幸せいっぱいのベビーシャワー【おまけ】
美良乃視点です。
すみません、おまけというわりに、文字数多いです。
「はあ、素敵な結婚式だったなあ」
美良乃は自室でソファに背を預け、ほぅと感嘆の息を漏らした。
自身の趣味全開のエスニックな家具に飾られた部屋。その壁際には、黄色とオレンジの花を束ねたブーケを活けた花瓶が置いてある。ダニエルとアリアの髪色を彷彿とさせるそれは、数時間前に花嫁のブーケトスで運よく手にしたものだった。
ブーケを眺めながら、美良乃はぼんやりと先ほどのことを思い出す。
青い空へ向かって投げられたブーケは、陽光にキラキラと輝きながら、ふんわりと未婚の参加者たちの頭上へ落ちてきた。美良乃は偶然眼前に飛び込んできたそれを、反射的に両手で受け止めたのだ。
周囲からドッと歓声が上がる中、白いウェディングドレスに身を包んだアリアが悪戯っぽく片目を瞑った。
「あら、美良乃! 次はあんたの番だって! そろそろ観念したら?」
「か、観念って」
美良乃とルイが恋人になって既に九年以上が経過し、美良乃は三十歳になっていた。
ルイのしつこい、もとい、熱心な勧めと通学に便利という理由から、美良乃は大学二年生になってすぐの夏に、祖父母の家を出てサンティアゴ邸に移り住んだ。それからずっとルイと一緒に暮らしている。
常日頃から冗談交じりに結婚を仄めかされていたので、ルイが一秒でも早く結婚し、二人の関係を不動のものにしたいと思っていることはわかっていた。しかし、在学中は学業を優先したくて、卒業して保険会社に就職してからは仕事を優先したくて、ルイが真正面からプロポーズしないでいてくれるのをいいことに、ここまでずるずると恋人という関係を維持していた。
じわりと罪悪感が湧き、美良乃はあわあわと口ごもる。
すると、美良乃の隣に立っていたルイが身を屈め、チュッと頬に吸い付いてきた。
「その通り! そろそろ年貢の納め時だよ、僕の女神!」
「うう……」
揶揄う様に眇められたサファイアブルーの瞳には、どこか獲物を追い詰めた肉食獣のような愉悦が滲んでいる。
羨望の眼差しと微笑ましいものを見たというような生温かい眼差しの両方に晒され、美良乃は小さく呻いて身を縮ませたのだった。
(やっぱり、少しルイを待たせ過ぎたよね……)
ルイと結婚するのが嫌なわけではない。美良乃は先の見えない関係に意味を見出せない質だ。結婚する気がないならこんなに長く付き合わない。しかし、美良乃にとって、婚姻関係を結ぶことはすなわち、子供を産む覚悟が備わったこと意味している。既にルイと同じ家で暮らし、内縁の夫婦状態にある現在、生活する上で特に不自由は感じていないことも、結婚を焦らなかった理由のひとつと言える。
「十二月でルイと付き合い始めて十年か……」
そろそろルイの願いに応えるべきなのかもしれない。
そんなことを考えていると、ノックの音がした。入室を促すと、正装からシャツとデニムパンツという普段着に着替えたルイが颯爽と部屋に入ってきた。
「疲れてはいないかい、僕の子リスちゃん?」
彼は美良乃の隣に腰を下ろす。そっと肩を抱いて顔を覗き込んできた。
「人混みでちょっと疲れたけど、もう大丈夫」
「君は長い時間社交をすると疲れてしまうからね。もっと独りの時間が必要なら言ってくれたまえ」
「うん。ありがとう」
美良乃は内向的な性格だ。以前はもっと社交的になろうと頑張っていたのだが、今は無理に矯正する必要はないと思っている。
年齢と経験を重ねたからこそ、自分の個性のひとつである内気さと上手く付き合えるようになった。ヴァイパー族の毒を受けた日に、夢の中でバーバラが世の中には多種多様な人がいて、それぞれ適材適所で活躍していると言ってくれたのを素直に受け止めることができなかったのが、今では少し恥ずかしいとすら思う。
最近ではパーティーなどでは失礼にならない程度に社交をし、気疲れしたら独りになって精神のバッテリーを充電する時間を設けているし、ルイもそれを理解して尊重してくれている。
(本当に、わたしには勿体ないくらい素敵な恋人だよね)
美良乃はルイの肩に頭を預ける。彼はうっとりと溜息を吐いてから、美良乃の頭に頬を寄せた。
「――あのね。わたしにとって結婚って、母親になる覚悟ができた時にするものだったの」
「うん?」
唐突に切り出した美良乃に、ルイは少々戸惑ったようだ。しかし、口を挟むことなく耳を傾けてくれる。
「だから、未熟なうちに結婚するのはどうしても嫌だった。ほら、わたしって愛情不足の家庭で育ったでしょう? もっと色々人生経験を積んで、精神的にも余裕を持てるようになりたかった。ルイがわたしと結婚したいって思ってくれるのは凄く嬉しかったのに、応えられなかったのはそれが理由」
美良乃は一度腰を浮かせて身体ごとルイに向き直る。彼の両手を掬い上げ、じっとサファイアブルーの瞳を覗き込む。
「待たせてごめんね。――ルイ、わたしとけっ」
「ちょっと待った!!」
ルイは慌てたように美良乃が触れていた右手を引き抜き、人差し指を美良乃の唇に押し当てた。
訝って片眉を上げると、ルイは天井を仰ぎ、長い溜息を吐いた。目元がバラ色に染まっている。
「それは是非、僕から言わせてくれたまえ」
彼はソファから立ち上がると、ゆっくりと美良乃の目の前に跪いた。ポケットから何かを取り出し、差し出してくる。
「僕の愛、心、体、血、全てをあなたに捧げます。クリステンセン美良乃嬢。どうか僕と結婚してください」
それは煌めくサファイヤのついた銀色の指輪だった。箱に入っていなかったところを見るに、いつも持ち歩いていたようだ。
胸がいっぱいになり、喉の奥がギュッと絞られたようになった。
「――っ、はい」
幸福と興奮で言葉が詰まり、口にできたのはそれだけだった。
ルイは一瞬、泣くのを堪えたようにくしゃりと顔を歪めた。フッと軽く息を吐くと、ゆっくりと美良乃の左薬指に指輪を滑らす。
しっかりと誓いの環をはめると、彼は美良乃を掻き抱いた。普段は低めの彼の体温が、その時は燃えるように熱く感じた。
「幸せにする。死が二人を別つまで、決して君を離さない。どんな時でもそばにいる。愛している。心から」
「わたしも、愛してる。ルイを精一杯幸せにする。わたしの方が早く死んじゃうけど、ずっとそばにいてね」
二人は何度も唇を重ねた。それはとても幸せなひと時だった。ぴったりと隙間なく抱きしめ合うと、頭がふわふわして、何も考えられなくなる。
どれ程そうしていただろうか。
「――さて」
ルイはそっと身体を離すと、実にいい笑顔で言った。
「善は急げと言うし、気が変わらないうちに済ませてしまおう」
「済ませる……。何を?」
困惑して首を傾げる美良乃の膝裏を掬って抱き上げると、ルイは足早に階段を下り、一階の応接室へ飛び込んだ。
「母上! 姉上! 言質は取ったよ!」
そこには、見知らぬ女性と男性が二人ずつソファに座っていた。
五十代くらいの黒髪に緑色の瞳の女性は、深紅のドレスの裾を翻しながらすっくと立ち上がった。真珠色の牙が紅い唇から覗き、照明の光を受けて煌めいた。
「でかしたわ、ルイ!」
その向かい側に座っていた、三十代くらいの茶色の髪にサファイアブルーの瞳の女性も立ち上がり、パンパンと両手を打つ。
「計画通りね! アンドレ! ファビアン! 始めてちょうだい!!」
男性二人は無言で立ち上がる。部屋の隅から折り畳み式テーブルを引っ張ってくると、部屋の中央に置き、その上にナイフと丸い白磁の器をセットした。
「え? な、何? 誰?」
「僕の母上と姉上、そして彼女らのパートナーだよ。普段はヨーロッパに住んでいるのだが、婚約式の為に来ていただいたのだよっ!」
ルイは自慢気に胸を反らす。
「え? お母さんとお姉さん? 婚約式??」
ルイは美良乃をテーブルの前で下ろすと隣に並んだ。
「そう、僕らの婚約式だよ。吸血鬼の伝統で申し訳ないのだけど、付き合っておくれ」
美良乃は混乱の極みにありながらも、必死に思考を巡らせる。
(ええっと、さっきアリアの結婚式から帰って来て、結婚する決心をして、ルイがプロポーズしてきて、急にルイの家族がいて……。ん? ちょっと待って?)
先ほど、彼女たちは「計画通り」とか言っていなかっただろうか。
美良乃はハッとしてルイを振り仰ぐ。彼はキラキラしく微笑んだ。その笑顔が実に腹黒く感じる。
(は、嵌められた……!!)
これは、ルイが予め計画していたことなのだ。恐らく彼は、アリアの結婚式に感化された美良乃が結婚を決意するのではないかと、予想していたのではないだろうか。
(どこからが計画だったの!? あっ!! もしかして、アリアのブーケがわたしの所に落ちてきたのも……!?)
――『あんたもそろそろ観念したら?』
ニヤリと笑った親友の顔を思い出す。
アリアは魔女であり、物を宙に浮かせることもできる。ブーケを意図的に美良乃が受け取るように仕向けるなど、造作もないだろう。
状況に追いつけない美良乃をよそに、ルイの母親とみられる黒髪の女性がテーブルを挟んで向かい側に立つ。彼女はじっと美良乃を見つめた。ルイによく似た絶世の美女だ。年相応の気品と色気が半端ない。
「初めまして、花嫁よ。わたくしはルイの母、ルイーズです」
「はっ、初めまして、ルイーズさん、いえ、ルイーズ様?」
「ほほっ、どうぞママンと呼んでちょうだい」
「ママン……。70年代の少女漫画みたい」
ルイの姉とみられる女性がルイーズの隣に立った。彼女は黒いスーツに身を包んでいた。艶やかな髪が波打ち、豊満な胸元に垂れていて色気が半端ない。鼻血が出そうだ。
「わたしはルイの姉、ヴィクトリアよ。東の小鳥さん」
「初めまして……」
二人のパートナーである男性たちが美良乃たちの背後に立つと、ルイーズは大仰に頷き、ルイと美良乃を交互に見た。眼光が鋭すぎて怖いくらいだ。
「これよりルイ・ド・クルール・サンティアゴ伯爵の婚約の儀式を始める。異議のある者はこの場で名乗り出よ。血の決闘を挑む権利を与える」
部屋には六人しかいないので、当然異議を申し立てる者はいない。
「ルイ・ド・クルール・サンティアゴ。汝は美良乃・クリステンセンにその血を捧げ、美良乃の他、如何なる者の血も口にせぬと誓うか?」
「誓います」
「よろしい。美良乃・クリステンセン」
「はっ、はい?」
「汝はルイ・ド・クルール・サンティアゴのみにその血を捧げ、他の如何なる者の牙にも肌を許さぬと誓うか?」
「えっと、誓います……」
「よろしい。では、血の契約を!」
ヴィクトリアが両手でナイフを持ち、恭しくルイーズに差し出す。彼女はそれを受け取るとルイの左手を掴み、躊躇なく薬指の腹をナイフで切りつけた。だらりと鮮血が流れ落ち、白磁の器に滴る。
「ひっ!?」
ルイは美良乃が戦慄くのをちらりと横目で見て、安心させるように口角を上げた。
「美良乃、気持ち悪いかもしれないのだが、僕の血を口に含んでくれるかい?」
「えっ!? 嘘でしょう!?」
ルイのものであれ、他人の血を口にするのは憚られる。
「婚約に必要なことなのだ。大丈夫。病気などは持っていないから、安心してくれたまえ」
「そういうことじゃないんだけど、ぐえっ!」
ルイーズは有無を言わさず美良乃の口に息子の薬指を突っ込んだ。舌の上にじわりと温かなものが垂れ、鉄に似た味が口の中に広がっていく。
どうしていいのかわからず硬直していると、ルイは自分の指の腹を美良乃の舌に擦りつけてからそっと口内から引き抜いた。驚いたことに、既に血は止まり、傷口がぴったりと閉じているように見える。
「ちょっと失礼」
ルイは美良乃の左手を持ち上げると、薬指の腹をちろりと舐め、次いで軽く牙を押し当てた。そのまま薬指をしゃぶり、流れた血をねっとりと舐め上げる。
美良乃は羞恥とくすぐったさに身を捩った。顔がぶわりと熱くなる。
ルイは紅く変じた瞳を潤ませ、熱い息を吐いた。ゆっくりと美良乃の指を引き抜くと、「ん、ごちそうさま♡」と満足気に微笑む。
ルイーズは厳めしい顔でひとつ頷く。天井に向かって両手を上げて声高く宣った。
「これにて、二人の婚約は成り立った! 先祖の血と誇りにかけて誓いを全うせよ!」
背後から拍手が聞こえる。
呆然としている美良乃に、ルイは蕩けるような視線を送ってきた。
「ふふっ、もう逃げられないよ、僕の兎ちゃん♡」
美良乃は頬を引きつらせながらも微笑んだ。
「そうみたいだね。末永くよろしく、ルイ」
その年の十二月二日。美良乃とルイが正式に交際を始めてから丸十年のその日、二人は愛する家族と友人たちに見守られながら結婚した。
吸血鬼は長命ゆえに子供ができにくい種族だったが、美良乃は次の結婚記念日を待たずに第一子となる吸血鬼の女の子を身ごもり、その二年後には第二子となる人間の男の子を妊娠した。
後になってルイーズから聴いた話によると、これまで報告のあった事例は少ないが、その吸血鬼にとって子を残すうえで相性がいい相手のオーラには、特別な印が表れることが稀にあるのだという。美良乃の場合それが金の粒子として顕現したのではないか、ということだった。
ルイはかねてより人間二人、吸血鬼二人の合計四人の子供を欲しがっていたが、美良乃の悪阻があまりにも酷く、「これ以上は勘弁してほしい」という彼女の希望もあったため、第二子が生まれてからは家族を増やすことはなかった。
二人は美良乃が老衰で眠るように息を引き取る日まで、お互いを補い合い、尊重しあう、誰の目から見ても仲のいい夫婦として幸せに暮らしたという。
これで美良乃のモンスター交流日記は完結となります。
お読みいただいてありがとうございました!
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。また、投稿された内容は後日改訂されることがあります。




