【1-1】王城を追われる日
追放から三日目の朝。
私は王都の安宿——というよりは、ほとんど物置小屋のような場所——で目を覚ました。
薄汚れた天井を見上げながら、ぼんやりと考える。
——ああ、夢じゃなかったんだ。
婚約破棄も、追放も、全部本当のこと。
私はもう、宮廷調香師ではない。エリオット様の婚約者でもない。伯爵家の庶子ですらない。
ただの、何者でもない女。
「……起きなきゃ」
呟いて、のろのろと身体を起こす。
宿代はもう払えない。今日中にここを出なければならない。
手元に残った金貨を数える。王城を追い出される前に、かろうじて懐に隠し持っていた分だ。
——三枚。
たった三枚の金貨で、どこまで行けるだろうか。
私は溜息をつきながら、最低限の荷物をまとめた。
着替えは一着だけ。調香道具は——ほとんど残っていない。床に散らばったものは全て踏み砕かれ、持ち出せたのは母の形見の香油瓶と、小さな乳鉢が一つだけ。
それでも、これさえあれば。
香りの素材を集めることができれば、最低限の調香はできるはずだ。
私は宿を出て、王都の大通りを歩き始めた。
◇◇◇
三日前の今頃は、まだ王城にいた。
専用の工房で、次の宮廷行事のための香を調合していた。エリオット様に褒められることを夢見ながら、一つ一つの素材を丁寧に選んでいた。
なのに今は——
私は大通りの端を、俯きながら歩いている。
すれ違う人々の視線が痛い。いや、実際には誰も私のことなど見ていないのだろう。でも、そう感じてしまう。
「追放された女だ」「宮廷を追われた調香師だ」——そう囁かれているような気がしてしまう。
早くここを離れなければ。
王都にいる限り、この息苦しさから逃れられない。
「辺境行きの乗合馬車は、どちらでしょうか」
私は通りがかった商人風の男性に尋ねた。
「辺境? ああ、北の馬車なら、西門の近くに乗り場があるよ」
「ありがとうございます」
頭を下げて、私は西門を目指して歩き出した。
◇◇◇
西門の馬車乗り場には、様々な行き先の馬車が停まっていた。
南方の港町行き。東の穀倉地帯行き。そして——
「ローゼンハイン辺境伯領行き、明後日出発! 席に余裕あり!」
呼び込みの声に、私は足を止めた。
辺境行きの馬車。
ギルバートが言っていた、北の最果ての地。
「すみません、その馬車に乗りたいのですが」
御者らしき男性に声をかけると、彼は私を頭のてっぺんからつま先まで眺め回した。
「お嬢さん、一人かい?」
「……はい」
「辺境は危険だよ。道中、魔獣が出ることもある。若い女が一人で行くところじゃあ——」
「それでも、行きたいのです」
私は真っ直ぐに彼の目を見た。
彼は少し驚いた顔をした後、肩を竦めた。
「……まあ、止めはしないよ。金貨二枚だ。食事は途中の宿場で各自調達してくれ」
二枚。残り一枚になってしまう。
けれど、私に他の選択肢はない。
「お願いします」
金貨を渡し、私は馬車の出発を待つことにした。




