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朦朧とする意識の中、憩はゆっくりと目を開けた。古びた木目の天井がぼんやりと視界に浮かぶ。
旅館の離れにある自宅ではない。勢いよく体を起こすと、後頭部に痛みが走った。
「いたた……」
「ああ憩、気が付いたか」
部屋の奥から声がする。頭を押さえながら這っていくと、ムカルたちが浴衣姿で優雅に夕食を楽しんでいた。
「ここの飯は最高だな。この、煮こごり? とかいうやつは、特に素晴らしい。見た目は汚れたスライムみたいなのにな!」
「やだ、ムカル様ったらお上手ー」
何が面白いのか、ムカルとワコルが豪快に笑いだす。イシカは何も言わずに目を輝かせながら黙々と食べ続けていた。
「あの……私はなぜこの部屋に?」
「ん? 倒れたお前を一人にしておけないと言うからな。高橋という女に頼まれたんだ。ついさっきまではいたんだが」
憩が部屋の時計に目をやると、既に七時を回っていた。パート勤務の高橋の勤務時間は六時まで。娘さんの延長保育が七時までなので、慌てて帰ったのだろう。いつもならこんなに遅くまで働かせたりはしないのだが、悪いことをしてしまった。
それにしたって、こんな物騒な人たちと一緒にして帰るだろうか。高橋は真面目だが大雑把なのが玉にキズだ。
なんにしろ、この人たちとは話をつけなければいけない。貴重な客だからといって何でも許されると思ったら大間違いだ。身ぐるみを剥いででも壁を壊した報いを受けさせてやる。
「あの!」
「はいよお待ち! 名物の手作りわらび餅だ!」
襖戸をスパンっと勢いよく足で開け、加藤がお盆いっぱいにわらび餅を持ってやってきた。それぞれのお膳に取り分ける。
その様子を見ながら、ムカルが歓喜の声を上げた。
「おおっ! これは凄いな。素晴らしくスライムそっくりだ」
「きゃっ、ぷるぷるよぉー」
ワコルがしなを作って身をよじらせる。わらび餅に負けじと、浴衣からこぼれんばかりの胸がたゆたった。
イシカはじゅるりとヨダレを垂らしている。
「ちょ、ちょっと加藤さん! 何呑気にデザート振舞っちゃってるんですか!」
「おっと嬢ちゃん、目が覚めたのか。こいつら何でも気持ちよく食ってくれるんだぜ。俺も作り甲斐があるってもんよ」
「この人たちがやったこと、加藤さんも見たでしょ!? 壁にあんな大穴開けて……どうしてくれんのよ!」
憩が大声を張り上げ、柱にドンを拳を叩き付ける。口の中いっぱいにわらび餅を頬張るムカルたちを睨みつけた。
一瞬の沈黙。だが、静寂は加藤によって破られた。真剣な憩の顔を見ながらぷっと噴き出し、膝をバンバンと叩きながら笑い出した。
「な、何が可笑しいんですか!」
「いや、悪い悪い。嬢ちゃんは寝てたから知らないよな。ホラ、見なよこれ」
加藤がエプロンのポケットから携帯電話を取り出し、そこに画像を表示させた。
「……これ、創業当時の浴場の写真じゃないですか。廊下に貼ってあるやつ」
フロントから大浴場へと延びる廊下には、創業からの旅館の軌跡がパネルとして飾られている。加藤が見せた画像には、パネルと同じ真新しいの大浴場が写っていた。
「違うよ嬢ちゃん。これは今日、ついさっき撮った写真だよ。このおっぱいのデカい姉ちゃんが、穴どころか浴場全部ピカピカにしちまったのよ」
「へ?」
憩は加藤から携帯を取り上げ、食い入るように写真を見つめてから、ワコルをゆっくりと見た。
おっとりとしたタレ目をさらに緩ませ、ワコルはにこりと微笑んだ。
「ごめんねぇ? うちのムカル様、ちょっとアレだから。でも大丈夫よ、ちゃんと修復しておいたから」
「おいワコル! ムカル様に向かってアレとは何だアレとは!」
ワコルの言葉に、イシカがフォークをグサリとわらび餅に突き立てる。
今にも掴みかからんとイシカは鼻息を荒くして身を乗り出すが、ワコルは知らんぷりを決め込んで鼻歌を歌っていた。
ムカルは一つひとつの料理の説明を加藤に受けながら、熱心そうに頷いている。
憩はぼーっとしながら、再び画面に写る大浴場へと目をやった。修復どころか、何度こすっても落ちなかった湯垢や、傷の一つすらも見当たらない。
壁をたやすくぶち破ったり、直してみたり。この人たちは一体何者なんだろう。破壊は困るが、この修復の力は使える。
もしかして、この人たちならば……と、憩は息を飲みこんだ。
幸いこの旅館が気に入ってくれたようだし、今日のところはゆっくりと休んでもらおう。そして明日、事情を話してみよう。
憩はこくりと頷き、とっておきの営業スマイルでお酌を始めた。