第15話 Shuwacchi!
「え?幽体離脱?」
モッサの馬鹿でかい声は店じゅうに響きわたった。
モッサの拉致事件から数日が過ぎ、暑さも冗談ですまなくなってきた今日。
一が急に俺たちをマスターズカフェに呼び出した。なぜか今は、マスターに変わって『背の高いおっさん』こと橋場さんがお店を切り盛りしている。
一の説明に首を傾げるモッサと俺に対して、タチバナは「猿でもわかるようにオーレが説明しちゃる」と皮肉を交えながら言うものだから、俺は少し太太しい顔でタチバナの話を聞いた。
「つまり、『背の高いおっさん』はトップブラザーに袋叩きに合った後、命からがら大金の入ったアタッシュケースを持ち出したって事。そんで、岩鼻駅近くの草むらにアタッシュケースをとりあえず隠し、身を隠そうとするが力尽きて倒れてしまう。そのまま意識不明のまま病院に運ばれたんやけど、魂だけが体を抜け出して岩鼻駅に行った。一とお前は、その『背の高いおっさん』を見つけたって事。」
「なんでもええけど、その『背の高いおっさん』っちゅうのはやめてくれへんかな~。」
せっかくタチバナが気持ちよく話していたのにも関わらず、橋場さんは割りこんできた。
「…すいません。ところで橋場さんは、自分の魂が抜けて出た時の記憶ってあるんですか?」
タチバナは、叱られついでに質問した。橋場さんは突然の質問に、少し動揺しながら斜め上を見て、記憶を辿る様にしゃべる。
「ん~、そうやなぁ。ベットに寝とる自分を天井から見下ろした事ははっきり覚えてんねん。そんで、陣君達を草むらの中から見付けた事も覚えてんねんけど、所々の記憶しかないねん。」
橋場さんがしゃべり終えるのを見届けた後、タチバナは何度も頷きながら続けた。
「今の橋場さんの証言ではっきりしたな。一は霊を見たんじゃなくて、生霊を見たって事。ん~、認めたくはないけど、幽霊が見えるって言われるよりは信憑性がある。それに、一の歌声と生霊は関係していないって事か。」
最後のタチバナの言葉が理解できなかった俺は「歌声と生霊は関係していないってどういう事なん?」と間髪を入れずに質問した。
「お、良い質問だ。」
なんだかタチバナが生意気に見えた。そんな事はお構いなしにタチバナは淡々と話を続けた。
「巷で一の能力は、歌を唄う事で発揮されるとされちょうやろ?今回の件はその歌を唄っていないやん。オ―レの見解は、生霊などは歌声がなくても見れるっちゅう事やないやろうか?」
「タチバナちゃん、幽霊とか信じてない割には深読みするんやね~。」
モッサは、胸にグサリと刺さるようなツッコミを入れた。
「うるせぇ!信じてねぇ事には変わりねぇっちゃ!まぁ、とにかくオ―レが何が言いたいんかと言うと…」
タチバナは、もったいぶる様に氷水を飲み干して、俺の方を向きながらゆっくりしゃべる。
「美空って言ったっけ?今考えれば、お前はあの子も一の歌声とは関係ない所で出会っちょう…。もしかしたら…」
「タチバナっ!もう止めようや!せっかく陣も忘れかけちょうのに…」
とっさに一がタチバナを止めた。タチバナもふと我に返り「あ、ごめん。」と言いながら、ずれた黒ぶち眼鏡の位置を元に戻した。そして、あたかも重くなった空気を払拭するようにタチバナの口が動く。
「ところでさ、例の大金ってどうなったん?」
「あれさ、怜が半分はボランティア団体寄付して、もう半分は老後の貯えにするって言いよた…。なんか、期待持たしてごめんな。」
あまりにも俺の返しが真面目だったのでタチバナは何も返す言葉が見つからない様だった。
「タチバナには珍しく今日は目、裏目に出るね。」と励ますように囁く一の言葉はどうやら届いていない様だった。
もし、さっきタチバナの言っていた事が本当なら、美空はこの世界のどこかで生きているかもしれない。俺は、そんな小さな希望が生まれた事だけで少し嬉しくなった。
そして、みんなそれぞれ用事があるとかでマスターズカフェを出て行った。店の中には、橋場さんと俺だけになった。
「ははっ。何やあいつら、気を使って陣君を1人にしてやろうと思ったんやろうな。」
この人こそ、俺に気を使って愛想笑いなんかしながらしゃべっている。
一時して、橋場さんは意を決したように俺に話しかけてきた。
「突然やねんけどな、陣君に見てもらいたいもんがあんねん。今朝、この店を掃除しとったらな、こんなもん見つけてん。」
そう言うと、カウンターの下から古めかしいノートを取り出し、俺の目の前に置いた。よく見るとノートには汚い字で『ダイアリー』と書かれてあった。俺は、さっそくそのノートを読み始めた。
『1984年8月29日、晴れ。クソ暑い夏。夕日が落ちる頃に俺は息子を授かった。陣と名付けることは前から決めていた。ずいぶん、世間から褒められるような事をしていない俺でも、この子の目を見るだけで頬が緩む。この子の笑顔を見るためなら何にでもなれる気がしてきた。
1987年4月20日、曇り。今日は親子水入らずで映画を観に行った。陣は幼いなりに「イノセントマン」というヒーローに憧れたのだろう。帰りに買ってやった「イノセントマン」のぬいぐるみを肌身離さず持っている。
1987年8月29日、晴れ。俺は苦渋の決断を迫られた。極道の道を誇りに思っている俺が父親だと陣の明るい未来に影響してしまう。この子には自由な人生を選ぶ権利がある。だから、父親をやめる事にした。せめて、陣が18くらいになるまでそばで見守っていたい。
2000年4月15日、晴れ。陣が学校で大喧嘩をして見事に負けて帰って来た。父親として何かしてあげればいいのだが…。』
そこには、正直なマスターの気持ちが綴られていた。
そして、3歳の頃からイノセントマンというヒーローに憧れていた事に少し驚いた。でも今思えば、イノセントマンにただ憧れていたのではなく、幼いながらもヒーローに父親を重ねていたのかもしれない。
そして、日記の最後のページにも何か書かれていた。
『陣、喧嘩はタイマンならいくらでもしろ。本気で殴りあって初めて相手の痛みがわかるからだ。ただ、自分より力の弱い者や、大切な人には心から優しくしろ。
これから先、出会いもあれば別れもある。大切な人をなくして改めてその人との日々を愛しく想える。
人生に疲れる事や、心から人を憎む事もあるだろう。でも人を嫌いにほどお前は人に出会っていないし、まだ歩き疲れるほど生きてない。
まっすぐ生きろ。お前は俺の誇りだ。お前の未来は無限に広がっている。』