時間の猶予がないと悟ったエドは、いまだに尻餅をついたままのカノンを避け、部屋の外へと足を踏み出した。



「――カノン。これだけは覚えておいてくれ。君がカーティアス教徒であり続ける限り、僕はいつか君を殺さなければならない。……僕は、君を殺したくはない」



 最後にそう言い残し、エドはヴィオラとともにその場を立ち去った。残されたカノンは、しばらく放心状態から抜け出すことができなかった。










「――それで、貴方はこれからどうするつもりなの?」


 学園の外へ速やかに抜け出した二人は、王都の路地裏を足早に歩いていた。


「詳しい計画は立ててないけど、当分の目標はラーナラに到着することかな。人手が欲しい」


「人手を集めてどうするつもり? 貴方はカーティアス教を潰しペオラ教を再興させると言ったけれど、具体的には何をするつもりなの? そもそも、カーティアス教を潰すならあの場で神官達を殺せばよかったのでは?」


「一度にいくつも質問しないでくれ。具体的に何をするか、か。最終的には世界中にペオラ教を穏便に布教していきたいが、まあそう簡単にはいかないだろうね。とりあえず、最初はカーティアス教の力の一端を担っている各地の教会を叩いていこうと思う」


「カーティアス教の教会って、どれくらいあるのよ」


「さあ。詳しい数は知らないけど、ナグレンドの大半の都市に大なり小なり存在しているはずだよ」


「ああ、どうりでカーティアスの神聖魔法があれだけ強力なわけね。信仰の規模が桁違いってこと」


 宗教に基づく神聖魔法は、その宗教の信仰のされ具合によって力を増す。その信仰の分かりやすい象徴である教会の数が多ければ、その宗教由来の神聖魔法は自ずと強力なものとなる。


「悪魔魔法はそれに匹敵するどころか、並の使い手なら凌駕するだけの力はある。でも、教会本部の連中はまた別だ。連中には僕がお前としたのと同じように神と契約を結んだ奴らがゴロゴロいる。もっとも、今はその大半が対外侵攻に投下されているみたいだけれど」


「なるほど、それで人手集めね。だけど、契約に耐えられるだけの力を持った人間はそう多くないわよ」


「知っているさ。僕は特別だ。でも、契約がなくたって相手の信仰を削ぐことはできる。根本の力を崩せば、神と契約していようが底が知れている」


「ふうん。ま、せいぜい頑張ってちょうだい」


 ヴィオラはあまり興味がなさそうな顔でそう言った。そして今度は、自分が関心のある話題を切り出す。




「それにしても貴方、随分と冷酷なのね。あの子、お友達でしょう?」


 あの子、というのがスティーブを指しているのだということは明白だった。


「……そうだね。他人思いの、とてもいい奴だったよ」


「あの子も間抜けね。自分一人で止めようなんてせずに、周りの人間を起こしたり、誰か助けを呼べばよかったのに」


「……スティーブは間抜けじゃない。あいつは、きっと自分の言葉になら僕が耳を貸してくれるだろうと信じていたんだよ」


「で、それは結局幻想でしかなくて、貴方に裏切られたと。それが間抜けでなくて、一体何?」


 その言葉を聞くやいなや、エドはヴィオラの胸ぐらを掴み上げた。




「――死者を侮辱するなよ。僕は人を殺すことも、殺しを楽しむことも否定する気はない。でも、既に死を迎えた者が(そし)りを受けるのだけは、僕は絶対に許せない」



「……なんて身勝手な人間」


「人間なんてそもそも身勝手の権化だ。僕は僕の矜持に沿ったことをする。だから、誰かが死者を侮辱すれば、僕はそれを戒める。それが自分の信じる神相手であっても」


「私は悪魔ヴィオラよ。貴方の大好きなアルヴィオラルカ様じゃないわ」


 エドは小さく舌打ちし、ヴィオラの胸元から手を放すと、また元のように歩き始めた。


「……貴方、素直じゃないのね。そんな回りくどい言い方せずに、友人をバカにするなって怒ればいいのに」


「僕が人情に厚い人間だとでも言いたいのか? 馬鹿もほどほどにしておいてくれよ。スティーブを殺したのはこの僕だ」


「だから、怒る理由を作ってるんでしょう? 気づいてる?」


「……何が言いたい」


 エドは怖い顔をしてヴィオラを睨むが、彼女はそんなことはお構いなしに続ける。


「貴方の矜持は、友人を侮辱されたことに対して怒る権利を作るための建前なのよ。貴方は本質的に非道になりきれてない。それで生まれた良心の呵責が、友人のために怒るという単純な感情に、(いびつ)な理由を無理やり当てはめてるの」


 無表情でただ眼前の景色を見つめるエド。やがて言うべきことがまとまったのが、彼はゆっくりとした口調で話し始める。


「……僕を推挙していた司祭は、きっと死罪になる。カノンはきっと、心に消えない傷を負った。メグもだ。そしてスティーブも、僕に裏切られた」


「そうね。それで?」


「僕には彼らの期待に応えるという選択肢があった。にも関わらず、僕は自分の意志で禁忌を犯した。――他ならぬ自分の意志でだ。もし、僕の中に一片でも良心の呵責なんてものがあるのなら、僕は今頃スティーブと一緒に仲良く見張りを続けているはずなんだよ」


 僕は非道そのものだ。自らの信念のために他人の命をたやすく弄ぶ、極悪非道だ。だからお前の指摘はまるで的外れだよ――というのがエドの主張だった。


「だけど、悪にだって矜持はある。僕が死者への侮辱に対して耐え難い怒りを感じるのは、嘘偽りなく本当のことだよ」


「へえ、そう」


「善悪なんてものはその者の立場によって変わる。カーティアス教にとっての善はペオラ教から見れば悪であり、その逆もまた然りだ。だから、裏を返せば僕は善だ。ただ、カーティアス側から見ればそれは悪に見えるというだけの話でね」


 ヴィオラは黙ってエドの言葉を聞いていた。


「死者の侮辱に関する僕の怒りは、その善悪の垣根を超えた矜持というわけだよ。そこに関してはカーティアスもペオラも、善も悪も関係なく僕は一貫して許せない」


――彼女は彼が抱える脆弱さを見抜いていた。


 カーティアスにとっての悪を貫いてるだけで、ペオラにとっては善なる者なのだと、自分で自分に言い聞かせる。本当は罪悪感に苛まれているのに、それを認めまいとしている。そのために、かつての友人のために怒るということにすら、言い訳がましい矜持まで作り上げている。


 ヴィオラは妖艶に微笑んだ。


 その脆さがいつ表象化するのか。彼はいつ壊れるのか。その日を迎えるのが楽しみで仕方がない――彼女は、まるで恋い焦がれる乙女のように、熱い目でエドを見つめ続けるのだった。




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