【3-8】夜の工房
その夜。
私は工房で、魔獣避けの香りの調合に没頭していた。
期限は一週間。使えるものを作らなければ、契約は破棄される。
——絶対に、成功させる。
素材を選び、配合を考え、調合を試す。失敗しては修正し、また試す。
気がつけば、窓の外は真っ暗だった。
「……もうこんな時間か」
呟いて、ふと手元を見る。
何度も調合を繰り返したせいで、手が荒れている。でも、気にならない。
今は、ただ——良い香りを作ることだけに集中したい。
コンコン。
扉を叩く音がした。
こんな時間に誰だろう——と思いながら、扉を開ける。
そこに立っていたのは——
「団長……?」
ヴァルターだった。
相変わらず無愛想な顔。でも、その手には——
「……まだ起きていたのか」
団長は、ぶっきらぼうに言った。
「い、はい……調香を……」
「食事は摂ったか」
「え?」
「夕食。食堂に来なかっただろう」
言われて気づいた。食事のことなど、すっかり忘れていた。
「あ……すみません、没頭していて……」
「ふん」
団長は、手に持っていたものを差し出した。
——温かいスープと、パン。
「体を壊されては困る。食え」
素っ気ない言葉。でも——わざわざ持ってきてくれたのだ。
私は——胸が熱くなった。
「あ、ありがとうございます……」
スープを受け取る。温かい。
「……あの、団長はなぜ——」
「見回りだ」
団長は、視線を逸らした。
「夜回りの途中で、ここの明かりが見えたから確認しただけだ」
嘘だ——と思った。
騎士団長が、夜回りで食事を持ち歩くはずがない。
でも、指摘しないことにした。
「……いただきます」
スープを口に運ぶ。じんわりと、身体が温まる。
団長は——去ろうとしなかった。
工房の入り口に立ったまま、私が食べ終わるのを待っている。
「……団長」
「何だ」
「あの……ありがとうございます」
私は、スープの器を置いて、深々と頭を下げた。
「こんな夜遅くに、わざわざ……」
「礼はいい」
団長は、短く言った。
「早く食べて寝ろ。明日も調香があるだろう」
「は、はい……」
私が頷くと、団長はようやく踵を返した。
去り際に——
「……無理はするな」
小さな声が、聞こえた気がした。
振り返った時には、もう彼の姿はなかった。
一人残された私は——空になったスープの器を見つめた。
無愛想で、言葉足らずで、何を考えているかわからない人。
でも——
あの人は、私のことを気にかけてくれている。
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
この温もりは——きっと、スープのせいだけじゃない。
私は工房の窓から、夜空を見上げた。
辺境の星は、今夜もとても近くに見えた。




