表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された宮廷調香師は、辺境騎士団で花開く  作者: 水無月ヨルコ
第1章:追放の朝

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/26

【1-2】雨の王都


 出発までの二日間、私は王都の片隅で過ごした。


 安宿に泊まる余裕はもうない。残った金貨は一枚だけ——辺境に着いてから、何かあった時のために取っておかなければ。


 だから私は、行く当てもなく街を彷徨った。


 初日は晴れていた。公園のベンチに座り、道行く人々を眺めながら、ぼんやりと時間を過ごした。


 けれど、二日目——つまり、出発前日の朝から、空模様が怪しくなってきた。


「……降りそうだな」


 灰色の雲が低く垂れ込め、空気がじっとりと湿り気を帯びている。


 調香師の鼻は、天候の変化にも敏感だ。雨の匂い——土と埃と、少しの苦み——が、かすかに漂っていた。


 昼過ぎには、案の定、雨が降り始めた。


 最初はぽつぽつと。やがて、本降りに。


 私は慌てて軒先に駆け込んだ。近くにあった商店の庇の下で、雨宿りをさせてもらう。


「……っ」


 冷たい。濡れた服が身体に張り付いて、芯から冷えていく。


 宮廷にいた頃は、雨が降れば侍女が傘を差し出してくれた。暖炉の前で温かい紅茶を飲みながら、雨音を聞くのが好きだった。


 なのに今は——


「……何やってるんだろう、私」


 思わず、自嘲の笑みが漏れた。


 こんなところで、一人で雨に打たれて。惨めだ。情けない。


 でも、泣いている場合じゃない。明日は馬車が出る。それまで、何とか持ちこたえなければ。


 雨は夕方まで降り続いた。


 私はずっと、その軒先に立っていた。何度か店の人に声をかけられたけれど、「すぐに行きます」と言って、やり過ごした。


 実際には、行く場所なんてなかったのだけれど。


 日が暮れる頃、ようやく雨が止んだ。


 私は濡れた身体を引きずるようにして、街を歩き始めた。どこか、眠れる場所を探さなければ。


 そして——見つけたのが、小さな教会だった。



     ◇◇◇



「——失礼します」


 教会の扉を押し開けると、中は薄暗かった。


 蝋燭の灯りがいくつか揺れている。祭壇には、香りの女神アロマリアの像が飾られていた。


 ——香りの女神。


 思わず、足が止まった。


 調香師にとって、アロマリア様は特別な存在だ。私たちの技術は、女神から授かったものとされている。


 私は自然と、祭壇の前で膝をついていた。


 両手を組み、目を閉じる。


「……女神様」


 声は、かすれていた。


「私は——私は、調香師として、間違っていたのでしょうか」


 返事はない。当たり前だ。神様が、こんな私の言葉に耳を傾けてくれるはずがない。


「エリオット様のために、一生懸命調香してきました。宮廷のために、役に立とうとしてきました。なのに——」


 なのに、「誰でも代わりがきく」と言われた。


 私の努力は、何だったのだろう。私の存在は、何だったのだろう。


「……これから、どうすればいいのですか」


 問いかけても、女神様は何も答えてくれない。


 静寂だけが、教会を満たしていた。


 どれくらいそうしていただろう。


 ふいに、背後から声がかけられた。


「——お嬢ちゃん」


 振り返ると、老齢の神父が立っていた。白い髭を蓄えた、穏やかな顔つきの人だ。


「腹は空いていないかね?」


 差し出されたのは、小さなパンと、温かいスープ。


 私は——思わず、目を見開いた。


「あ……ありがとう、ございます……」


 声が震える。涙が出そうになる。


 こんな、見ず知らずの私に、こんなに優しくしてくれる人がいるなんて。


「どこか遠くへ行くのかね?」


 神父は、私の隣に腰を下ろした。


「……北へ。辺境へ行きます」


「そうか。大変な道のりだな」


 神父は優しく微笑んだ。


「女神の加護があらんことを。——きっと、お前さんを必要としている場所があるはずだ」


 必要としている場所。


 そんなところが、本当にあるのだろうか。


 パンを齧りながら、私はただ北の空を——窓の向こうの、暗い夜空を見つめていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ