執事の決意〜ギルバート視点〜
大広間の柱の影から、私は全てを見ていた。
お嬢様——リーネ様が、あの男に婚約を破棄される瞬間を。
調香道具が床に散らばり、踏みにじられる瞬間を。
そして——追い出されていく、その後ろ姿を。
「——ギルバート様」
隣に立つ使用人が、小声で話しかけてきた。
「よろしいのですか。何もなさらなくて」
「……ここで私が騒ぎを起こしても、お嬢様の立場が悪くなるだけだ」
答えながら、私は自分の無力さを噛み締めていた。
執事という立場。主家への義務。そういったものが、私を縛っていた。
お嬢様を守りたい。あの男の嘘を暴きたい。でも、今の私にはそれができない。
だから——
「私は、伯爵家を辞める」
「な——!」
使用人が驚愕の声を上げた。けれど、私の決意は揺るがない。
「お嬢様を追う。そして——必ず、お守りする」
たとえ執事という立場を失っても。
たとえ全てを捨てることになっても。
私は——お嬢様のそばにいたいのだ。
◇◇◇
その夜、私はフローレンス伯爵家に辞表を提出した。
当主ルドルフ様は、私の辞表を一瞥しただけで、無関心に承認の印を押した。
「好きにしろ。代わりの執事はいくらでもいる」
その言葉に、怒りがこみ上げた。
あなたの娘が追放されたというのに、何も感じないのか。
けれど、私は何も言わなかった。ここで感情を露わにしても、何の意味もない。
奥方のマリアンヌ様は、私を嘲笑った。
「あの庶子を追うつもり? 身の程を知りなさい」
庶子。その言葉を使う度に、彼女の品性の低さが露わになる。
私は黙って頭を下げ、屋敷を後にした。
もう、この場所に用はない。
◇◇◇
夜の王都を歩きながら、私は考えていた。
お嬢様は、きっと辺境に向かうだろう。私が伝えた通りに。
けれど、お嬢様より先に辺境に到着しなければならない。受け入れ態勢を整えるために。
私には——伝手がある。
かつて、辺境で仕えていた時の縁が。
ローゼンハイン辺境伯家。そこで文官として働いていた時代の、旧友たちが。
彼らに頼めば、お嬢様を受け入れる準備を整えられるはずだ。
私は足早に、王都の西門へと向かった。
辺境行きの夜行馬車。それに乗れば、お嬢様より早く到着できる。
「——お嬢様」
呟きながら、私は北の空を見上げた。
お嬢様は今頃、どこにいるのだろう。泣いているだろうか。傷ついているだろうか。
私は——お嬢様の涙を、拭いてあげたかった。
でも、今はまだその資格がない。
執事として、主人と従者の一線を超えることは許されなかった。
けれど——
「いつか、必ず」
いつか、お嬢様のそばで、対等な立場でお仕えできる日が来たら。
その時こそ——
私は、想いを告げよう。
ずっと、ずっと、胸に秘めてきた想いを。
夜の闇の中、私は馬車に乗り込んだ。
辺境へ。
お嬢様の——リーネ様の元へ。




