訪問
訪問
朋あり遠方より来る、また楽しからずや。(孔子『論語』)
今回、来たのは私の方だ。たくさんの友人、知人、親戚……会えるだけたくさんの人に会うつもりの里帰り予定だった。
しかし、当初の予定以外で会うことができた人は数えるほどしかいない。予定に組んでいた際にほぼ偶然で予定外の旧い知り合いに会えた程度であった。
とはいえ、帰宅初日にまず会いたい人たちがいたため、午後八時、車を出して会いにいった。
彼らは私が誰かと一瞬考えてはいたようだが、すぐに思い出して、私がそこにいた当時と全く変わらずに接してくれた。一番会いたかった方は一発で顔と名前を思い出してくれた。
里帰り期間中、ここでしばらく仕事をすることとなったが、本望だ。本来、ここにいたのだから。「全くここにいて違和感がない」。最高の誉め言葉をいただいた。
郷里で挙式して以来、会う時間がとれなかった親戚に会うこともできた。訪問を涙を流さんばかりに歓迎してくれた。手厚いもてなしと時間が流れても変わらない人柄に安心したり、恐縮したりであった。
その他会った人々は訪問というより、約束のほうが近い。その他の人々との再会は別の篇でしようと思う。
客となり訪ねていく、訪問。これまでは逆が多かった。それでもやはり再会を喜び、時の流れを語り合う。それは主客が逆転しても変わらないものだった。
手土産として持っていったお菓子が、購入地最寄り地域の人に人気だったことがちょっと不思議な現象でもあったことを最後に書き加えておこう。