マルトさんとあたし
うちに帰るとデジレさんが仁王立ちで今日は待っていなかった。
お仕事にいったのだろうか?
ていうかあの人はどんなお仕事をしてるんだろう?
一年以上一緒にいるのに謎だった。このフロアの七不思議のひとつ。
いなけりゃいないで少し寂しい、傍にいたらうるさいんだけどさ。
少し今日はひとりになりたくない気分、だからあたしは自分の部屋に入らず右隣の部屋をノックした。
「開いてるわよ」
少し男性っぽい太めの声でそう言ったのはネグロイドで絵描きさんのマルトさん。
印象派? なよくわからない絵を描いている変な人、あたしは好きなんだけどね。
以前、彼女の描いている絵を見てよくわからないですって正直に答えたら「そうだよ、それを君に言わせるために描いたんだ」ってよくわからないことを言われた。
なんだかそんなやり取りが妙に楽しくってあたしはこの人が好きになった。
悩んだときとか悲しいときにこの人の部屋にいくとなんだか癒される。
あたしにとっては魔法使いみたいな人。
「今日はなに描いてるんですか?」
「君の寝顔を描いていた」
そう言ってこっちを振り返ることもなく、答える。
あたしの寝顔見たことあるのっ? ていうかどう見ても人間には見えないんだけど
……たとえて言うなら、アジの開き? アジの開きなんてマルトさんは絶対に知らないだろうけれど。
「……」
「……」
「お茶を入れてくれ」
「うん」
勝手知ったるマルトさんの部屋、筆入れになっているマグカップを洗い、インスタントのコーヒーを濃い目に入れる。
あたしはブラックコーヒーが飲めないので(というかここ以外でコーヒーを飲んだことないよ)砂糖とミルクをたっぷり入れる。
それでもあまり飲みたくないけれど、マルトさんの部屋にはそれしかないのだ。
「……」
「……」
「君は…… ちっちゃい『みや』か?」
「……まさかっ 今気づいたんですか?」
「そんなことはない、ほらっ 今、君の笑顔を描いているだろう?」
「さっき寝顔だって言ってました」
「……」
「……」
「今日は良い天気だね」
「そうですね、もう夜ですけど」
「……」
「……」
「お茶を入れてくれ」
「うん」
「……」
「……」
「本当はなにを描いてるんですか?」
「君だよ」
そう言って微笑んでやっとこっちを見たマルトさん、このアジの開きはやっぱりあたしなのだろうか?
「マルトさん…… お話、聞いてくれますか?」
「なんだい?」
「今、お仕事に行ってる先の、コラリーさんという人なんですけど……」
かいつまんで事情を話す、少し寂しい笑顔が気になる素敵な人がいること、大切な人が作った庭でハーブを育てていること。
「君はその人のことが好きなんだね」
「はい ……でも大切な人って誰なんだろう?」
「君にとって大切な人はいるかい?」
「いっぱいいます、ここにはもういないけれど ……お父さんもお母さん、おばあちゃんも大切です。 そしてこのフロアに住んでいるみなさんも……」
「その中で自分より大切な人はいるかい?」
言葉に詰まる、そんな事あたしは考えたこともない。
「……多分、その人は、そんな大切な人のことを想っているんだろうね」
「あたしは、どうすれば…… コラリーさんにっ なにか……できることはあるんでしょうか?」
「……少女の微笑みは天使の微笑み」
「へっ?」
「天使が笑うと人間は歓喜に満ちるものだよ」
そう言って、今描いていた絵をあたしの眼前にかざすマルトさん。
だからっ アジの開き以外には見えないんだって。
いきなりだったので失礼だけどあたしは少し笑ってしまった。
「ちっちゃいみやは笑っているほうがいいね、やっぱり」
ちょっとみんなよりちっちゃいだけだし……
マルトさんはアジの開きを見たことはないです。




