コーリング・エンジェル(3)
「ただいま」
玄関の扉を開けながら、声をかける。
返事はない。家族はまだ帰っていないようだ。
オレは昔ながらの古いアパート--文化住宅っていうやつか?に住んでいる。洗濯機が外に置かれていないだけ、マシかもしれない。
造りは2DK。一つが四畳半でオレの部屋、もう一つが六畳半で姉の部屋。年の差には逆らえない。台所が少々広くなっていてそこでテレビを観たり、メシを食ったりしている。
両親はオレが中2の時に交通事故で亡くなった。
オレと姉は当時住んでいた家を引き払い、今のアパートに引っ越した。
面倒を見ると申し出てくれた親戚もいたが、オレたちは2人で生活することを選んだ。
オレは中学を卒業してすぐに働くと申し出たが、姉は頑なにそれを拒否した。高校も大学も私が何とかするから、出来るだけいいところに行きなさい、と。
いくら「ゆとり教育」と言われても、「ゆとり社会」は存在しないことを知っているからだろう。勉強していい学校に行くに越したことはない、といつも言っている。
オレは姉の言葉に甘えることにした。勉強はからっきしだったから、必死で受験勉強した。
水都が親身になって勉強を見てくれたお陰で、行ける学区内でも割と進学校に合格することができた。ミトと同じ学校に行けるなんて、オレにとっちゃ奇跡みたいなもんだ。
ミトはもっといい学校に行けるぐらい成績が良かったのだが、万が一の事を考えて「安全パイ」である今の学校を選んだらしい・・・。頭の良さの違いって、こういうところにでるんだな。
伊藤も成績はそこそこだったが、オレに付き合って勉強するうちに成績が伸びて、オレたちと同じ学校に合格することができた。中学からつるんでるヤツが同じ学校にいるのは、結構嬉しい。
オレは自分の部屋に入った。パイプベッドと折りたたみのテーブルとイス。テーブルの上には電気スタンド。他にはカラーボックスが一つ。
押入を改造して上の段には服を吊せるようにした。下の段にはキャスター付きの3段ボックスを2つ入れて、クローゼット代わりにしている。
カラーボックスの中には高校の教科書と参考書。マンガや雑誌の類はない。押入の中には私服が数着かかっているだけだ。3段ボックスの中には下着類が詰め込んである。ゲームやパソコンといった電気家電は置いていない。
話題になっているマンガは伊藤が貸してくれる。ゲームも端末ごと貸してくれることがあった。
ミトは小説を貸してくれるのだが、文字の羅列がなかなか頭に入らないオレは、相当時間をかけて読破することになった。ミトは「気にしないで」と言ってくれるので助かる。
ボロは着てても心は錦、だっけ?金が無くても何とか高校生活を過ごしている。
両親が亡くなってから姉もオレも呆然としていたが、すぐに現実が降り懸かってきた。やらなくてはいけないことは、山のようにある。泣いている暇も落ち込んでいる暇も無かった。
オレの親のように、志半ばに若くして亡くなる人もいる。人生がつつがなく続くなんて、決まってはいない。明日どうなっているかなんて、誰にも分からない。
だったら、できるだけ、明るく笑って過ごそうと決めた。いずれ死ぬことが決まっているなら、楽しく生きなければ損だ。心ない事を言うヤツもいるし、落ち込んだり凹んだりすることだっていくらでもある。正直、キッツい事だって多い。それでも立ち直って生きていく。できる範囲内でもいいから、楽しいことやって、バカなこともやって。精一杯生きていく。いつか、オレの心臓が止まる、その日まで。
受験を終え、高校に進学して落ち着いたらバイトを始めようと考えていた。姉はすでに働いているが、ちょっとでも家計の足しになればと思っている。ってか、自分が遊ぶ金も確保したいしな。
オレはポケットにしまっておいた「スマホ」らしきものをベッドにそっと置いた。着ていた制服をハンガーにかけて吊し、私服に着替える。ベッドにごろりと横になって、「スマホ」らしきものを手にした。
液晶画面らしい部分には何も映っていない。これは電源が入っていない、ということだろうか? 伊藤に借りたゲーム端末も電源を入れてから遊んでたもんな。電源、電源・・・と。
しばらく眺めていて、上側面にある銀色のボタンのようなものに気がついた。これが電源か? オレはそっとボタンを押してみた。
反応は、ない。
「えーっ、これが電源ボタンじゃないのかよ」
一人で突っ込んでしまった。
うーん、としばらく考えてみるが、ノーアイディアだ。明日、学校に持っていって伊藤に聞いてみるか?? いやいや、できるだけ早く持ち主の手元に届くようにしたほうがいいだろう。電源が入ってなくても、そのまま警察に持っていけばいいだけだ。
だがしかし。
「警察に届ける」という道徳的に正しい判断と行動を、オレの「好奇心」が凌駕しようとしていた。
ケータイすら持っていないオレの手元に、「スマホ」らしきものがあるのだ。別に自分のものにしようなんて思っていない。それでも、これは千載一遇のチャンスなのだ。電源を入れて、どんな画面なのか見てみたい。いろいろいじくり倒してみたい。
そんなオレの頭の中に、あるアイディアが閃いた。そうだそうだ。あの技だ。
オレは銀色のボタンをぎゅっと押した。そのまましばらく押し続ける。秘技「電源長押し」だ。
しばらくは無反応だったが、やがて液晶画面の部分がぐにゃりと揺らいだ。画面の中では数種類の色がぐるぐると回り、中心に向かって集まっていく。そして、画面の中央に文字が浮かんだ。
「Calling Angel」
オレはその文字を凝視した。何だこれ? 携帯会社の名前か?それともこのスマホの機種名か??
頭の中がはてなマークでいっぱいになったころ、文字がすっと消えた。そして。
「この度は新作アプリケーション「コーリング・エンジェル」のテストにご参加いただき、ありがとうございます!まずはユーザ様のお名前を入力してください!」
アニメ声、というのだろうか。女性の甲高い可愛らしい声が部屋中に響き渡った。オレは慌てて身体を起こした。姉がいない時で良かった。テレビもパソコンもないオレの部屋から女の声がしたら、何事かと驚かれる。
オレは再び画面を中止した。画面中央には入力フィールドらしき白い横長の四角形と、入力用のキーボードと思われる画面が表示されている。
これで名前を打ち込めってことか? ケータイすら殆ど触ったことがないオレにはハードルが高すぎる!
入力の仕方が分からずに迷っていると、再び女の声が聞こえた。
「文字入力、もしくは音声入力でお名前を登録することができます!」
白い横長の四角形の上に、マイクのようなマークが表示されている。ここに言えばいいのか。ずいぶんと親切設計だな。最近の機械って、すごいんだな・・・。
オレは息を吸った。
「あ・ま・つ・か・ぜ・だ・い・ご・ろ・う」
できるだけゆっくりと。一文字ずつ丁寧に。
数秒時間を置いた後。
「ユーザ様のお名前は「あ・ま・つ・か・ぜ・だ・い・ご・ろ・う」様でよろしいですか?」
「うほっ」
あまりにも正確に名前を聞き返してきたので、びっくりした拍子に声を出してしまった。い、今の録音されてたりしないよな?「あまつかぜだいごろううほっ」って名前で登録されたりしないよな。
「ユーザ様のお名前は「あ・ま・つ・か・ぜ・だ・い・ご・ろ・う」様でよろしいですか?」
オレの疑問を余所に、女の声は同じ台詞を繰り返す。
「はい」
女の声にオレは返事をした。
「登録ありがとうざいます!それではチュートリアルテストを開始します・・・」
再び画面がぐにゃりと揺らいだ。次の瞬間、画面が真っ白になると同時に、スマホの液晶画面からいくつもの光の線が立ち上った。画面の中ではない、現実世界のオレの目の前に、だ。
「え、ええええ??」
展開に全くついていけないオレは、スマホを持ち続けるだけで精一杯だった。光の線は部屋の天井の辺りにまで伸びて、部屋を照らしている。電気を点けていない部屋では、その光は眩しく映った。光の中に、人影のようなものが浮かび上がった。
「!!!!????」
おどろき続けるオレを無視して、人影はどんどん鮮明になっていった。光が収縮し、人影に集まっていく。
「これは・・・・・・」
青い西洋風の鎧に長い金髪。膝を抱えた状態で、スマホの真上にふわふわと浮かんでいる。
人影が顔を上げた。閉じていた瞼をゆっくりと開く。青いきれいな瞳だった。マンガやアニメに出てきそうな美少女だ。
美少女はオレと目が合うと、ゆっくりと口を開いた。
「ようこそ--「コーリング・エンジェル」チュートリアルテストへ」