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三話「禁忌」

「誘眠魔法程度すらまともに防げない軍人、か。こんな奴らに警備を任せるなんて、この国の神経を疑うよ」


 声の主はそう吐き捨て、目的である契約書に手を伸ばす。


「とはいっても、その方が僕としても大助かりなんだけど――うん、抗接触魔法の方も大した事ないな」




 満月が昇る静かな夜。




 禁断の契約が交わされようとしていた。




 他でもない彼――エドワード・テイラーの手によって。




「古ナグレンド語だって? バカも休み休み言ってほしいものだね。これはどう見たって古ラーナラ語じゃないか」


 書のページを捲りながら、エドワードは嘲笑した。古ラーナラ語は使用文字から単語まで、古ナグレンド語と全く同様だ。そして、古ラーナラ語で書かれた文章は古ナグレンド語で読むこともできてしまい、そしてまるで別の内容を読み取らせてしまう。



「まあ、他教の書物を片っ端から焚書しているようじゃ、そもそも古ラーナラ語なんて存在すら知らないんだろうけれど」



 司祭らが必死になってかけていたプロテクトは何の意味もなさない。なぜなら、契約に全文詠唱など必要なく、そもそもこの契約書はただ契約の手順を記してあるだけだからだ。



「この契約書自体が手にあれば、プロテクトがかかっていようが全く問題ない。あとは――」


 契約書に書かれた手順を確認しながら、エドは親指の爪を噛んだ。



「青銅の杯を二つ、か。確か大聖堂にあったはずだが……」



 エドは周囲の人間が目覚めていないことを確認すると、忍び足で大聖堂へと向かった。






 大聖堂に忍び込むことは、エドにとっては容易いことだった。複雑な施錠魔法も、彼には数秒で解除できた。


「よし、あった」


 エドは、目論見通り見つけた青銅の杯を二つ取り出すと、手頃な台座にそれと契約書を並べた。



 彼は自らの右の手のひらを魔法で切りつけ、少量の血を片方の杯へと垂らす。



 そしてその場に(ひざまず)き、目を(つむ)り、手を合わせる。




「我はペオラの地より堕とされし愚かなる民。ペオラを(けが)し罪を犯せし民。されど、アルヴィオラルカの慈悲を(たまわ)り、いつか、ペオラへの帰還を願う民。罪を認め、罪を洗い、神を信じる民である――」



 彼の口から紡がれる言葉が、杯の血を震わせる。




――そして。






「――アルヴィオラルカは偉大なり」




 その言葉とともに、契約書のページが勝手にバラバラと捲られ、あるページで止まった。台座の上に漆黒の光が現れ、バチバチと音を立てる。


 風など吹いていないのに、エドはまるで暴風を受けているかのような錯覚に見舞われ、まともに立っていられなくなり、その衝撃に思わず目を閉じる。






蠱惑(こわく)の悪魔ヴィオラ、呼び声に応じ参上した」



 その声を聞いて目を開いたエドの前に、それは鎮座していた。



 長く艶のある黒髪。この世のものとは思えない美貌。主張の激しい二つの膨らみは、それでいて理想的と言っていいほどに均整の取れた形をしている。その肢体は見るものの情欲を掻き立てんばかりに滑らかに透き通っていた。


 「悪魔」と自称した通り、彼女の魅惑的な肉体の大部分が漆黒の羽毛のようなもので覆われていた。よく見てみれば、背中には蝙蝠のそれと同じ形をした大きな羽が折りたたまれている。



「私を呼んだのは、貴方?」


 妖艶な笑みを浮かべながら、悪魔ヴィオラはエドへ問いかける。


 彼は胸の高鳴りを抑えるのに必死で未だに声を発することができず、唾をぐっと呑んでその首を縦に振る。



「へえ。貴方、カーティアス教徒ではないの? それが悪魔を呼び出すだなんて、一体どういうことなのかしら?」


「――僕はペオラ教徒だ! 偉大なるアルヴィオラルカよ、僕と契約を交わしてくれ!」


 声を振り絞り、エドは叫ぶ。



「私はアルヴィオラルカではないわ。悪魔ヴィオラよ」


「それはカーティアス教によって存在が歪められただけだ。貴女は――」


 ヴィオラは目を細め、腰を掛けていた台座から降り、跪くエドの顎を指先で持ち上げた。




「何が望み?」


 鼻先が触れ合うか否かという距離まで顔を近づけ、ヴィオラは小声で(ささや)いた。


「力を――」


「……?」


 エドはヴィオラの目をじっと見つめ、自らの望みを口に出した。



「カーティアスを滅ぼし、ペオラを再興させるだけの力が欲しい」


 ヴィオラはエドの顎から指を離し、再び台座の方へと戻る。



「こっちへ」


 手招くヴィオラに応じ、エドも台座へと寄った。




「与えるは悪魔の片鱗。対価は貴方の魂。それでいいかしら?」


「……魂以外の対価は?」


「受け付けないわ」



 エドはしばし悩んだ。魂を払うということは、自身の寿命が減るということ。自らの目的を達成する前に死を迎えては困るのだ。



「対価になる魂はどれくらいだ? この場ですぐ死んでは意味がない」


「フフ、用心深いのね。そういうの、好きよ」



 ヴィオラは二つの杯を手に取り、先程エドが血を垂らした方の杯を彼に差し出す。不思議なことに中身は空っぽで、血痕すら残っていなかった。


「その杯を基準にしましょう。そこに垂らした血の分と同じだけの魂をもらうわ。当然、その量に応じて与えられる力は変わる」


「……」


 エドは未だ血の流れ出ている右の手の平を杯にかざし、四分の一ほどの部分まで血を注いだ。それを確認したヴィオラも右手の平を切り、同じ量だけ血を注いだ。



「それをこちらへ」



 互いの杯を交換し、ヴィオラは乾杯を促した。エドは黙ったままそれに従い、コツンという音を立てて杯を合わせた。


 二人は一言も発さずに、同時に中身を飲み下す。




「――っ!」



 カラン、という音を立て、エドの手から杯が転がる。胸に激痛を覚え、エドはその場に倒れて悶え苦しむ。



 痛みが収まるのにそう長い時間はかからなかったが、その間彼はずっと胸を掻き毟り苦悶の表情を浮かべていた。



 やがて、荒れる息を整わせながら、エドは体を起こした。





「契約完了ね。貴方の魂、中々に良い味だったわよ」


「……気色悪い表現だな。お前、本当にアルヴィオラルカと同一存在なのか?」


「さて、どうなんでしょうね。私は自分の真の姿なんて興味ないわ。私はただヒトを堕とし、魂を頂くことだけが本懐の悪魔」



 エドは何か言いたげな表情で唇を噛んだが、それ以上は何も言わなかった。そして、既に血が止まっている右手を見つめる。



「力の使い方は本能的に分かるでしょう? もし足りないというのであれば、魂さえ支払って貰えればいつでも強化に応じてあげるわよ」


「考えておくよ。それより、早く契約書を元の場所に戻したい。まだ大丈夫だとは思うけど、誘眠魔法のかかりやすさには個人差があるから」



 エドは杯を元の位置に戻し、契約書を手に取った。



「……」


 大聖堂を後にする際、入り口に設置されたカーティアス教の主神を(かたど)った像がエドの目に入った。



 彼はそれに唾を吐きかけ、速やかにその場から立ち去った。










「お前、意外とデカイな」


「ん? 胸の話?」


「背の高さの話だよ」



 エドは男性の中でも比較的高身長の部類であったが、ヴィオラの背丈はそれに匹敵するほどに高い。頭半分くらいはエドの方が高いが、ヴィオラのそれは並の男性を上回っていた。



 元の部屋に戻ってきたエドは、未だに眠りこけている軍人の中でも特に背の高い者を探し、そいつが身に着けている黒く丈の長い外套を剥ぎ取った。



「その格好はあからさますぎる。これを着るといいよ」


 受け取った外套を羽織りながら、ヴィオラはクスクスと笑う。


「フフ、目のやり場に困りでもしたかしら?」


「そうだね」


 軽口には付き合わず、エドは契約書を元の位置に戻し、かけてあった抗接触魔法を再現した。




「さて。誰も目を覚まさないうちに行こうか」



「――待て」




 その声の主は、ヴィオラではなかった。




 右手を突き出して魔法を発する態勢を取る彼の姿が、振り返ったエドの目に入った。




「スティーブか」



「お前、一体何をした! これはどういうことなんだ! 説明しろ!」





 満月の昇る静かな夜。



 その静寂は、風前の灯であった。


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