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枕の下の

 子供の頃に、枕の下に本を置いた覚えはあるだろうか。

 好きな童話を、その表紙を眺めてから祈るようにして枕の下に置き、眠りにつくのだ。こうすることにより、本の夢を見ることができると聞いて。本を置いた日が眠りにくかったのは、決して枕がほんの少し高くなった違和感のせいではない。その物語の夢が見れるという興奮のためだ。

 大人にもなれば、この行為が深層心理に働きかけて、その本の夢を見るという論理によるものだということをいつの間にか知っている。その上、期待したような効果が得られないことも。

 もしも、高確率で枕の下に置いたものの夢を見られるとしたら、人々は大人になってもそれを続けていることだろう。漫画に続き、好きな子の写真、そしてエロ本へと進化していったはずだ。だが、どんな大人もエロ本を枕の下には置かないのだ。

 私は、一度も成功したことはなかった。まず数回しか試した記憶がない。しかし、娘にはこの行為を奨励していた。可能性の低い望みを信じ実践することこそ子供の本分だと思うからだ。


「どうだった。お姫様にはなれたか」

「ううん。やっぱりダメだった」

「『やっぱり』か。残念だったね」


 これからの未来も、同じようにしてこの夢を見る方法を教えていくことを期待していたが、娘が大人になった時、娘の子供に教えることはなさそうだ。

 そういえば、本は電子書籍に変わりゆくとも聞くな。タブレットを枕の下に置くということはなかなか想像がつきにくい。液晶が割れると言って親が推奨するようにも思えないものだ。

 まず電子書籍が普及する頃には好きな夢を見ることができる機械が出来ているかもしれない。



 仕事の資料のために本屋へと向かう。買う本は既に電子書籍としても販売されいる。しかし、電子書籍は購入前に全てのページを試し読みすることが出来ない。最近は試し読みの部分だけに力を入れる本も出てきている。ひどいものだと試し読みの部分だけカラーで次のページからモノクロのなんて本もある。

 実物を見れば、質の低い本を掴まされたなんて経験は少なく済む。コーナーが用意されており、類似した本との比較のしやすさは、手にとる形が一番であると実感できる。

 電子書籍には劣化がしないことや、どれだけ持ってもかさばらないなどの良い点もあるが、個人的には読みやすさと使いやすさはまだまだ紙の方が上回る。

 電子と紙と、どちらが良いかと言われれば、世間の評価も一長一短だとされている。いつか紙を超える日がやってくるだろうが。


 さて、その資料を買う本屋でトークショーとサイン会が開催していた。

 有名な絵本作家。漫画や自ら表紙や挿絵を描いた児童文学も出版している。アニメになって放映もされたし、映画にもなっているし、電子書籍の持ち味を活かした絵本も出している。その絵本はギミックが盛りだくさんで子供向けのゲームアプリのようだったと聞いたことがあるが詳しくは知らない。とにかく彼の本のタイトルは誰もが耳にしたことがあるほど有名だ。

 娘が、枕の下に置いた絵本も彼の描いたものだった。

 彼の本は子供を対象にしているが、内容は子供だましではない。大人にも面白いと思わせるし感動させる。親子で楽しめることが人気の一つだ。

 奇想天外なアイデアがふんだんに盛り込まれていて、皆の持っている子供の心をこれでもかと震わせるのだ。

 彼はいつでもパステルカラーを好み、水彩や色鉛筆などで淡く、背景のただ白ですら美しく思えるように描いている。

 今日のサイン会も新しく発売された絵本の記念ということらしい。絵本の表紙は例に漏れず繊細で美しかった。


 もう既にトークショーが始まっていた。周りで聞いているのは親子連れが多い。

 ご尊顔を拝見してみたら、三十代半ばのスキンヘッド。優しい顔をしているわけでなくコワモテ。ファッションで生やしているであろう無精ひげは、周りの子供には受けていない様子だ。

 彼のお話に釣られて想像していた顔とは、どうも似つきもしない。作家と聞いて、そのペンネームを聞いて、思い描く像は細身で端麗で虚弱だが、全く当てはまらない。

 裏会社の人間が現代版ハーメルンの笛吹き男を実践すべく、彼の名を奪っているのかと疑いたくなるが、残念なことに本物のようだ。彼の前には、先ほど描かれたのであろう、絵本のキャラを描いた色紙が置かれている。この本屋の名前入り。こんな顔つきなので信じてもらえないだろうからと、身分を証明すべく真っ先に描いたのかもしれない。

 生の色紙をつい見入ってしまう。今でも幻想の作家像を思い描くような絵だ。もし彼の本が私の子供の頃に存在していたら、必ず枕の下に入れていただろう。


「ある程度好き勝手にお話を作るんです。キャラクターを好きなように遊ばせる。話が途中で行き詰ったら、枕の下に書いた絵を置くんです。子供がその夢を見るために枕の下に本を置くようにして。それがボクの創作術ですね」

「それでお話の続きが出てくるのですか」

「そうです。頭の中で話が行き詰ったり、これからどうしようかとか、細部がしっくりこない時は、夢の中で形作れるんです」


 トークショーは対談の形式で行われている。相手は女性で、こちらはただの進行を務める司会のようだ。

 内容が子供向きのものとは少し離れたものとなっている。むしろ私のような人向けな気がする。

 ただ、枕の下に話を置くことが創作術というのはどうにもおかしい。子供相手にメルヘンチックな話をしているだけだろうか。

 彼の一人称がボクであること以上に気になった。


「枕の下に話を置くとその夢がみられるんですね」

「ええ、そうです。ただ、それだけじゃないんです。いくつかの儀式が必要で。こんな言い方すると、少しオカルトじみてますがね」

「もしよろしければ、教えていただいてもよろしいでしょうか」

「いいですよ。企業秘密なんてものでもありませんから。ただ引かないでくださいね」


 その言葉を聞いて司会者は最近の若者のようにはしゃいで喜んでいる。

 一体誰の気持ちを代弁しているのかと考える人もいるだろうが、私の心の内は彼女のはしゃぎようと同じようなものだった。


 トークショーは夢の見かたの話で終った。

 その後に、簡単なサイン会をやるスケジュールになっていたが、整理券も持たず、絵本も買わなかった私はその場を去った。

 彼のことを怖がっている子供相手にどんな対応をとるのか非常に気になったが仕方がない。それよりも気になることができたのだから。


 夜。忍ばせるようにして、枕ものに置いたのは、昔描いた漫画だった。

 やみくもに描いていたものの、いい落ちを思いつくことができず途中で完成させるのを止めた漫画だ。

 つい、思い起こすように、パソコンのデータの奥底から見つけ出した。データなので劣化することも色褪せることはないが、今見るといささか古臭い。

 下書きは終わりまで描いたが、無理やり落ちをつけて終わりにしたもの。そのためラストが面白くなく、完成させてなかった。描いてる最中につまらないと辞めてしまったものを、今見て面白いと思える訳もない。が、これが面白くなる可能性があるのだ。

 もし、この終わりの部分を捨てて、彼の話していた方法により、面白い落ちを見つけられたとしよう。

 漫画家になりたかった夢が少しだけでも報われるかもしれない。そう考えて印刷した。


 枕から加齢臭が漂う大人が行うものではないと思う。私の一人娘だって、馬鹿げてるとしか思わないだろう。

 だが、失敗したって誰も気づかない。恥は家族にも届きはしない。ものは試しだ。可能性の低い望みを信じるのだ。

 そして、もう一枚。メモの一枚を切り取って、まるで悪魔を呼び出すかのように魔法陣を描いた。陣の内容や模様は、彼があの場で描いていたものだ。丸と四角と三角とで出来た簡単なもの。口頭で伝えるのは難しいが、記憶し模写するのは簡単なものだった。

 この紙を枕と物語の間に置く。こうすることにより、夢でその話が見れるらしい――




 森の中。川は見えないがせせらぎが聞こえる。木漏れ日が地面を覆う小さな草花を明るく照らす。

 からっとした暑さは夏そのものだ。はて、今の季節は夏だったか。違う気がする。

 明るい天気と裏腹に腑に落ちない曇った気分が続く。辺りを巡ると一人用の食卓ほどの大きな切り株に、一人の男が座っていた。

 スキンヘッドのいかつい顔。彼の顔を見た瞬間、昨日のことが思い起こされ、今の状況がなんとなく理解できた。


「もしや、ここは夢の中」

「よくお分かりで」


 周りを見渡す。現実のものとそん色はない。かといって夢特有の幻想さもない自然の中だ。


「ちょっと待て。これは私の夢なんかじゃないぞ。こんな風景を描いた覚えがない」

「ここは、ボクの夢の世界です」

「どういうことだ」

「信じてもらうしか、いや信じるしかないでしょうが、これは中東に存在していた魔術の類で起こしたものです。創作活動する人には色々な知識が勝手にやってきます。それを実践しているんですよ」

「あのトークショーで話したことは本当なんだろう。どうしてお前が出てくるんだ」

「確かにお話の中に溶け込むような魔術も存在します。物語の中に赴き、私は話の質を上げていきました。ちょうど今の様な、リアリティを求めて。描く話によっては、もう少し神秘的に変えます。普通の人の夢ではこのようにはなりません。お望みならばこの場で、実践してみましょうか。そうですね、あなたの描いたつまらない漫画に出てくるキャラをここに実現させることができますけど」

「……つまらないだと。何故そんなことが分かる」

「何故って? 読ましてもらったからですよ」


 彼は数枚の紙を左手に持ち扇子代わりに自分の顔をあおいだ。

 彼の手にしていたものは、私が枕の下に置いた漫画だった。

 ようやく、彼が何をしているのか理解してきた。

 あの場で教えられた術式は、自分の夢に人を連れ込ませるようなものだったということか。


「そうやってお前は人の作品を盗んでいたのか」

「誤解しないでください。もう誰にも晒されることのないでしょうアイデアを使っているだけです。そうですよね。違いますか」


 こうも、開き直られると言い返す言葉が出てこない。その上、彼の夢の中。握りこぶしを作る以外に何が出来よう。


「それにですね。別にこんな話から欲しいアイデアなんて一つもありませんよ。とくにボクの欲しいものとも違います。凡庸なんてものじゃありません。はっきり言って陳腐です。こんな話は作らないようにしようと考えるだけ。こんな物語の夢の中であなたは何をしたかったのですか?」

「ひ、人の話を勝手に見ておいて、なんてことを」

「でもですね。開始早々パンチラして、主人公は帯刀しているのに、何故か不思議な力で戦うし。二ページ目で女の子が主人公のことを好きになって。それで伏線もなく女の子が敵になって。惚れてたのどこいったんですかね。そしていきなり女の子殺して、豪傑扱いだった主人公が、こんなことはしたくなかったって、弱弱しく泣き出すってなんですかこれ。中学生でも描きませんよ」

「そのどこがおかしい」

「全員説明口調で、戦闘シーンはとにかく『ドッ』と『ッカ』の擬音で埋め尽くされて何が起きているかわからないですよ。絵でキャラの区別がついてないですし、アングルが常に同じで見にくいです。これどんな落ち付ける予定なんですかね。非常に気になります。教えてくださいよ。ああ、付けられないから夢の中に来たんですか。もっと根本をどうにかしないと。これをおかしいと思えないなんて、今までどう生きてきたんですか」


 無精ひげをこれでもかと動かし、私の話の欠点を人格と一緒に攻めたててくる。

 怒りを露わにして彼を睨んだ。久しく忘れていた感情は殺意にまで及ぶ。

 鼻息が次第に荒くなる。そんな私を見て冷笑する彼の顔にさらに怒りが増し、睨みすぎて何も見えなくなるように感じていると、いつの間にか夢から覚めていた。

 憤死があるのなら、怒りで目が覚めることもあるだろう。初めての経験だが。


 寝る前と同じようにして、枕元には私の描いた漫画が置いてあった。

 私は無性に腹立たしかった。盗まれたのだ。挙句、つまらないと言われた。

 時間が経てば経つほど、膨れ上がる怒りは、復讐せぬ限り静まることはない。

 絶対に一泡吹かせなければらない。心に誓った。





 ボクの元に来客が現れた。

 一度しか顔を合わせたことのない男性だ。それも出会ったのは夢の中で、その一度きりなのだ。


「先生、先生には何とお礼を言っていいのやら……」


 出会ってすぐに、お礼の言葉を耳にする。顔つきを見ればわかる。恨んでる様子など一切ない。ボクは彼を喜んで迎い入れた。


「私の話を盗みとられたと感じた時に、憤りを憶えました。しかし、あのような形であなたに奪われてしまったと周りに訴えても、ただの妄言として扱われ誰も信じないでしょう。それを信じさせるためには、少しでも発言力を増さないといけない。そう考えて、また漫画を描き始めたのです」

「そうして描いた話が、見事に出版され、方々で話題となっている」

「はい。今ちょうど情報番組にて取り上げられるので、それを是非とも先生に見ていただきたいと思いまして」


『始まって早速話題を呼んでいる――』

『とっても面白くて、とくに主人公の葛藤がすごいんです――』

『御覧のように舞台となった場所にはたくさんのファンが駆け寄り――』


 彼の描いた漫画は、まだ始まったばかり。だが既にテレビで取り上げられるほどの反響を呼んでいる。

 正直、嫉妬してしまいそうな才能だが、ボクのおかげと言われれば鼻が高い。


「今まで諦めていた夢をまさか叶えられるとは思いもしませんでした」

「それはよかったです」

「いや、本当に申し訳ない限りです。ただ人の話を盗んでいるだけだと思っていたのが恥ずかしいです」


 確かにその面がないかといえば嘘になる。だが、あくまで副次的なものだ。

 ボクの行為は夢を諦めている人をもう一度再起させるためにやっていること。

 その上で使われていない、表に出ることのなかったはずのアイデアをボクの話に取り入れることになんの問題があろうか。

 美談になっているわけだし、この方法を使っているからこそボクの絵本も人気を得ているのだ。全てが上手くいっているのだから。


 テレビで彼の漫画の紹介が終わった。始終賛美の嵐だった。


「こんなに褒められるとこっぱずかしいですね」

「じきに慣れますよ」


 この褒められ慣れていない初々しい姿を見るのがとても好きだ。これからも同じようにして、たくさんの人にこの気持ちを味わせることができるだろうか。


『さて、もう一つ。最新のトレンドを作った人を紹介したいと思います。なんとスタジオにお越しいただきました。お忙しい中ありがとうございます』

『お呼びいただいてありがとうございます』


 テレビに出てきた人物に見覚えがあった。訝しげに眺めていたことを隣にいた彼の声で気づいた。


「あの、どうかなされましたか。テレビに映ってる方は先生のお知り合いでしょうか……」


 ボクの元の顔が怖いのに、さらにこわばっていたのだろう。恐る恐る訊ねてきた。


「いやあ、この人も夢の中で出会ったのを今思い出したんです。この人も漫画を持ってきたんですけど、あまり面白いと言える漫画ではなかったはずなのですが」


 そうだ。あのヘンテコな漫画を描いてきた奴だ。

 年齢を抜きにしても才能があまり感じ取れなかった。だとすると、別の分野で有名な人なのだろうか。それとも本当に彼の話が話題を博しているのか――――


『フリーランスで働いているとのことで、すごいものをお作りになられたんですよね』

『ええ。作りました。好きな夢を見せるアプリです。快眠アプリなどが存在していましたし、もしかしたら出来るだろうと』


 漫画家として話題になったわけではないらしい。ボクの眼に狂いがなかったようで少し胸をなでおろす。

 待て。夢を見せるアプリだと。


『どういった内容なんですか』

『電子書籍などから内容を読み取り、ヘミシンクといったものやおかしな話ですが科学的に解析した魔術など様々な技術を用いて、好きな本の夢を見てるようにしました。タブレット端末を枕の下に置くだけで十分なんです』

『わあ。それはすごいですね』

『ありがとうございます』


 テレビに映る彼の笑顔は、これで同じ轍を踏むものがいなくなるということをボクに訴えかけてくるように勝ちほこっていた。

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