中編
10月のハロウィンが終わり、繁忙期がやや過ぎ去った、11月上旬。
高島氏が次のパティシエのコンテストに出品する作品の作業に取り掛かってしまったので、愛莉はさっさと帰ることにしたのだ。
その時に、久しぶりに専門学校時代の友達の小野 実と米原 舞の二人と一緒に飲みに行く事にしたのだ。
二人は、学校時代から付き合い始め、今でも仲の良い恋人同士だ。
舞は、収入が安定してから、結婚の話を自分から切り出そうと思っているようで、今時珍しくもない草食系男子の実と肉食系女子の舞である。
愛莉は、そんなふたりを兄姉のように慕っている。
そんな二人を連れて入った、カジュアルなイタリアンレストランの奥に、瀬田とその彼女と思われる女性と一緒に楽しそうに食事しているのを目撃したのだ。
なぜか、一瞬見ただけなのに、少し苦しい思いが沸き上がってくる。
そして、楽しい一時のはずの友人との時間もどこか上の空で、味もよく分からなかった。
舞と実は、愛莉の表情やしぐさから、きっと疲れが出たのだろうと判断して、食べ終わるとすぐ愛莉をタクシーに突っ込んで、運転手には行き先を告げ、お金を適当に渡して、無理やり自宅に帰す。
愛莉は、のろのろと自宅の鍵を開け、部屋のベッドに倒れこんだ。
うつ伏せが苦しくなり、顔だけを横に逸らす。
木目調のお気に入りのアンティーク机の上には、日記帳が朝のまま置いてあった。
なにかに突き動かされるかのように、愛莉はゆっくりした動きで机に向かい、日記帳を開ける。
『11月7日 曇。
今日、最近流行りのイタリアンレストランに、舞たちと一緒に行きました。
そこに、瀬田さんが女性と一緒に食事をしていました。
なぜこんなに苦しい気持ちになったんだろう…
彼はお客様で、私とはそれしか接点がないのだから、特に悲しむ必要性はないはずなのに』
-ポタッ
日記帳の紙に、落ちてきた雫が染みこんでいく。
泣いていることにようやく気づいた愛莉は、その感情の名も知らず、ただただ気持ちのままに涙を流していった。
どうか、この苦しい気持ちが洗い流せますように…
「瀬田さんの馬鹿…」
それからは、瀬田となるべく接点を持たないように、忙しい振りをしていた。
店員に揶揄されようとも、仕事に打ち込んで耳を貸さないように、注意して。
それからひと月も経ち、クリスマスのムードが日々高まりを感じる季節。
「坂本さん、ちょっといい?」
「はい!」
先輩の作業店員さんに呼ばれ、着いて行くと店の裏口で瀬田さんが待っていた。
「っ!先輩、用事はなんでしょうか?」
「用事があるのは、このお客様です。ちゃんとしたお得意様なら、しっかり対応しなさい」
そう言いながら、肩をポンッと叩かれ、先輩は来たように裏口へと入っていった。
―ガチャンッ
扉の閉まる音がやけに大きく聞こえ、すこし肩が震える。
「すみません。どうしても坂本さんにお願いしたいことがあって、他の店員さんにお願いしました」
瀬田は済まなさそうに、愛莉を見てくる。
先ほどの先輩の言葉で、どうやらお節介を焼かれてしまったことは十分わかった。
あとで、少しだけ恨み言を言うぞと考えていると、尚も瀬田は小さな声で続ける。
「最近お忙しいとは思いますが、是非貴女にクリスマスケーキを作ってもらいたいのです」
「えっと、それはご予約ですか?それでしたら、どうして店内じゃなくて、裏口なんて…」
愛莉の言うことはもっともで、益々瀬田は済まなさそうにしていた。
「是非、坂本さんに頼みたいと思いまして…」
「ちょっとまだはっきりした役割はわかりませんが、たぶん私と同じようなスタッフ2~3人で焼きますよ。だから」
「それは、先程の方から伺っています!そうじゃないんです。土台から、デコレーションまで全て、坂本さんにお任せしたいのです。ダメですか?」
瀬田は、愛莉が言いたかったことを遮って、己の頼みたかったことを伝えようとする。
「………それは、店長に聞いてみないと分かりません」
愛莉は、なるべく瀬田の顔を見ないように、下を向きながら話をしていた。
だから、瀬田がどういう行動に出るかまでは見えない。
気づけば、自分の視界に瀬田の靴が映り、きゅっとエプロンを掴んでいた手を、大きくて温かい手が包み込む。
愛莉は、自然と顔が上向いた。
「もし、店長さんが許可してくださったら、貴女は作ってくれますか?」
真剣な眼差しの瀬田には、得も言えぬ迫力があり、自然と愛莉は頷いていた。
まぁ、もう分かる展開かとは思います。