葛城楓1.
四月最後の日、楓は駅前の通りを歩いていた。行き先は彼女のバイト先である『フォレスト』だ。一度ではあるが仕事を経験したためか、楓の足取りはいくらか軽かった。
(今日もお客さん少ないのかな)
楓は店に向かいながらバイト先の来客数について考えた。前回のように来客が一人のみ――それも楓を案内して店に来た睦だ――だとどう考えてもすることがない。そうなるとどうしたって『彼』と話す時間が増えるだろう。
――桐生峻。
バイト先の先輩で、睦の従兄。そして楓の学校に一昨年まで在籍し、今は隣に建つ甲城大の二年生である。
(どうしよう……一昨日のこと怒ってないかな)
一昨日、バイト初日でのこと。楓はあろうことか先輩である峻をいきなり怒鳴りつけてしまったのだ。その日の帰り際に話した時は、怒っていないように思えたが、内心はどうか分からない。
(今日は最初に謝った方がいいよね)
うん、謝った方がいい。向こうが怒っていなかったとしても年上の人に怒鳴ったのは楓に非があることも間違いない。
楓はそう決めると、到着していた『フォレスト』の扉を開けて中に入った。
「こんにちは」
できるだけ大きな声で挨拶をする。しかし、
(……あれ?)
返事がない。カウンターにいると思っていた峻はそこにいなかった。
「更衣室かな」
楓はそう呟くと、更衣室のドアを見る。確かにこの中なら返事が返ってこないことも頷けた。
「こんにちは」
「ひゃっ!」
後ろから声をかけられ楓は跳び上がった。素早く振り返ると、そこにはマスターが静かに立っている。
「驚かせてしまいましたか、申し訳ない」
「い、いえ、大丈夫です」
ふーっと息を吐きながら楓は答えた。
そんな楓を見て、マスターは穏やかに微笑む。
「あ、あのすぐに準備してきます。えっと、先輩は更衣室ですか?」
「いや、桐生君は少し遅れるみたいだよ。急な用事ができたらしい」
「そうなんですか……」
そう返した後で、楓は自分が落胆していることに気がついた。
あれ、私なんで? そんな疑問が浮かんだが、それについて深く考える前に、
「しばらく一人になりますが大丈夫ですか?」
「はい! 大丈夫です!」
「すいません。二日目なのに一人にしてしまって……桐生君が来るまでは私も前にいますから分からないことがあれば何でも聞いてくださいね」
「はい! 私、着替えて来ますね」
そう言って楓は更衣室に向かって急いだ。その時にはすでに楓の頭から先ほどの疑問は消え去ってしまっていた。