前編
メリークリスマス!ということで、甘いものを作りました。
宜しければ、召し上がれ…。
日記を中心に、季節が動きます。
その日の事を書いて、そっと日記を閉じる。
今時珍しいくらい、本の日記帳に拘り、毎日短い文だけど、書いていた。
本の表紙には、坂本 愛莉と丁寧な字で名前が記されている。
愛莉は、現在務めるスイーツ店のパティシエ見習いとして、日々精進しているところである。
朝は早いし、きついことも多いが、お客様の癒しや笑顔になるこの仕事に誇りを持っていた。
もちろん、お店のオーナー兼パティシエの高島 賢一氏のことを大層尊敬している。
仕事に打ち込むことが多く、夜遅くまで高島氏のコンテスト用の試作品、新作などのアイデアを見聞きして、一生懸命勉強をしていたら、友達には『男が出来ないぞ』と揶揄される始末になっていた。
たしかに、今まで特定の誰かを好きになることもなく、ただただ仕事ばかりしていることは否めない。
でも、愛莉はそれで良いと思った。
まだまだ、そんなことよりも勉強して、一人前にならなければ。
そんな中で接客していたら、出会った男性が印象に残ったのだった。
『8月31日。晴れから夕立。
今日、とても良いお客様に出会いました。女性社員さんのお使いで来られたそうで、オススメはどれかと聞かれましたので、色々説明させて頂いたら、ステキな笑顔でお礼を言われてしまいました。あんなに綺麗な笑顔の男性は、あまり見慣れないので、今日はとてもいい日でした。』
それから数週間が過ぎて、さっさと忘れてしまった愛莉の前に、また彼は現れたのである。
「いらっしゃいませ、こんにちは」
「あ、えっと随分前に来たの、覚えてますか?」
瀬田は、少し苦笑いのような顔をしていたが、その困ったような顔も綺麗だった。
愛莉は、その綺麗な顔をした男性を数週間前に来た人だと、思い出す。
「はい、お客様。たしか、ロールケーキをお買い上げ頂きましたよね」
ニッコリと微笑む愛莉を、瀬田はホッと息を吐き出した。
「あ、俺、瀬田って言います。これ、名刺です。あの時は助かりました。俺だけじゃ、女性の甘味は、分からないので…」
愛莉は、名刺を受け取ると、さっと目を通した。
そこには、この近くで有名な精密機器部品を扱う会社の名前が書かれている。
連絡用なのか、裏面には携帯番号とメールアドレスまであった。
愛莉は、さっと近くにあった名刺型の店の広告を取って、店の名前と電話番号の下に名前を書いて、瀬田に渡す。
「すいません、本来でしたら名刺を交換するのが礼儀とは思いますが、こちらで宜しければ…」
瀬田は、その即席名刺を受け取って、つぶやく。
「坂本 愛莉さん…っておっしゃるのですね。名刺ありがとうございます!」
「いえいえ。こちらこそ、どうぞこれからもご贔屓に。ところで、今日はどういたしましょうか?」
なぜか少し落ち込んだような、そんな素振りを見せた瀬田に疑問を抱きつつ、愛莉は今日の一押しを薦めてみる。
それから瀬田は、よく店に通ってくれるようになった。
毎度、厨房に引っ込んで作業していても、なぜか愛莉に挨拶をするために呼んでくるため、従業員の間でも瀬田の存在は有名になり、愛莉に好意があるはずと噂をする。
愛莉は、それはないだろうと苦笑して、受け流すことに慣れ始めていた。