(1)
2021年10月改稿済みです。
「暗いよーレン、ランプは?」
やはり緊張感のない、どこか間の抜けたような声が響く。暗がりゆえ、四方を塞がれたような錯覚を覚える。
「お前が持ってたんじゃなかったっけ……? あたたた……首が……」
あると思った足場がなくて、思いっきり不意打ちで穴に落ちたために受け身なんかとる余裕もなく、無様に落下したのはレンだ。キディは彼をクッションにして綺麗に着地していたので、ダメージはない。
ぶつけたらしい顔面や胸の調子を確かめていたレンは、彼の外見には相応しくない仕草で首を回す。
「ああっ?!」
首と頭の角度が上を向いた時、ついでに追いかけた視線がそれを発見した。
「……やっちゃったね」
レンにつられて見上げた先に、キディもそれを発見したようだ。遥か上に引っかかり、その場を細々と照らすのは、先ほどまで彼らが所有していたものだ。
「く、不覚……。取れるかなぁ」
「あのうねうねに引っかかってるみたい。明かりはついてるから壊れてはいないようだね」
「見りゃ分かる。……登れるか? ここ」
「僕には羽がないし、昆虫じゃないから壁を垂直に登るなんて芸当、できるわけないじゃない。他に足場になりそうな物もないし」
ここでキディは改めてレンに視線を送る。……表情がないので不気味なことこの上ないが、レンにとっては見慣れたものだ。
確かに、彼らが落ちてきたのは縦穴だった。綺麗に円形を描いている入口が小さく見える。その周囲は、限りなく無機質に近いようね有機質の壁。無数の太い触手が壁を形成しているように見える。
「……困ったね。どうする?」
「ちょっとも困ってないだろ、その顔」
「僕はいつもこの顔だけど」
一つ盛大にため息をついて、レンは腕を組んで考える。といっても、選択肢はほとんどないのが現状。
「この先明かりなしでか……? ツラいなぁ……でもま、仕方ねえか」
諦めも早かった。
「結構高かったんでしょ、あのランプ」
無遠慮にキディが突っ込む。
「そういう言い方すんなよっ! 諦めきれなくなっちまうだろうが!」
地団駄を踏みそうな勢いでレンが喚くが、キディは予想していたらしく、まったくもって動じない。無表情な瞳で彼の様子を眺めているだけだ。
「もういい。あれは諦めるんだからな」
キディに、というよりも自分自身に言い聞かせるように一息ついて、改めてランプに背を向ける。
「はーい」
歩き始めるレンを追いかけて、キディも歩き出す。と、不意に足を止めた。
「……え? 何?」
「あ? どーした?」
キディが放った間抜けた声に反応して、レンが振り返る。振り返って見ると、表情がないのが面倒臭いが、おそらく不思議に思っているだろう雰囲気だけをまとって、キディがレンに視線を向けている。
「あれ、今何か言わなかった?」
「いや別に? 何だよ……気味悪いこと言うなよ」
こちらは眉間にしわを寄せ、あからさまに嫌な表情。……表情豊かとまではいかないが、嫌な顔だけは得意なようだ。
キディの耳は未だ何かを捉えているようで、落ち着きがない。……ように見える。何もないはずの触手でできた壁や後ろ、レンの背中を視線が彷徨う。
そしてまた口を開く。
「え、だってほら……」
その様子があまりに真剣だったものだから、自分にも聞こえるのではないかと耳を澄ましてみるが、レンの耳には何も届かない。
「ちょ、お前……誰と喋って……」
様子のおかしい相棒に向き直ると同時に、今度は二人に声が聞こえてきた。
『そのまま真っ直ぐ進め!』
「はいっ?」
「はーい」
突然の命令口調に反射的に良い返事を返してしまった。
男とも女ともつかない響きを持った声は、不気味なほどに生々しく、有無を言わさぬ勢いで二人を追い立てるように彼らの後ろから聞こえてきた。
脊髄反射のような返事をしてから、二人は背筋を伸ばして足早にその場を離れる。
土でも金属でもない、布でもない、考えるのも嫌だが生き物の一部のような、そんな不思議なモノを踏みつけるドタバタした足音が、暗がりに響く。
「な……何なんだ?」
走りながらでもぼやく余裕はあるようだ。
「とにかく、進むしかないんじゃない?」
「そーだな……」
呼吸を乱すことすらせず、彼らの前に続く暗い通路を突き進む。少しずつ暗闇に慣れたその目が映し出すのは、目の前に続く一本の道。
謎の声に促されるままに走り出した彼らだったが、レンには気にかかることがあった。
「……あああああくそうっ! ツイてねえっ!」
突然吐き捨てるように叫んだレンだったが、キディにはその理由が手に取るように分かっていた。
「ついさっき諦めるって言ったばかりじゃない」
そう、あのランプだ。
金にがめついレンのことだ。諦めるというのも言葉だけで、後々思い出してはぶうたれるのは目に見えている。
ランプは今、走り去る二人の背中をその場で応援している。
「それに僕、もう目が慣れてきたし」
「早えーな……」
しばらく進むと道幅が広くなってきた。二人は走るのをやめ、肩を並べて歩き出す。全く光が差し込まない暗闇のはずだが、二人とも状況への適応能力が高すぎる。
「ところでレン、こんな時にこんな場所で妙なこと聞くんだけど」
「お前の格好がまず妙だろ」
「そうじゃなくてさ」
「じゃあ何だ?」
「僕は何なの?」
「は?」
脈絡のない突然の質問に、レンは素っ頓狂な声を上げていた。ついでに驚いて背筋を伸ばしたのが悪かった。
「あだっ!」
「ドジ」
「うるせ。足場が悪い、足場が」
意に反して背筋が伸びたせいか、足元の注意が上半身へ流れたようだ。丁度引っかかる場所に盛り上がっていた触手の一部であろうモノに足を取られ、レンはまたしても無様に転んだ。顔面から。
そんなレンを労ることなどカケラもなく、キディは続ける。
「答えは? ……ねえ、3年以上になるよ、そろそろ本当のところ教えてくれてもいいんじゃない? あ、道曲がってるよ、壁に衝突しないでね」
「おお……」
キディの注意がギリギリだったので、物凄く反射的に動くレン。お陰で激突することはなかったのだが、キディのナビゲートはいつもギリギリで困る。
「……本当のことなんざ俺も知らん」
キディに背を向ける格好で、ぶっきらぼうにレンが答える。
「何それ、どういうこと?」
「いつにも増して食い下がるな……お前、やっぱり昔のこと覚えてねーのか?」
と、今度は逆にレンからの質問だ。
道は真っ直ぐ、暗く、グネグネとした踏み心地。ただし時折レンを狙ったトラップが出現する。
「昔って、レンと出会う前? ……考えたことない」
レンの斜め後ろ、二歩ほど下がって歩くキディには、レンを狙っているトラップが見えているようだ。だけど一生懸命考え事をしながら歩いているせいで、前もって伝えることはなかなかできていない。
「考えたことないって……いでっ」
レンの声とともに鈍い音が響いた。
「ちょっと急な上り坂のようだよ。足元注意だね」
「おお……」
お前言うのが遅いんだよ! という文句は後回しにし、鈍い音を立てて捻ったらしい足首をさするレン。
「……で、世間一般的に記憶をなくしているような方々というのは、色々と自分自身に問いかけ、答えを見つける努力をしている。……そういう姿が思い浮かぶのだが……?」
無論これはレンの考え方であって、誰しもに当てはまるものではないのは分かっている。
「もちろん色々と考えたけど、思い出せないから知ってる人に聞いた方が早いと思って。レンは全部知ってて隠してるんだと思ったんだけど、違うの?」
立ち止まったまま、キディの言葉を背中に受けるレン。腕を組み、どうやら考えている雰囲気だけは伝わってくる。
「んんんんー……マジで覚えてねーのか」
言いながらちらりと怪しげな格好をしている相棒に目を向ける。
「どういうこと、それ? まさか本当に僕がサーカスのピエロだとでも思ってたの? 変態団長さんに毎日のように苛められてやっとのことで逃げ出してきたピエロだなんて、本気で思ってたの?」
珍しく長い台詞を淡々と並べるキディ。まさかこいつがこんなに考えているとは思いもしなかったレンだが、答えを探すように、いや、どう答えるべきかを考えるように再び歩き出した。
「いや、そーではなくて……お前が苛められているとこなんて想像できん……じゃなくて! 逃げ出してきたから、記憶がないフリでもしてたのかと」
「仮にそうだとしたら、いつまでもピエロの格好なんてしてないと思うけど」
「おお、確かに。……だああっ!」
話しながら歩いていたことと、ちょうどキディを振り返って正面に向き直ったところで、お約束のごとくレンは顔面から壁に激突した。
「壁だよ、レン」
「お前なあ、もっと早く言えよ! さっきから!」
「うん。そーする」
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