第16話 魔女とオヤビン
いつの間にか木々は紅色に染まり、北風が背筋から寒さを伝える季節になった。
本校も冬服に変わる時期で、この1週間は準備期間としてどちらを着てもいい事になっていた。
こういう時は、目立ちたいのかよくわからないが、学ランの下に半袖のシャツを着て来るお調子者がいる。
一もその1人だ。
彼の言い分には「朝は寒いし、昼は暑いやん。」らしいが、確かに一利ある気がする。
そんなくだらないやり取りを一としながら帰っていると、懐かしい人と出会った。
「オヤビンじゃあ。」
先に気づいたのは一だった。オヤビンは顔を蛭子さまの様にくしゃっとして笑った。
―――俺が高校に入る前くらいまで、オヤビンは俺の住む市営住宅の隣の平屋に住んでいた。手先が器用で、昔から俺と一を家に招いては手品やギターを弾いてくれた。
歳はふたまわりくらい離れているが、とっても優しくて俺たちが生まれて初めて憧れを抱いた人物だった。ギターを始めるきっかけになったのもこの人の影響だ。
俺たちが小学6年くらいにオヤビンは町田のばあちゃんと一緒に住んでいた。ばあちゃんと呼んでいたが、オヤビンの母親だ。
町田のばあちゃんは、近所の人達から『町田の魔女』と呼ばれていた。
名前の由来は、毎日のように近くの山へ行っては山に生えているキノコや雑草などを篭一杯に持ち帰って来るところから皮肉を込めてそう呼んでいた。
町田のばあちゃんは、週に三回くらいはウチに来ては、大好きなお酒を飲んで歌っていた。
「アーリラン、アーリラン」といつも同じ歌を口ずさんでは、帰り際になると涙を流すのが恒例だった。
「お国に帰りたいのぉ…。でも、息子はココ(日本)が故郷やけ帰るに帰れんわい。」
そう、彼女は朝鮮人だった。
戦後の高度成長期に国から無理やり連れてこられ、日本のために働いた。今の日本を作り上げたのは言わばこの人たちのお陰だと言っても過言ではない。
だが、世間は日本人じゃないと言うだけで下に見てしまい、嫌がらせもいろいろ受けて来たと言う。でも、怜は「どこで生まれてようが、どこで生きようが、馬が合えばみんな友達やろ。」と呑気な事を言って誰とでも付き合える。
そんな誇らしい母親に育ててもらったお陰で、偏見という名のフィルターを着けずに本質を見通せる目を持つことが出来た事を感謝している。
町田のばあちゃんは道端で会うと決まって同じ事を聞いてくる。
「陣や、ばあちゃんの事、好きか?」
俺は迷わず「うん」と返す。すると、ばあちゃんは、がま口の財布から五百円を取り出してくしゃっと微笑みながら俺の掌にソレを置く。そして「ジュースでも買っておいで。」と囁くと、笑顔のままその場を立ち去る。
今考えると、俺たちから嫌われるのが心のどこかで怖くて、口に出して愛を確かめたかったんだろう。俺は、そんなことしなくてもばあちゃんもオヤビンも大好きだった。
でも、何もわかっていなかった当時の俺は、「好きか」聞かれて「うん」としか言えてなかったんだ。
ある日の夕方、ばあちゃん家で遊んでいる時に昔の話を聞かせてくれた。
「ばあちゃんね、たけしの夢を奪ったんよ。」
たけしとはオヤビンの事で、ばあちゃんは大粒の涙を浮かべてしゃべりだした。
「あの子はね、真面目でぶち元気な子供やったんよ。小学生の頃からかね、皆勤賞を取るのが夢でね。どんなに熱だした日でも倒れそうになりながら学校に行ったんよ。」
オヤビンの昔の話を聞くのは初めてだったので、プラモデルそっちのけで聞き入っていた。
「あれは、忘れもせんね、小学6年の時に、遠足があったんよ…。でもね、ばあちゃんの家にはお金がなくてね…。握り飯も作れんでね…たけしは生まれて初めて学校を休んだんよ…」
当時の俺には、ばあちゃんにかける言葉なんて見つかるわけもなく、泣きじゃくる彼女を見つめる事しか出来なかった。
そして、中学2年生になったくらいから、俺と一は新しく出来た友達と遊んだり、はじめたてのギターの練習だなんだで町田のばあちゃんの家には行かなくなっていた。
風の噂で、ばあちゃんが入院したことだけは知っていたが、お見舞いにも行かなかった。
そして、ある夏の暑い日。棺桶がばあちゃんの家に運ばれて行くのを見た。
急いでばあちゃん家に行くと、オヤビンの啜り泣く声が聞こえた。棺桶の中を見ると、白髪の老婆が静かに目を閉じたまま眠っていた。
俺はこの時、生まれて初めて人の『死』と言うものに出会した。
夏にも関わらずひんやりと冷たい室内は今まで遊びに来ていたばあちゃんの家とはまるで違った。あまりにも突然の出来事に、俺の頭の中は真っ白になっていて何一つ喋ることも、悲しい表情を作ることも出来なかった事をよく覚えている。
―――俺たちはオヤビンとの再会を懐かしみながら、駅前にあるセンテツのベンチに腰掛けた。
オヤビンはデパートや遊園地などで手品などをしながら生計を立てていると言っていた。自分の好きなことを仕事に出来るなんて素敵な事だと思った。
ふとした事から「何か唄ってえや。」とオヤビンからリクエストが入った。俺たちは、師匠の前で唄うとかと思うと何だか照れ臭くなった。
「アカペラなら『心の花火』がええね。」
と、隣の肌ツルツル男は自分のオリジナルを候補に上げるほどやる気満々だった。
俺たちはアカペラではあるが、オヤビンの前で唄を歌った。
この曲はアップテンポなので「アカペラでうまくいくか?」と初めは思ったが、案外シックリきた。
一番を歌い終える頃に、オヤビンとは別の視線を感じた。姿を見なくてもそれが町田のばあちゃんだとわかった。
ばあちゃんは目を閉じて、俺たちの唄を聞き入るように静かに佇んでいた。
歌い終えると、オヤビンとばあちゃんは大きな拍手をしてくれた。
「ええわぁや。早よ、デビューせえや。はははっ。」
一もばあちゃんの姿に気が付いた様だった。
「ばあちゃん…。」
一の一言で、オヤビンの拍手がピタリと止まった。オヤビンは一の能力に初めて気づいた人で、一番の理解者でもある。だから、今の一言でばあちゃんがそばに居ることを悟ってしまったのだろう。
突然、ダムが決壊した様に大粒の涙がオヤビンの頬を伝って流れた。
「お袋…。親不孝ものですまんかったな…。」
オヤビンは、見えないばあちゃんに向けてボソッと一言だけ告げた。
ばあちゃんは穏やかな眼差しでオヤビンを見つめ、ゆっくりと2回、横に首を振った。そして、触れる事の出来ない我が子を何度も抱きしめようとした。
しばらくして、ばあちゃんは俺の方に近づくと、あの頃と同じ口調でに俺に聞いてきた。
「陣や、ばあちゃんの事、好きか?」
俺は迷わず「うん…、ブチ好き」と返した。
その言葉は、あの時言えなかった「ありがとう」や「愛してる」や「さよなら」でもあった。
ばあちゃんはシワだらけの顔をくしゃっとして蛭子さまの様に微笑んだ。
そして、そのままゆっくりと見えなくなった。
忙しい中、読んで頂いてありがとうございます。
「こんな時に…」と思いましたが、何もせずにいられず心を込めて綴りました。
この作品が少しでも読んで頂いた方の心に残れば幸いです。
いよいよ最終章です。
お時間がある方はお付き合いください。
※なお、この作品は予告なく変更、追加する事がありますので、ご了承ください。
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