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雪国温泉には勇者がいました  作者: 潮崎みよ
1.勇者は急に止まらない
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2

「ユーシャ御一行様、おつきになりました!」


 憩は旅館の正面玄関に立ち、元気よく叫んだ。自動ドアが開き、外の冷気が一気に室内へ流れ込む。


「うー、寒っ! 憩さん、何を騒いでる……の?」


 着物の袖を手で擦りつけながら、パタパタと年配の女性が出てきた。憩の背後に人がいることに気づき、シャキッと背筋を伸ばす。


「こ、これは失礼いたしました。ようこそお越しくださいました、いらっしゃいませ!」


 丁寧な角度でお辞儀をしたかと思うと、慌ただしく下駄箱からスリッパを並べ始めた。憩のいる列をつま先立ちしながら見やり、ひーふーみーと数を数える。


「三名ですよ、高橋さん。宿泊予約、入ってませんでした?」

「えっ、日帰り入浴じゃなくて? どうだったかしら。そもそも予約なんてこの時期入ることがないから……」

「ユーシャ様というお名前のはずなんですが」


 そう言うと、高橋はフロントの奥へと退出していった。高橋はこの摩奧温泉旅館の仲居兼受付を担当してくれている。客室が少なく、それを埋めるだけの利用客もいないこの旅館は、基本的に最低限度の人員しか雇うことが出来ない。

 憩は黒のショートブーツから自前の草履に履き替えた。高橋が乱雑に並べていったスリッパを綺麗に正し、そっと手で促す。


「どうぞ、ユーシャ様」


 勇者は憩の意向を無視するかのように、ズカズカと土足のまま玄関を超えロビーへと歩き出した。その後ろに女性も続く。


「あー! あの、あの、ここでは靴を脱いでほしいのですが!」

「ん? 装備禁止区域か? 靴のみとは珍しいな」


 勇者は脛当てのようなものがついたブーツを脱ぎ、それをぽいと憩に預けた。思った以上にずしりと重くて、憩の腰ががくんと崩れる。


「イシカ、ワコル。ここからは手動モードに切り替えるから、各自で動くように」

「はい」

「了解ですわ」


 それぞれがブーツを脱ぎ、またもや憩に向かって放り投げる。既に両手が塞がっていた憩は、受け取りきれずにべちゃりとコケた。

 なんて自由な人たちだ。しかし、怒ってはいけない。貴重なお客様だ。平常心平常心と繰り返しながら、憩は玄関脇にある下駄箱へ靴をしまい込んだ。

 着こんでいたダッフルコートを脱ぐ。高橋と同じ桜色の作務衣と、えんじ色の前掛けエプロンが顔を出した。ポニーテールにまとめた髪をぐいと引っ張り、エプロンのポケットから出したバレッタでぱちりと止める。

 そこへ、バタバタと高橋が戻ってきた。


「憩さん、ごめんね。やっぱり、ユーシャ様という名前で予約は入っていないみたい」

「へ?」


 摩奧を探しているとのことだったので、てっきりこの旅館に予約を入れているのかと憩は思っていた。今日のバスの運行はもう終わってしまっているので、日帰り客ではないはずだ。

 ちらりと勇者を見ると、勇者の方もこちらをじっと見ていた。


「えっと、本日はご予約ってされていましたか?」

「予約? なんだそれは。それに、俺の名前はユーシャではない、ムカルという。勇者はジョブだ。そんなことも知らないのか?」

「へっ? すみません勘違いして。高橋さん、ムカル様だって」

「名前も何も、今日はご予約は入ってないのよ」


 客室はいくらでも空いているので急の宿泊があっても構わない。旅館の他にも日帰り入浴サービスを行っているので、いつでも利用は可能だ。だが、料理の用意はどうだろうか。


「高橋さん。加藤さんに言って、三人分のご食事がお出し出来るか確認してください」

「わかったわ」


 再び高橋はバタバタと、今度は廊下奥の厨房へ向かって去って行った。


「どうした、泊まれないのか?」


 勇者改めムカルの質問に、憩はとっておきの営業スマイルを炸裂させる。


「とんでもない! 予約がなくても大歓迎ですよ! さあ、お部屋にご案内しますね」


 せっかくの宿泊客を逃がすわけにはいかない。なんとしてでも満足していただかなくては。


「えっと、そちらのお客様もどうぞ。お部屋はいくつお取りいたしましょうか?」

「一つでいい。寝る時は重なっているから平気だ」

「へ? 重なって……?」


 初めはきょとんとしていた憩だが、言葉を頭の中で反芻し、ボッと顔を赤らめた。ぷっくりと柔らかそうな頬を手で覆い、大きな目を白黒させている。

 なんて大胆な発言なんだろう。二人ならまだしも三人重なって寝るだなんて! ふしだらだわ、ふしだらすぎる!


「そ、そうでしたか。失礼なことを聞いてしまい、申し訳ありません」


 憩は必死に冷静を装ってフロントから鍵を取り出し、足を速めて客室へと通じる廊下を進んだ。どうせなら、一番いい部屋を使ってもらおう。どうせ部屋は空いているんだ。それに、最も奥にあるこの部屋ならば、夜中におかしな声があがっても聞こえてくることはないだろう。


「さあ、この部屋ですよ」


 ガチャリと鍵を開け、ムカルたちを部屋へと通す。今度はあらかじめスリッパを脱ぐよう言っておいた。

 畳の間に重厚なテーブルと四つの座椅子が置かれている。十畳のこの部屋以外に、襖の奥には六畳の部屋もあり、客室としては立派な広さがある。二つの部屋から移動が出来る縁側からは景色が一望できるよう、窓一面ガラス張りにしてあった。


「こちらの棚はクローゼットとなっておりますので、ご自由にお使いください。お布団とご夕食ですが、何時ごろ伺いましょうか……って、聞いてます?」


 説明も全く無視で、ムカルたちは室内を物色しはじめた。テーブルの下、金庫の中、掛け軸の裏側まで。

 耳の尖った女の人が、掛け軸の下に置いている壺に気づき、キラリと目を輝かせた。


「ムカル様、怪しい壺を発見しました。ただちに中身を確かめます」

「よし、頼んだぞイシカ」


 ムカルの声にこくりと頷き、イシカと呼ばれた女性がぐいっと壺を持ち上げた。


「ちょ、何するんですか!」

「何って、壺を割るんです。中にアイテムが隠されてるかもしれないんですよ」

「ぎゃー! やめてやめてー! それ高かったのに!」


 叫びながら憩は、慌ててイシカの元へと駆け寄った。がしっと手を掴み、壺を奪おうとする。しかし、こんな細腕のどこにそんな力があるのか、どんなに力を入れてもビクともしなかった。


「そんなに中身が知りたいなら、覗いて見たらいいじゃないですか! なんで割る必要があるんですか!」


 半泣き状態で憩が言うと、イシカの動きがぴたりと止まった。ゆっくりと壺を置き、穴から中を覗き見る。信じられないという顔で、唇を震わせていた。


「ほ、本当だ、中が見えます! ムカル様、これはどういうことでしょう!」

「ふむ。壺は割る以外に使い方があったのか……どう思う? ワコル」

「なあにー? ムカル様」


 ワコルと呼ばれた女性が隣の部屋からひょっこりと現れた。先ほどまで被っていたとんがり帽子は、戸の前に転がっていた。つばが広すぎて通り抜けられなかったのかもしれない。おっとりした雰囲気のその人は、脇に枕を抱えていた。

 憩は不審に思ってワコルのいる部屋を覗いた。押し入れの布団が全て取り出され、ぐちゃぐちゃになっていた。


「壺は割らなくてもいいそうだ。おかしな宿屋だな」

「え? 何それ新システムですわ。じゃあどこに何が隠されているのかしら」

「何も隠してません! それより、寒かったでしょう? 温泉でも入ってきてはどうでしょうか?」


 これ以上付き合っていたら、部屋中荒らされそうだ。一度お風呂へ行ってもらって、その隙に部屋中の割れ物を移しておかなければ。

 憩が精一杯の笑顔を振りまくと、ムカルたちは顔を見合わせた。


「温泉? 噂には聞いたことがあるが、実装されていたとはな」

「回復効果のある泉みたいなものでしょうか? だとすれば行ってみたいですね」

「イシカは寒いだけでしょう? 唇が真っ青ですわ」


 ワコルがほっぺたを膨らませてぷくくと笑うと、イシカはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。二人はあまり仲がよくないのかもしれない。


「えっと、こちらに浴衣とタオル類がありますので。大浴場は先ほどのフロントから反対方向の廊下を進んだ突き当たりにございます」

「うむ」


 ムカルは憩の言葉にこくりと頷き、示された棚を開いた。畳んで置いてあった浴衣を手に取り、舐めるように見回す。


「これは、服か? 初期装備のような防御力しかないようだが……これで命は守れるのか?」

「へ? い、命ですか? うちは明治創業ですけど、今のところ死人は出ておりませんが……」

「なに! それは素晴らしいな。よし、着てみよう」


 羽織っていたケープとマントをはぎ取り、ムカルは腰の革製ベルトに手をかけた。


「っぎゃー! お風呂! お風呂で着替えてください! ここで脱ぐなー!」


 憩は顔を真っ赤にしてバスタオルを手に取って、グイグイとムカルに押し付けた。決して顔は彼へと向けずに。


「そうか、そういうものなのか。わかった。イシカ、ワコル、行こうか」

「はいっ!」

「温泉おんせんー」


 それぞれがタオルと浴衣を持ち、部屋を出て行った。

 ほっと、憩は息をつく。

 何から何まで常識のない人たちだ。外国人客は何度か相手にしているが、会話が通じなくて困ることはあっても、壺を割るなと教えたことはなかった。

 そう思って、憩ははっと目を見開いてから、猛スピードで部屋を出る。

 また一直線になって歩くムカル一行の背中を見つけ、大声で叫んだ。


「青い暖簾が男、赤が女湯ですからね! くれぐれも一緒に入らないでくださいね!」


 ムカルはこちらを見ずに、ぷらぷらと手だけ振って応えた。

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