【2-2】夜道
「しっかり掴まれ。落ちるぞ」
ヴァルターの声に、私は慌てて鞍の前部分を掴んだ。
でも——それだけでは、心許ない。
「......っ」
馬が歩き出した瞬間、身体が大きく揺れた。
バランスを崩しそうになる。
その時——ヴァルターの腕が、私の腰に回された。
「っ......!?」
「動くな。落ちる」
低い声が、耳元で響いた。
近い。あまりにも、近い。
背中に、ヴァルターの胸板が当たっている。鎧越しでも——その体温が伝わってくる。
腰に回された腕は、しっかりと私を支えていた。
「......」
心臓が、煩いほどに鳴っている。
顔が熱い。きっと、真っ赤になっているに違いない。
——落ち着いて。これは、ただの移動手段。それだけ。
自分に言い聞かせても、鼓動は収まらなかった。
◇◇◇
馬は、夜の道を進んでいく。
ノクスという名の馬は、暗い道でも迷うことなく走っていた。よほど、この土地に慣れているのだろう。
沈黙が、二人の間を支配していた。
ヴァルターは何も言わない。私も、何を話していいかわからない。
ただ——馬の蹄の音だけが、夜の空気を震わせていた。
「......綺麗」
ふと、空を見上げて——思わず呟いていた。
満天の星だった。
王都では見たことのないほど、星が近くに見える。まるで、手を伸ばせば届きそうなほど。
「何がだ」
ヴァルターの声に、肩が跳ねた。
「ほ、星が......こんなに近くに見えるんですね」
「......辺境は空気が澄んでいる。王都とは違う」
「はい。......とても、綺麗です」
王都の夜空は、いつも煤けていた。工房の煙、街の灯り、様々なものが空を曇らせていた。
でも、ここは違う。
空気が澄んでいて、星の光がそのまま届いてくる。
「......嫌いじゃないか」
ヴァルターが、ぽつりと言った。
「え?」
「辺境だ。厳しい土地だ。王都の人間には、堪えるだろう」
その声には——どこか、探るような響きがあった。
「......いいえ」
私は、静かに答えた。
「嫌いじゃありません。むしろ——好きかもしれません」
「なぜだ」
「空気が澄んでいて、香りがよくわかるから」
それは、本心だった。
「調香師にとって、香りを正確に感じ取れることは大切なんです。王都の空気は、色々なものが混ざりすぎていて......でも、ここは違う」
私は、深く息を吸い込んだ。
夜の空気。土の匂い。遠くの森から漂う、木々の香り。
「ここでなら......良い調香ができる気がします」
ヴァルターは——何も言わなかった。
でも、その腕の力が、ほんの少しだけ緩んだような気がした。
◇◇◇
どれくらい走っただろう。
私は——いつの間にか、ヴァルターの腕の中でうとうとしていた。
疲れと安心感——いや、安心感?
この人のことは、まだ何も知らない。怖い人かもしれない。
なのに、なぜか——この腕の中にいると、安心してしまう。
不思議だった。
「——見えてきた」
ヴァルターの声で、はっと目が覚めた。
前方に——灯りが見えた。
篝火だ。
そして——その灯りに照らされた、巨大な建物。
「城塞だ」
ヴァルターが、短く言った。
高い城壁。重厚な門。見上げるような塔。
——これが、黒獅子騎士団の拠点。
私の——新しい居場所になるかもしれない場所。
心臓が、また激しく鳴り始めた。
今度は、緊張のせいだ。




