葛城楓3.
奈亜が帰り、再び静かになった店内で楓は立ち尽くしていた。
「愛沢奈亜さん、か」
閉まった扉を見たままもう一度その名を呟く。
突風のような勢いで走り抜けていった。この感じは誰かに似ている――そう睦だ。あの天真爛漫な同級生に似た勢いを持っている。
(だからどうなのって感じだけれどね)
というよりまったく関係ない……はずである。
関係ないと言い切れないのにも理由があった。それはその二人の知り合いに峻がいることだ。もしかしたら睦と奈亜も知り合いなのかもしれない。
(あの人、先輩とどんな関係なんだろう)
そしてその関係図の中心にいる峻の顔が頭に浮かぶ。
峻のことを話す奈亜の顔はとても穏やかだった。そのことからも二人が親密なことはうかがえる。
(学校の友達? それとも……)
「――っ!」
『友達以上の関係』というワードが頭に浮かんだところで、楓はそれを強制的に振り払う。
(先輩の人間関係なんて考えても意味ないし!)
楓はと頭を数回ぶんぶんと振った後で、思い出したかのように床の掃除にとりかかった。
床の掃除といってもそんなに手間がかかることではない。さほど広くない店内であるし、毎日綺麗に掃除をしていることもあってほとんど汚れはないに等しかった。
楓が指の先でつまめるくらいの埃を丁寧に塵取りへと導いた時、店の扉が開いた。
「遅くなって申し訳ない。葛城さん、店番ありがとう」
顔を上げた楓へ申し訳なさそうに苦笑いを浮かべているのは、現在遅刻の真っ最中である峻だった。
「…………」
その峻へ楓が返事をできずにいると、峻は少し戸惑った表情をして、
「……また怒ってる?」
などと聞いてきた。――デリカシーがない。
峻自身には悪気はまったくないのはよく分かった。いつもの楓ならそんなことないと訂正するところだったが。今日の楓は少し意地悪な気分だった。
(もう少し困らせてやる)
そう思い、楓は先ほどまで店にいた来訪者の話をすることにした。二人の関係は少しだけ勝手に補てんして、
「怒ってません。……あ、そういえば彼女さんがさっきまで来られてましたよ。約束忘れてたんですか?」
かなり嫌味な言い方だ。自分でもこんな言葉がさらっと出てきたことに驚く。学校の文化祭で助演女優賞くらいはもらえそうだ。……ただし敵役だろうけど。
当人である峻の反応はというと、
(あ、あれ……?)
峻の反応は楓の意図したものと違うかった。彼はぽかんとした顔をして、楓の言っていることが分からないといった風だ。
「えーと……彼女?」
そう真剣に聞き返されると困るのは楓の方だ。なにせ奈亜が峻の彼女かどうかなんていうのは楓の想像なのだから。
「彼女はここにいるけど?」
「え?」
峻が自分の背後を指さす。すると、その背中からひょっこりと顔が覗いた。
「峻君、なんの話?」
楓の知らない女性。淡い栗色の髪をふわりと揺らしている。綺麗というよりは可愛いという言葉がしっくりくるだろう。こちらはアイドルというのが真っ先に浮かんだ。系統は違うが、奈亜と同じく男性人気は高そうである。
「あ、あ、あの……」
初対面の人がいるとは知らなかった楓は、いつもの人見知りモードが発動してしまう。そんな彼女へ峻が笑顔と共に言った。
「こっちが俺の彼女の藤宮董子。……知り合いじゃないよな?」
「た、たぶん違うと思いますぅ……」
焦った楓の気の抜けた返事が狭い店内に小さく響いた。