第09話 スタンド・バイ・ミー
幼い頃から、笑ったことのないと言っていた美空が、最後に笑っていた。
何を意味するかはしらないが、彼女を失った俺にとって、それが唯一の救いだった。
一晩中泣き続けた後、不思議と気持ちは晴れていた。 でも、今日は学校をサボることにした。
そして、朝からマスターのところに行った。
「カラン、カラン。」
「お、陣かぁ。」
マスターは、事情を知ってか知らずか、学校をサボったことも、俺の目が腫れていることも突っ込まなかった。 ただ、黙ってコーヒーを出してくれた。
「マスター…。あのさぁ…」
「ん?!何も言わんでもええ!大体の事は聞いたけぇ!お前も失恋する年になったかぁ。世も末じゃの~!ハハッ。まあ、俺も若い頃は、いろんな恋をしたもんいや。」
「へぇぇ。」
俺は、話が長くなりそうだったので、素っ気ない返事をした。
「まあ、聞けっちゃ。お前と同じ年の頃な、大恋愛したんじゃけぇ。」
自分の事をあまり語らないマスターが、よりによって恋愛話とは、かなり興味深い。
「黒髪のよう似合う、綺麗な子やったの~。」
「それで!?」
まずい…。思っていた事がつい口に出てしまった…。これでは、マスターの思う壺だ。案の定、マスターは勝ち誇った顔をして続けた。
「猛烈アタックの末に、付き合えることになってのぉ。そりゃ、毎日バラ色のようやったぞ。」
表現が古い…
「やけど、結局別れたんよ…。」
「なんでなん?」
「身分の違いってやつやの。正確には別れさせられたんよ。彼女は、どっかの財閥の娘やったけぇ、こんな貧乏人とは付き合わせないって言われたけぇの。」
「それで、すぐ引き下がったんっ!?」
俺はちょっと熱くなり、声のボリュームが上がってしまった。
「いや、諦めきれんやった。何度も何度も、その子の家に行ってはボディガードみたいなごっつい兄ちゃんにつまみ出された。悔しゅうて、悔しゅうての…。何回も世間を恨んだいや。」
「そうか…。」
「陣。俺が何を言いたいかわかるか?」
「…。いや、わからん。」
「外人やろうが、同性やろうが、幽霊やろうが、一国のお姫さんでも関係ねぇんよ!誰が誰を好きになろうが、自由なんちゃ。ただ、本当に好きになった女なら、誰に何て言われようが負けちゃいけん。これかも、ようけ(沢山)恋をするやろうけぇの。よう覚えちょけ。俺はのぉ、相手を見かけだけで判断せんで、正々堂々と誰がをまっすぐ好きになれるお前を、誇りに思うちょう。」
その力強い言葉に圧倒されて、涙が止まらなくなった。
すると、人が気持ち良く泣いている所に、荒々しくドアを開けて入って来る人の気配を感じた。
「あ~、今日も暑いですね~!マスター。」
よく見てみると、ハンカチをうちわ代わりにしてあおぎ、ピッチリスーツの男がなれなれしくマスターに話しかけた。
マスターは、その男を見ると焦った顔をして俺に言った。
「陣!もう、話は終わりじゃけ、俺はコイツと話があるけぇ、もう帰れ!」
「お、おう。」
俺は、少し様子のおかしいマスターの表情に動揺した。そして、ピッチリスーツ
の男を見るのは初めてだが、あいさつもせずにそのまま店を出た。
外に出ると、もう昼過ぎで太陽が一番高い所にあった。今日は金曜日なので、路上ライブして気持ちを切り替えようと、自宅に帰った。
俺たち「サンライズ」の路上ライブは2時間くらいと決めている。最初の頃は6時間や8時間はやっていた。
だが、それは路上ライブではなく、ただ自己満足に過ぎず、誰も楽しんでくれない。
お客さんが楽しんでないと、俺たちが成り立たない。最近その事に気付き、ライブ前に俺ん家に集まり、曲順やトークの内容も考える。フリーハンドではあるが、毎回チラシも作るようにした。
今日も少人数ではあるが、俺たちの唄を聴きに来てくれる人たちのお陰で、大盛況でライブが終わった。
まだ、ライブの興奮が冷めやらぬ中、一が俺に真顔で言った。
「新川行こうぜ!」
「ええけど、どうやって?」
「線路を歩いて行こうや!」
ここの宇部駅から新川駅までに3駅ある。距離にして約5~6キロ。でも、少し面白そうだったので軽く返事をしてしまった。
一の提案で、財布は駅周辺に隠して行くことにした。彼曰く「大冒険には試練が必要。」らしい。
それに、電車が1時間に1本しか通らないので、1時間以内に新川駅までに到着しないと、大変なことになる。
一が、俺の気を紛らわせようとしてくれているのはありがたいが、少し危険な臭いがする。
20時台の電車が宇部駅を出発するなり、俺たちも出発した。線路は、電車の為に作られたもの。だから、人間の俺たちは当然歩きにくい。やたらでかい石があって、その石が足の裏のツボを刺激して、ほどよく痛い。
「陣、覚えちょうか。昔よくこの辺で遊びよったね~。」
一が指さしたのは、第一公園。本当は違う名前だと思うが、俺たちはそう呼んでいた。
線路側から見るのは初めてだが、懐かしい。
「そうやの~。毎日いろんな事語りよったの~。」
しばらく歩くと、厚東川の鉄橋に差し掛かった。
「まさかとか思うけど…。渡るん?」
「当たり前やん。」
一が悪そうな顔をした。
厚東川に掛かる鉄橋は500メートルはある。もし、渡っている途中に電車でも通るもんなら、川に飛び込むしか生きる道はない。でも、海まで通じているせいで、干潮の時間帯は極端に潮が引いている。要するに、飛び込んでも大惨事って事。突き指だけで済みそうにない。
一をふと見ると、顔は冷静を装っているが、内心は逃げ出したくてたまらないと言わんばかりに、手足が震えている。
小さな物音にもビクビクしながら、俺たちは鉄橋をなんとか渡りきった。
しばらく歩くと、目の前の信号が変わり、遠くで「カンカンカンカン。」と聞こえてきた。
「やべぇ、電車来た!」
そう、言いながら俺たちは猛ダッシュで線路の上を走った。目の前に、岩鼻の駅が見えた。
即座に、ホームにかけあがり、難を逃れた。
「はぁ、はぁ。死ぬかと思った。」
「よし、電車も行ったし。あと一時間は安全じゃけぇ、安心して進めるね。」
今さらながら、一はヘタレのくせして好奇心だけは旺盛だ。
また、しばらく線路の上を進むと、先頭の一が急に立ち止まる。
「あ、何かおる!」
一の指差す方を見ると、林の中でぼんやりと輝く物体を見つけた。
「ん~、幽霊かなんか?」
俺は、一のお陰で幽霊を見ても驚かなくなった。
「うん、『背の高いおっさん』が向こう側を指差しちょう!その方向に何かあるんかねぇ。」
確かに、言われてみればそう見える。一はすぐさま脱線し、林の中に走って行った。
「おいっ!趣旨変ってくるやん!」
俺はそう言いながらも、一を追いかけていた。林は俺の胸元まで生えていて、おまけに地面は湿っている。そんな事もお構いなしと言わんばかりに一は草をかき分けながら進む。『背の高いおっさん』が指差している辺りに来てみると、黒いアタッシュケースが落ちていた。そんなに古くないが、見るからに怪しい。
「あの『背の高いおっさん』の、落し物なんかね?」
そう言いながら、一と俺は『背の高いおっさん』の居た場所に目をやった。
「おらんくなっちょう。」
と、俺が言うのと同時に「なら、開けてみよう。」と、一はいつもの傍若無人ぶりを発揮した。
「おい、一!やめちょけ!爆弾とかやったらどうするんか!」
「カチャッ。」
俺の声は、届かなかった。
「うおぉぉぉぉ!」
アタッシュケースを開けた一が急におたけびをあげた。
「どうしたん?何が入っちょったん?」
「陣…。ヤバい。僕ら…大金持ちやん。」
一は、そう言いながら一万円の束を自分の頬に当てて見せた。
驚いた俺は、すぐにアタッシュケースの中身を確認した。中には、大量の札束がご丁寧にも並べてあった。
「や、やべぇ…ほんとじゃ!」
「うおぉぉぉぉ!」
とにかく、俺たち二人は高校生らしく、絶叫することにした。
「誰が、何の目的で、どうやってここに置いて行ったんかねぇ。」
一の言う通りだ。俺たちは、何か大きな事件に巻き込まれてしまったのか。
「さっきの『背の高いおっさん』がキーパーソンってとこやの。」
「ん?キーパーソンってなに?」
「…。鍵を握った人物ってこと!」
「あぁ、そっちの事ね!」
どっちの事だ!俺は、確かに学校では馬鹿だと思われている。でも、あくまでペーパーテストが出来ないだけ。なら、『キーパーソン』も知らない一は、俺以下ってことだ。
「とにかく、ここに置いちょってもしょうがないし、持っていこうぜ!」
俺はそう言うと、大事そうに札束を持つ一からお金を回収し、アタッシュケースを持って線路まで歩いた。
なぜかそのまま、俺が持つはめになったアタッシュケースは、大金を入れているだけあって、かなり重い。
「んで?宇部駅に戻る?」
「いや、新川まで行こうや!」
「え?こんな大金持って行ったら怪しくない?いったんどっかに隠そうや!」
「一回行くって言ったら行くそっちゃ!!」
一の頑固もここまで来ると、ただのダダッ子だ。
そして、新川駅に着いた。切符を持っていない俺たちは、改札口を通らずに近くのフェンスを乗り越えて行くことにした。
「おい!何しよんか!運賃払わんか!」
駅員に見つかってしまった。
「僕たち、電車に乗ってません!」
「嘘つくな!なら、なんでフェンスよじ登りよんか!」
おっしゃる通りだ。
でも、今の俺たちは、大金を持っている以上、簡単に捕まるわけにもいかない。
逃げる俺たちを、執念深く追いかけてくる駅員さん達。車に乗って追っかけてくる人も出てくる始末。そこまでしなくてもと、思うくらいの人数に追い回された。
後から聞いた話によると、この地域で無賃乗車が多発している事から、今が『無賃乗車撲滅強化月間』だったらしい。
なんとか、俺たちは『そこまでしなくてもと、思うくらいの人数の駅員さん達』から逃げ切る事が出来た。
次の日のホームルームで、担任が生徒に向けて今回の騒動を連絡事項として話している時、俺たちは優越感に浸っていた事をよく覚えている。
そして、この時から俺たちは、徐々に大事件の表舞台に出て行く事になる…